毬井についてのエトセトラ ②

    3.まりかんしよく




 毬井ゆかりを後ろからぎゅっと抱きしめると、シャンプーとせつけんの香りが立ち昇ってくる。

 それは彼女のきれい好きを示すものであり、清潔を心がけるのはとてもいいことなのだけど、その根底には自分のよう姿に自信を持てないからこそせめて清潔でありたい、というさびしい気持ちがあるのを知っているから、あたしはこみあげてくるものをおさえて、顔をうずめる、彼女の髪に、くびすじに。『清潔』な香りの奥底にある、彼女自身のにおいをさがして。本当の彼女を知りたくて。我に返るとれてしまって女の子相手にナニやってんだと帰宅した後ベッドの中でけんにじたばたすることも多いのだけど、それでもあたしはほとんど毎日彼女を抱きしめ、その耳にささやいている。ゆかりはとってもかわいいよ、と。

 そうすると、彼女はしばらくもじもじしているが、やがてこちらに向き直り、ぎゅっと抱きしめ返してくる。

 どうやら、められたら褒め返さなければならない、とりちに思っているらしい。

 最初のうちは、「かわいい」とげると「ガクちゃんだって」と言葉で返してきていた。

 が、あいにくと、じようじんちがい他人がロボットに見えるため、彼女の「かわいい」はどこかピントがずれている。彼女自身は褒め言葉だと考えていても、普通の女子が、「かたそう」とか「強そう」とか「しゆうへんが多そう」なんていわれて喜べるだろうか? 「ガクちゃんってスーパー系的デザインだよね!」などといわれても、褒めたい気持ちは感じられるがどういう意味だかわからない。「あ、そ、そうなの……ありがとお?」と無難にお茶をにごすしかなく、何回かそういうみような空気を体験して、ようやく、彼女は言葉を返さなくなり、代わりにハグしてくるようになった。

 実をいえば、恥ずかしさは大きいけれど、そちらのほうがありがたかった。

 言葉で返されても反応に困る、というのもあるのだが(スーパー系的デザイン、とはなんだろう?)、しようじきたがいに褒め合う、というのはいのようで好きじゃない。妙な義務感から自分に自信を持てないでいる彼女を一日一回以上褒めることにしているが(もちろん、本当にかわいいと思っているからこそだが)、あたしは、そもそも他人を褒められるような立派な人間じゃない。どうしても、恥ずかしさを感じるというか、自分のキャラじゃない、と思ってしまう。それに──だいたい、あたしの容姿は悪い、とまではいかないが、せいぜい十人並みであり、そんなあたしがゆかりのようなかわいい子に褒められたってむなしさばかりが積もるだけ。そんな悲しい褒め合いなんかするよりは、気恥ずかしくてもほうようしあったほうがいい──そうじゃなかろうか? あたし自身も言葉にするより気持ちが伝わる気がするし、──あくまで気分の問題なのだが。

 ゆかりを全身で抱きしめると、とてもやわらかくて、あたたかくて、いい香りに包まれて、よくぞ女に生まれけり、とか思う。

 どちらかが異性だったらこんなこと気軽にできないし、二人とも男だったら──やっぱりできない気がするし。だからあたしは同性の特権を生かし、彼女を思いきり抱きしめて、ふと、彼女も同じように感じてくれているのかと考える。彼女にとっての『あたし』は、はたしてやわらかくてあたたかいものなのだろうかと。

 彼女には、あたしがロボット(スーパー系?)に見えているらしい。

 それは、ただそう『見える』というだけでなく、そう『感じられる』ということでもあるだろう。

 あたしにはゆかりが『女の子』に見え、だから『女の子』を抱きしめているように感じる。

 けれど、ゆかりにはあたしが『ロボット』に見える。

 つまり、ゆかりにとってあたしは、ゆかりを抱きしめているモノは、やわらかい『女の子』などではなく、ただただかたくて冷たい『ロボット』だということになる──

 一度、聞いたことがある。

 彼女にあたしはどう見えるのか。具体的に。

 ゆかりは悲しげに笑っただけで、答えてくれなかったけれど、答えられない理由については教えてくれた。小学生のころ、同じように聞かれて答えたことがある、と。

 その友人とは、気がつくとえんになっていた。

 また、図画の授業で友だちの絵を描いたことがあるという。ゆかりの絵は当然ながらロボットを描いたものになり、その絵を目にした友だちは、ゆかりをきらい、いじめるようになった。だからゆかりはいつしか、自分のモノの見え方が他人と違うことをかくすようになった。

