第二話 竜と親子と不老不死 ⑤

 リコは竜がひるんだ隙に身体からだの下へと滑り込み、膝の付け根に刀を滑らせた。ぶつりと斬り離される竜の足。よろけた拍子に、もう一本も切り落とした。

 耳をつんざく竜のほうこう。感覚が鋭敏になっているリコにとっては、フラッシュバンの仕返しをされたようなもの。びりびりと脳髄がしびれて、力が抜ける。

 とはいえ、作戦は見事成功だった。

 インカムでカクタスにつなぐと、「おっ、随分と早いじゃねえか」と驚きの声。


「まさか、もう撤退じゃねえだろうな」

「んなわけあるか。仕事はするって言っただろ」

「なんだ、本当にもう倒したのか! さすがだなあ」

「今は足を斬られて、のたうち回ってるよ。──ところで一つ聞きたいんだけど、この竜の肉、そっちで運んでもらえるのか?」

「ん? ああ、当たり前だろ。肉は俺が回収して、《らんどう》に運んでやるよ。ウカが、内臓は取らなくていいから、血抜きだけは忘れるなって言ってたぞ」

「……ほんと、飯のことになると用意周到だな、ウカは……」


 リコは呆れて苦笑がこぼれるが、まあ済んだ話である。気合を入れた割には、あっさりと片が付いてぎようこうぎようこう──……


「──おい、カクタス」

「なんだよ、せわしねえやつだな。すぐに俺もそっちに向かってやるから、待ってろって」

「いや、来るな」

「……どうして」

「……第二ラウンドの始まりだってことだよ!」


 インカムの接続を切って、リコはすぐに木刀を構え直す。

 なぜなら目の前の竜、足を斬られて倒れ伏していたはずが、既にが生えてきていた。まるで切れた蜥蜴とかげの尾がよみがえるかのように、新品の肉とうろこがむくむくと再生され、粘膜をまとって湿った光を放つ。


「……お前、PACを食ったのか!」


 おお、ジーザス。

 これぞPACである。

 なぜ、24世紀に入り、こうも自然界が繁栄を極めているのか。恐竜が復活し、鉄のごとき植物が生まれ、東京はジャングルにまれたのか。

 理由は一つ、PACである。

 戦争とパンデミックで絶滅にあえぐ、人間たちのために作りだされたはずのせきの薬。しかし、そのせきの万能さゆえに、恩恵を受けたのは人間に留まらなかった。ことの発端は世界各地の実験都市で行われた大規模投薬実験。それは不死を確かめるための実験である。当然、あらゆる環境で、つまりはあらゆる日常生活の中で臨床試験が行われた。人間のかたわらには、つつましく血を吸う蚊やダニが存在し、PACは彼らにも祝福を──不死の恵みを与えたのだ。

 やがて訪れた、死ぬことのない蚊の帝国と蚊を媒介にする寄生虫の大帝国。PACをほつする寄生虫は宿主にもPACを求めさせ、人間が野犬や野生動物に襲われ始める。肝心なことは、自然界ではPACは一つのとうあつに過ぎなかったということである。永遠にホモ・サピエンスであり続けようとする人間たちを尻目に、PACを利用する動植物は次々と出現し、進化を遂げた。その理由には諸説あれど、PACが寄生虫から宿主の肉体へと浸潤したとか、共進化でPACを利用する寄生虫自体を体組織に取り込んだとか、もはや神のみぞ知るところである。

 とにかくPACを効率よく利用し、保持する者が勝ち残る。そして、目まぐるしい闘争の果てに、自然界にはいまだ人間がなしえないPACの経口摂取を獲得する者まで現れた。消化酵素に分解されるよりも早く、血中にPACを吸収するための特殊器官。注射投薬を必要としない、お手軽なPAC利用法である。

 ヒエラルキーの頂点に君臨する者が、それを持たないわけがなかった。

 リコの前に再び立ち上がった渡り竜。その咽喉を通ったのは違法オイル・バーだけではない。大量の違法PACも通っていたのだろう。つまりは、不死の竜である。


「……オレは! 絶対に! 食われねえからな!」


 目の前で、どこかやけくそになって叫ぶのは、次の咽喉通過予定者。

 ぐおおん、と、地響きのごとき竜のほうこうはいきよに響き渡った。


    4


 態勢を立て直される前に次の手を打たなければ。そう考えたリコはすかさず竜に向かって木刀を突き出した。山勘だが、大きな鳥だと思えば心臓の位置は予想ができる。そこにめがけて直突き、それからねじるようにして引き抜く。

