毬井についてのエトセトラ ③

 口にしたしゆんかんバカなことをと思ったけれど、出した言葉は引っこめられない。

 だからせめてと、どうようかくして続ける。


「あたしは好きだな。ゆかりの瞳。すっごくきれいなスミレ色。ゆかりにとってもっていて」

「わ。ありがと。……あたしもね、気に入っているよ? 自分の目」


 その言葉が本心か、それともきよせいを張っているだけか、まだ付き合いの浅いあたしには、わからない。

 ただ、願うしかない。

 彼女が本当に、自分の目を好きであることを。

 きっと彼女が生まれたとき、彼女の両親は、その目の色にきつけられて、名前にまでつけたのだろう。

 ゆかり、と。

 だから彼女に、きらわないでほしいと思う。『紫』を。

 そんな思いをこっそりこめて、あたしは彼女のことを、まりという名字ではなく名前で呼ぶ。ゆかり、と。まだちょっとれくさかったりするけれど。

 紫色の彼女の瞳が、好きだから。



    5.まりとの出会い



「ところでガクちゃんは、自分の名前って好き?」

「好きなわけがないでしょう? 時間を巻きもどせるのなら、生まれたときまでさかのぼって名づけをやりなおさせたいわ」

「わ。わ。あたしは好きなのに……」


 あたしの名前はとうマナブ。

 学校の学、と書いて、マナブ。

 同じくマナブという名の女性がいるなら申し訳ないが、あたしはこの名が好きではない。

 だってこれ、学って、基本的には男につける名前っぽいから。

 昔から続くえんだかなんだか知らないが、祖母の一声でつけられたこの名前のおかげでどれだけ男とちがえられたか。からかわれたか。あたしの基本が『むすっとしている』ことも、あまり女の子らしくないのも、きっとこの名がのろいになっているせいに違いない。

 ちなみに、マナブのマナ、と呼ばせるのもなんだか女の子過ぎていまさら恥ずかしいので、友人には、みようか、さもなくば音読みでガクと呼んでもらうようにしている。


「でもね、ガクちゃんの名前がマナブだから、あたしガクちゃんのこと、気になっていたんだよ?」

「……それって単に、あんたの目じゃ、あたしが女か男かわからなかったってだけでしょう?」

「わ。ちがうよ。女の子だって思っていたよ? だってスカート穿いてたし……」

「ぜんぜんフォローになってない」


 他人がロボットに見える彼女には、普通だったら簡単な(……最近はそうでもないかもしれない)男女のはんべつが難しいらしい。

 なにしろロボットに性などないわけで、だから彼女は声とシルエットで六割、名前で二割、あとは服装に頼って見ているモノが男か女かを判断する(ズボンは男、スカートは女、というように)。そのため、学という名前に加えて男子のような低い声(周囲に声変わりをむかえていない男子が多いため、けいにわかりづらかったらしい)、シルエットも中性寄りで(確かに胸はないけれどまだ成長期なのだほっとけ)しかしスカートを穿いているあたしの性別を断定できず、気になっていたのだとか。

 クラス名簿の確認だけでは満足できなかったのか、自分の目で確かめようとゆかりはあたしをかげからつけまわし、それに気づかなかったあたしはある日彼女と劇的なしようとつをした(女の子、というのを気にしないなら、あれがあたしのファースト・キス、ということになる)。

 漫画のような出会いにどうてんして泣き出した彼女からなんとか話を聞くうちに、あたしは彼女のむらさきいろの瞳について知ることとなり、それからあたしはちょっとした心境の変化で髪を伸ばすようになったのだけれども(もともとはショートだったのをいまはおかっぱにしていて、そのため心無いやつはあたしのことをカッパとも呼ぶ)、それはともかく、確かにある意味、名前のおかげで出会えた、といえるかもしれない。

 だったら。


「……ま、この名前とも、もう十四年付き合っているわけだし、いいかげん、慣れたけどね」

「でも、それだけじゃなくって、できればガクちゃんにも、好きになってほしいな。あたしはとっても好きだから。ガクちゃんの名前」

「…………そりゃどうも」

「あのね? よかったら、マナブちゃん、って呼びたいな」

「……それは、ちょっと、……まだ、……もう少し、……かんべんして……」


 うわづかいにこちらを見つめる彼女を視界に入れないよう、むすっと唇をむすんで、あたしは顔をそむける。赤くまっているだろう、ったほおをどうにかしてごまかせないかとか思いつつ──

 ……マナブ、ちゃん?

 ……うん、まぁ、……確かに昔ほど、きらいじゃないかも、しれない。



    6.まり宿しゆくてき




 そろそろくどいかもしれないが、毬井ゆかりはニンゲンがロボットに、見える。

 あたしはぐうぜん知ることができたが、基本的には、ゆかりはそれをかくしている。周囲の人間に変なやつだと思われないよう、トラブルを引き起こさないよう、過去に学んだ経験から。

 とはいえ、こころがまえだけで物事が成せるなら世の中苦労はないわけで、そのとくな視点にられどうしてもふるいがきようになってしまう彼女は、学校内はおろか町内においてさえ、変人として有名だった。

 それは、嫌われているということではない。

 むしろ彼女は好かれている。

 どこかうきばなれした彼女のキャラはいわゆる『ちゃん』として好意的に受け止められていて、あたしたちのクラスにおいてはマスコット的存在ですらある。

 驚くには当たらない。

 彼女はとてもかわいくて、そのとつな言動はむしろじんちくがいな小動物っぽさをきわたせるものだから。

 世の中外見がすべてだなどというつもりはないが、視覚情報、というものが判断基準として無視できないものであるのはちがいなく、だからこそ他人がロボットに見えるゆかりはいろいろ苦労しているわけだが、それはともかく、かわいいものを保護したいと思うのは生物がでんを伝えるための本能であり、いわば自然のせつといえる。だから彼女が好かれることはむしろ当たり前だし、あたしがついつい気にかけてしまうのもとくに異常なことではない。

 しかし世の中には、どうしてもとうぜんに納得できないおかしなやつがいるもので、ゆかりのことをかたきにする人間も確かに存在していた。

 困らせるのを楽しむのではなく、あんたのことが気に食わない、とこうから敵意をぶつけてくる人間。

 そのひつとうが、てんじようななという女子だった。

 天条は、ことあるごとにゆかりにつっかかってきた。

 かいこうを待つことなく、クラスがちがうにもかかわらずわざわざ休み時間に押しかけてくることもあった。

 直接的な暴力にうつたえてくることこそなかったが、道を通せんぼしたり、ノートを取り上げたり、子供のような言葉でちようはつしてきたり──


「あら。久しぶりじゃない。まりぃ」天条は、あたしとは逆にゆかりのことをみようで呼んだ。まるでそちらが名前であるかのような発音で。「……ひたいにかくしてあるという、『第三の目』の調子はどう?」

「だ、第三の目なんて隠してないよ!」

「あれ? そうだっけ? ……ああ、持っていたのは前世のことで、いまはそれなしで日夜あつと戦っているんだっけ。ほら、腕にきざんだ退たいもんしようがじんじんうずいてきたんじゃない?」

「……あたしの手、退たいの紋章なんて刻んでいないもん」


 認めよう、彼女のゆかりへのつっかかり方はとても幼いものであり、いじめというより子供のケンカのようであり、だからこそ、周囲の人間はあたしも含め、止めるのもバカらしい気分になってほうしていた。

刊行シリーズ

紫色のクオリアの書影