口にした瞬間バカなことをと思ったけれど、出した言葉は引っこめられない。
だからせめてと、動揺を隠して続ける。
「あたしは好きだな。ゆかりの瞳。すっごくきれいなスミレ色。ゆかりにとっても似合っていて」
「わ。ありがと。……あたしもね、気に入っているよ? 自分の目」
その言葉が本心か、それとも虚勢を張っているだけか、まだ付き合いの浅いあたしには、わからない。
ただ、願うしかない。
彼女が本当に、自分の目を好きであることを。
きっと彼女が生まれたとき、彼女の両親は、その目の色に惹きつけられて、名前にまでつけたのだろう。
紫、と。
だから彼女に、嫌わないでほしいと思う。『紫』を。
そんな思いをこっそりこめて、あたしは彼女のことを、毬井という名字ではなく名前で呼ぶ。ゆかり、と。まだちょっと照れくさかったりするけれど。
紫色の彼女の瞳が、好きだから。
5.毬井との出会い
「ところでガクちゃんは、自分の名前って好き?」
「好きなわけがないでしょう? 時間を巻きもどせるのなら、生まれたときまでさかのぼって名づけをやり直させたいわ」
「わ。わ。あたしは好きなのに……」
あたしの名前は波濤マナブ。
学校の学、と書いて、マナブ。
同じくマナブという名の女性がいるなら申し訳ないが、あたしはこの名が好きではない。
だってこれ、学って、基本的には男につける名前っぽいから。
昔から続く縁起だかなんだか知らないが、祖母の一声でつけられたこの名前のおかげでどれだけ男と間違えられたか。からかわれたか。あたしの基本が『むすっとしている』ことも、あまり女の子らしくないのも、きっとこの名が呪いになっているせいに違いない。
ちなみに、マナブのマナ、と呼ばせるのもなんだか女の子過ぎていまさら恥ずかしいので、友人には、名字か、さもなくば音読みでガクと呼んでもらうようにしている。
「でもね、ガクちゃんの名前がマナブだから、あたしガクちゃんのこと、気になっていたんだよ?」
「……それって単に、あんたの目じゃ、あたしが女か男かわからなかったってだけでしょう?」
「わ。違うよ。女の子だって思っていたよ? だってスカート穿いてたし……」
「ぜんぜんフォローになってない」
他人がロボットに見える彼女には、普通だったら簡単な(……最近はそうでもないかもしれない)男女の判別が難しいらしい。
なにしろロボットに性などないわけで、だから彼女は声とシルエットで六割、名前で二割、あとは服装に頼って見ているモノが男か女かを判断する(ズボンは男、スカートは女、というように)。そのため、学という名前に加えて男子のような低い声(周囲に声変わりを迎えていない男子が多いため、余計にわかりづらかったらしい)、シルエットも中性寄りで(確かに胸はないけれどまだ成長期なのだほっとけ)しかしスカートを穿いているあたしの性別を断定できず、気になっていたのだとか。
クラス名簿の確認だけでは満足できなかったのか、自分の目で確かめようとゆかりはあたしを陰からつけまわし、それに気づかなかったあたしはある日彼女と劇的な衝突をした(女の子、というのを気にしないなら、あれがあたしのファースト・キス、ということになる)。
漫画のような出会いに動転して泣き出した彼女からなんとか話を聞くうちに、あたしは彼女の紫色の瞳について知ることとなり、それからあたしはちょっとした心境の変化で髪を伸ばすようになったのだけれども(もともとはショートだったのをいまはおかっぱにしていて、そのため心無いやつはあたしのことをカッパとも呼ぶ)、それはともかく、確かにある意味、名前のおかげで出会えた、といえるかもしれない。
だったら。
「……ま、この名前とも、もう十四年付き合っているわけだし、いいかげん、慣れたけどね」
「でも、それだけじゃなくって、できればガクちゃんにも、好きになってほしいな。あたしはとっても好きだから。ガクちゃんの名前」
「…………そりゃどうも」
「あのね? よかったら、マナブちゃん、って呼びたいな」
「……それは、ちょっと、……まだ、……もう少し、……勘弁して……」
上目遣いにこちらを見つめる彼女を視界に入れないよう、むすっと唇を結んで、あたしは顔をそむける。赤く染まっているだろう、火照ったほおをどうにかしてごまかせないかとか思いつつ──
……マナブ、ちゃん?
……うん、まぁ、……確かに昔ほど、嫌いじゃないかも、しれない。
6.毬井と宿敵
そろそろくどいかもしれないが、毬井ゆかりはニンゲンがロボットに、見える。
あたしは偶然知ることができたが、基本的には、ゆかりはそれを隠している。周囲の人間に変なやつだと思われないよう、トラブルを引き起こさないよう、過去に学んだ経験から。
とはいえ、心構えだけで物事が成せるなら世の中苦労はないわけで、その特異な視点に引っ張られどうしても振舞いが奇矯になってしまう彼女は、学校内はおろか町内においてさえ、変人として有名だった。
それは、嫌われているということではない。
むしろ彼女は好かれている。
どこか浮世離れした彼女のキャラはいわゆる『不思議ちゃん』として好意的に受け止められていて、あたしたちのクラスにおいてはマスコット的存在ですらある。
驚くには当たらない。
彼女はとてもかわいくて、その突飛な言動はむしろ人畜無害な小動物っぽさを際立たせるものだから。
世の中外見がすべてだなどというつもりはないが、視覚情報、というものが判断基準として無視できないものであるのは間違いなく、だからこそ他人がロボットに見えるゆかりはいろいろ苦労しているわけだが、それはともかく、かわいいものを保護したいと思うのは生物が遺伝子を伝えるための本能であり、いわば自然の摂理といえる。だから彼女が好かれることはむしろ当たり前だし、あたしがついつい気にかけてしまうのもとくに異常なことではない。
しかし世の中には、どうしても理の当然に納得できないおかしなやつがいるもので、ゆかりのことを目の敵にする人間も確かに存在していた。
困らせるのを楽しむのではなく、あんたのことが気に食わない、と真っ向から敵意をぶつけてくる人間。
その筆頭が、天条七美という女子だった。
天条は、ことあるごとにゆかりにつっかかってきた。
邂逅を待つことなく、クラスが違うにもかかわらずわざわざ休み時間に押しかけてくることもあった。
直接的な暴力に訴えてくることこそなかったが、道を通せんぼしたり、ノートを取り上げたり、子供のような言葉で挑発してきたり──
「あら。久しぶりじゃない。まりぃ」天条は、あたしとは逆にゆかりのことを名字で呼んだ。まるでそちらが名前であるかのような発音で。「……ひたいに隠してあるという、『第三の目』の調子はどう?」
「だ、第三の目なんて隠してないよ!」
「あれ? そうだっけ? ……ああ、持っていたのは前世のことで、いまはそれなしで日夜悪鬼と戦っているんだっけ。ほら、腕に刻んだ退魔の紋章がじんじんうずいてきたんじゃない?」
「……あたしの手、退魔の紋章なんて刻んでいないもん」
認めよう、彼女のゆかりへのつっかかり方はとても幼いものであり、いじめというより子供のケンカのようであり、だからこそ、周囲の人間はあたしも含め、止めるのもバカらしい気分になって放置していた。