第二話 竜と親子と不老不死 ④

「まあ、それは成り行きだな。……実は最近《アラカワ》内でネットの無断侵入が起きていてな。中継基地に張ってある《シード》のアクセス防壁もすり抜けやがった。さすがに俺たちも縄張りを荒らされちゃ、見過ごせねえ。河近くにある通信塔を経由しているから、一帯を探ってたわけだ。そしたら物騒な機械と培養槽があるじゃねえか、と」

「ネット? だから最近《らんどう》に通ってたわけか。ウカの手を借りようと」

「そういうことだ。で、工場を見つけたはいいものの、違法PACとなりゃ後ろにでけえやつがいる。そこらへんの政治的調整ってやつをしていたら、竜が一匹迷い込んできやがった」

「間が悪いというかなんというか……」

「仕方ねえよ、違法PACには違法オイル・バーが付き物だ。確かに俺でも、脂の匂いに誘われて、迷い込んじまうかもな!」

「……腹の減った竜がオイル・バーの匂いに誘われた? でも、どうして」

「オイル・バーも作ってるのかって? そりゃ、商売に決まってるじゃねえか。大抵、裏もんのPACにはドラッグだの毒だのが混ぜてあるからな。それを中和するオイル・バーをセットで売るんだ。そうすりゃ簡単には横流しもされねえし、利益も二倍になる。売りもんに錠前つけときゃ、鍵も売れるって寸法だな」


 装甲車を飛ばしながら、軽快に答えるカクタス。その横顔に張り付くぎらりとした笑みに、リコはすぐさまピンときた。


「……あ、わかったぞ」

「な、なんだよ」

「あんた、工場を乗っ取る気だろ」

「……」

「単に竜を退治するってなら、銃でも爆薬でもぶっこめば済む話だ。いくらあんたが肉好きって言ったって、撃退失敗のリスクと獲物の肉質をてんびんにかけるほど馬鹿じゃない。それなのにわざわざオレを呼んだのは、工場を壊したくないからだろ。自分たちが後釜に座ろうって魂胆か」


 カクタスの額が、むにっとゆがむ。顔面がすぐさま赤くなって、それはまさにだこのよう。リコは「そうか、そうか」とわざとらしくうなずいて、木刀の先をカクタスの頰に突きつけた。


「グループの抗争に関わるようなら、オレは抜けるぞ。これでも一応、後腐れのない仕事が売りなんだ。今回の話は《シード》に加担し過ぎる」

「……」

「……」

「……このクソガキがっ! 要求はなんだ!」

「そうこなっくちゃ!」


 悪態を吐くカクタスに、リコは悪魔のような満面の笑み。彼女は三本の指を出す。


「さっきオレにくれた、純正PACを三本。それでいいよ」

「はああああ? ふざけんなっ! さっきのだって、お前の機嫌を取るために仕方なく持ってきてやったんだぞ! その上三本だと!」

「んだよ、どうせあんたなら簡単に手に入るだろ。ケチケチすんなって。──ちなみに、渡すんなら今だからな。前払いだ」

「……そんな貴重なもん、いつも持ち歩いているわけ──」


 ガンガン!とリコの木刀がしたたかにカクタスのたこあしたたきつけられる。そこはついさっき、カクタスが砕けた銃を収納した小さな引き出し。


「ほら、出しなって。そしたら、きっちり倒してやるからさ」


 この娘、容赦がない。

 伊達だてにこの若さでフリーの用心棒をやっているわけではなかった。カクタスは眉間にますます肉のしわを盛りあげ、顔を真っ赤に染め上げる。《シード》の連中が見れば卒倒しかねない様子だが、リコからすれば見慣れたもの。そして、彼女自身、純正PAC三本など違法工場から上がる収益に比べれば安いものに決まっていると踏んでいた。カクタスは、どこまで行っても損得で動く男である。殴られようが、切られようが、たこのようにしぶとく、最後には獲物を手に入れる。


「……クソがっ」


 その悪態が承諾の合図だった。

 リコの予想通り、たこあしの収納スペースには純正PACの注射器が三本入っていた。リコがそれを刀帯のスロットにしまうと、丁度視界にくだんの工場が現れる。とはいっても、外目はただのはいきよである。高さはないが横に広く、巨大な箱をいくつか並べて串で貫いたような具合。つたがはびこっていて、新緑のみずみずしい若葉が壁面を覆っていた。