 どっと温かい血潮が噴き出し、竜は叫んだ。

 が、倒れない。


「どうなってんだよ! 化け物か!」


 どうして心臓を潰されても、この竜は倒れないのか。

 リコの脳裏にふとよぎったのは、恐竜の一種であるトビトカゲをさばいていたウカの姿。


『──いい、リコちゃん。翼竜を殺した時は、首と背中、二か所で血抜きしないとダメだからね。翼竜は心臓が二つあって、全身に血液を送るものが胸に、翼に送る専用の心臓が背中にあるの。首だけで血を抜いても、背中の方に血がまって、お肉の質が落ちちゃう。だから、次からはちゃんと──』

「……『血抜きだけは忘れるな』って、そういうことかよ」


 渡り竜はトビトカゲの数十倍の大きさである。心臓が二つ、あるいは三つあってもおかしくない。一個潰しただけでは、どうにもならないということか。

 リコが慌てて距離を取ろうとも、既に手遅れ。その場で旋回した竜の翼が、一瞬でリコの身体からだを斬りつける。硬化した羽は薄い刃となって、人間の柔い肉を断ち切った。


「──っ!」


 ぼとり、とリコの右腕が落ちる。首をとつかばったために、肩口から切り飛ばされた。痛覚ドラッグで増幅された痛みは、もはや常人には耐えられぬ域に達している。

 しかし彼女は「《アラカワ》の黒い妖犬ヘルハウンド」。ヘルハウンドとは「死の使い」である不吉な亡霊。

 それは単に彼女がうできの殺し屋だからではない。

 どんな死地からも舞い戻る猟犬。ただ一人、死から逃れる者だからこその異名である。


「くそっ!」


 リコは転がるようにして距離をとり、自らの腕を拾い上げると走り出した。はいきよの廊下を駆け抜け、小部屋に飛び込む。息を殺し、無造作に切断された腕を肩の傷口に押し当てた。

 すると、早くも血中に眠っていたPACが機能し始める。砕けた骨が作られ、肉や血管がからみつき、皮膚に覆われた。普通ならば数週間は再生に要するところを、ものの数秒で元通り。

 とはいえ、PACに代償がないわけではない。

 急速な再生はばくだいなエネルギーと材料を必要とする。カクタスのように脂肪をめていなければ、再生しようにも燃料が足りなくなる。リコは今更になって、蜜掛けオイル・バーをもっと食べておくべきだったと、ほぞをかんだ。

 手持ちの道具と言えば、木刀一本、PACが三つ、痛覚ドラッグのシリンジには予備があり、それから毒薬のテトロドトキシンも。……もちろん死にたくはないが、毒を使って倒せば肉は食えなくなる。それは最後の手段だろう。


「──」


 ふと息を止めるリコ。

 竜の足音が聞こえたのである。目を閉じ、聴覚と嗅覚に意識を向ける。

 右斜め後ろ二十五メートル、身体からだを引きずる様子はなく、先ほどの心臓への一撃は効果がなかったと考えていい。吐息は荒く、興奮状態からか、くちばしをガチガチと鳴らしている。

 それからかすかに聞こえる、虫がうごめくようなさざめき。

 おそらくうろこだ。うろこぜんどうし、擦れ合っている。鳥肌のようなものか。


「ふーっ」


 竜が遠ざかったのを確認して、リコはようやく息を吐き出した。そしてインカムが通信をキャッチしていたので、とりあえずつなぐ。


「おい、大丈夫か? 随分てこずってるようだな」


 カクタスの言葉に交じる、くちゃくちゃというしやくおん。リコは声を押し殺しながら、それでも叫ばずにはいられない。


「こっちは殺されかけてるってのに、のんに腹ごしらえか!」

「腹減ってんだから、しょうがねえだろ。で、どうだい首尾は」

「最悪」

「さっきはもう勝ったみたいなこと言ってたじゃねえか」

「……見くびってたよ。渡り竜とやり合うのはオレも初めてなんだ。こんな馬鹿みたいにしぶといやつだとは思ってなかった」

「んだよ、竜が強いなんて当たり前だろう」

「知った風な口をたたくなっ! あんたは蜥蜴とかげ一匹捕まえたことないだろうがっ!」

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