 その絵には、いったいどのようなものが描かれていたのか。

 自分とはまったくかけ離れたものか。

 それとも逆に、ロボットの絵でありながら自分だとわかるものだったのか。そしてそれは、こんなにかわいいゆかりのことを本気で嫌いたくなるほどに気持ちの悪いものだったのか──

 お願いだから、とゆかりはいった。

 どう見えるかなんて聞かないで、と。

 それはとってもせつまった感じがあって、だからあたしは二度と聞かないとうなずいた──もっとも、基本うっかりさんであるゆかりなので、ときどき、スーパー系とかしゆうへんとか、ぽつりぽつりともれてくるものはあるけれど。

 いま、あたしはとてもかんしよくのいい、『女の子』を抱きしめている。

 けれども、ゆかりが感じているのは、『硬く』て『強く』て『周辺機器が多そう』な、スーパー系の『ロボット』なのか──?

 力をこめると彼女もぎゅっと返してくれて、やっぱり、とあたしは思う。

 言葉よりも、こちらがいいと。

 彼女がなにを抱きしめて、なにに抱きしめられているのか、あたしにはわからないけれど、それでもこうしていると、彼女がいやがっていないことがわかるから。たとえ彼女の目にあたしがどう見えていようとも、彼女は受け入れて、さらに求めてくれている──それが感じられるから。

 だからやっぱり言葉より、抱きしめあうほうがいい。

 きっとあたしの気持ちも、伝わっていると思いたい。



    4.まり紫の瞳



 毬井ゆかりのこうさいは、きれいなむらさきいろ

 遠くからでははっきり判別できないが、顔を近づけるとわかる。澄んだうすむらさきいろの瞳で見つめられると、くっきりとしたどうこうに吸い込まれるような気分になって、次のしゆんかんはっとすじを正される。

 だからきっと、近しい人間に彼女の印象をえば、ぞうに広がりれる髪よりも彼女の瞳をげるだろう。

 毬井ゆかりは紫の目を持っている、と。

 まぶしい光がにがらしく、ときどき彼女は色つき眼鏡めがねやバイザーをつける。

 それはそれでっているのだけれども、彼女の瞳が見えなくなると、やっぱり少し物足りない。

 もしかしてその目のせいで、ゆかりには他人がロボットに見えるのか、などと、子供のようなことを考えたずねたことがある。

 ううん、とゆかりは笑って答えた。

 確かに珍しいかもしれないけれど、紫色の瞳というのは普通に存在するもので、自分以外にも紫色の目をしたヒトはいるけれど、自分のようにモノが見えたりはしていない、と。

 そりゃそうだ。

 そもそもの問題は、見え方ではなく感じ方にあるのだという。

 めったになかったが、彼女もっぽい言葉を口にすることがあった。


「ときどき、考えるんだ。……神さまは、どうしてあたしの見え方に、あたし自身を入れてくれなかったんだろう。『ヒトの形』がロボットに見えるんだったら、あたしの身体からだだってロボットに見えていいのに、どうしてあたしの姿だけ、ロボットに見えないんだろう。もしかして、『あたしの形』って、ヒトとはどこかちがうのかな?」

「ううん。そんなことないよ。ぜんぜん普通だって」

「うん。ありがと。だったらやっぱり、おかしいのは見え方じゃなくて、あたし自身の感じ方、なんだね」


 彼女は、自分のむらさきいろの瞳がうつすものを、まったく恐れてはいない。

 恐れるのは、その瞳に映らないもの。

 彼女にとっての『普通』である、『ロボット』として見えない──自分自身の、姿。

 気がつくと、あたしは聞いていた。


「ゆかりは、自分の目って、好き?」

刊行シリーズ

紫色のクオリアの書影