「指示はインカムで出す。俺はここで待ってるから、何かあったら呼べ」

「呼んだところで助けには来ないじゃん。部下の一人も配備してないんだから」


 超小型のインカムを耳に挿しながら、リコはさっさとはいきよに進んでいく。その背中に向かってカクタスは笑って声をかけた。


「まあな。死んだってことくらいは確認してやるよ。どうせ失敗すりゃ、お前は竜の腹の中だ」

「……どいつもこいつも、なんでオレが食われる話になるんだよ……」


 朝のウカとのやり取りを思い出しながら、リコは妙な胸騒ぎを覚える。そしてはいきよを少し進むと、その理由がすぐに分かった。


「……まじかー」


 廊下に転がる無数の死体。おそらく、人間である。おそらくというのは、あまりに腐敗が進んでいて、ほとんど原形をとどめていないため。内臓がそっくりえぐられ、虫もたかっている。第六感などというものをリコはてんで信じていなかったが、嗅覚にはかなりの自信がある。悪い予感というのは、大抵腐った肉や血の臭いなのだ。

 そして、リコはここで一つの決断をする。


「……薬、打っとくか……」


 刀帯のスロットから取り出したのは、PACではなく赤のシリンジ。ふとももに先端を押し付けると、内蔵針が打ち出され、即座に液体が放出される。

 それは、人呼んで痛覚ドラッグ。神経伝達物質の増幅とサイトカイン誘導により、あらゆる感覚を過剰にする。視覚も聴覚も嗅覚も、そして痛覚も解像度が跳ね上がる。行きつくところまで行きついたマゾヒストのためのドラッグだが、リコはこれを仕事に使っていた。

 早速、効果は覿てきめんで、周囲に漂う悪臭は脳天をわしづかむような刺激へと膨れ上がる。そのおかげで腐臭に紛れて人間以外の臭いがあることにも気付いた。虎穴に入らずんば虎子を得ず。はんな覚悟では、返り討ちにあうだけである。リコは腹をくくり、渡り竜の臭いを辿たどってはいきよを進んだ。

 その足が不意に止まったのは、吹き抜けの階段を上って二階廊下に出た時である。

 相手はドラッグを使わずともリコの気配を感じ取る本物の獣。既に真正面、百メートルを隔ててその竜はリコの到着を待ち受けていた。


「でかいな、おい……」


 思わず独り言が漏れるほど、そのきよは圧巻であった。とげのように突き出したうろこと、床に深く突き刺さった巨大な爪。リコをまっすぐ射抜くのは、揺るぎない二つのけいがんである。腰よりも低く下げられた頭は、きようじんな足腰を利用した疾駆のための準備に違いない。その様を確認した瞬間、リコは第一のもくが外れたことを悟った。

 すなわち、屋内戦というアドバンテージの喪失である。

 翼竜なのだから、空より地、屋外より屋内の方が動きづらいだろう。その予測、に対しては間違っていない。すなわち、トビトカゲやトビヘビ、滑空技術を進化させた元ちゆうるいの竜である。リコの知っている「翼竜」とは、これであった。

 しかし再来した大恐竜時代、にはもう一つ──鳥類がいる。羽を硬質化させ、大型になったもうきんるい。これは元ちゆうるいの竜よりも圧倒的に個体数が少なく、しかし強い。空の世界の頂点に君臨する生物種である。唯一鳥の名残を思わせるくちばしは黒く固まった血で汚れ、リコは自然と腹を食われた死体を思い出してしまった。

 ぶるりと全身に走った戦慄は、つわものを前にした恐怖か、はたまた底知れぬ武者震いか。リコは愛刀の木刀を構え、一息に地面を蹴った。

 ちなみにこの木刀、さすがに単なる木の棒ではない。野生動物が爆発的な進化を遂げると共に、植物もまた進化を遂げている。ユソウボクを先祖に持つこの木。硬度、じんせい、共に鋼鉄並みであった。

 リコの果敢な踏み込みに、対する竜は不動。逃げもせぬ獲物であれば、迎え撃つが王者の構え。しかし、両者が衝突しようとする、その直前、


 ──バン!

 軽やかなさくれつ音と共に、せんこうが走る。リコの投げたフラッシュバンは見事竜の目の前で爆発した。結局、人は人である。厳しい世界で生き残るためには、惜しみなく技術を利用する。

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ヒトの時代は終わったけれど、それでもお腹は減りますか?(2)の書影
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