分析1 ラブレターを分析する ①
人の痛みに敏感になりなさい。
相手の気持ちになって考えなさい。
昔から父さんと母さんは俺にそう言い続けて育ててくれたけど、俺、たぶん、そういう人間になれたと思う。おかげでいまではスプラッタな映画は見られないし、人が傷ついているところを見るとつい顔をしかめちゃうし、たとえいきなり殴られたとしても相手が痛がるだろうなってことを考えると殴り返すことができないし。
高校生にもなってそれではあまりに腰ぬけと思われるかもしれないけれど、人の痛みに敏感になった結果がこれなんだから仕方ない。
だから、いま下駄箱で見つけたこの手紙に対しても俺はどうすべきなのかがわからない。
ちらっと中身を見たけど、たぶんこれってラブレターだよな……? 「好き」とか「お話ししたい」とか書いてあるし。
マジかよ、ラブレターだよ、こんなのもらったのはじめてだよ!
断ったり無視したりしたら、相手はひどく傷つくだろうなぁ……。好意は素直に嬉しいけれど、あいにく、
というか、そもそもこれ誰が送ってきたんだ?
他学年のところはどうなっているか知らないけれど、うちの高校じゃ二年生の下駄箱はネームプレートがついておらず
文面をささっと読んでみる。
強い愛情はそこかしこから感じるが、どうにも文面は具体的な内容に欠ける。これ、本当にラブレターなのかな。便箋が入れられてあったのは味気ない封筒だし、送り主の名前すら書いてない。
うーん……なんだかうさんくさくないか?
こいつはどうしたものかと戸惑っているうちに、いつの間にか後ろから──
「わっ」
「うわはァ!?」
びびびびびっくりしたぁなんだなんだなんなんだ。
情けなくも声を上げて振り向いたところ、後ろにいたのはひとつ年下の妹、
「ごめん、
「
トミノは。
中学まで陸上部で
中学まで陸上部で短距離走をやっていた名残か、細身だが非力すぎるほどでもない。
中学まで陸上部で短距離走をやっていた名残か、ハキハキとしたしゃべり方をする。
……いや、別に中学陸上部の短距離競技に強い偏見を持つわけではないが、うちの妹は笑えるくらい
「トキオは放課後だっていうのにのほほんとした顔してるね」
「いつでもこういう顔してるんだよ」
兄の俺が加茂
顔のつくりは似通っているが、兄妹が並んでも似ていると言われることはあまりない。それが性別の差であり俺の顔が男らしい顔つきだということなら喜ばしいことこの上ないが実際のところはまったく違う。
本当のところ、違いはたったのひとつだけ。
それはデフォルトの表情。
いつでものほほんとしているのが兄。どこでもきりっとしているのが妹。
「で、トミノ、どうした? いま帰るところか?」
「うん」
確かトミノは部活にも委員会にも所属していなかったはずだ。俺は部活に所属しているけど、積極的に参加していないので今日は欠席する心づもりであります。
「だからトキオ、一緒に帰ろう」
「は?」
「帰るんでしょ。一緒に帰ろう」
うむ、なんだそりゃ。
俺とトミノは
こいつはアヤシイ。
「どうしたんだ、今日は。何か用事でもあるのか」
用事というか、
「ううん。久しぶりに兄に甘えようかと思ったんだ」
「そうかよしよし甘やかしてやるぞ──ってなんだその甘ったるいセリフは!?」
その
お前クラスでいじめられてるんじゃね!?
兄しか
「な、なんなんだいきなり。今日のお前はちょっとキモイぞ」
「でも友達がそう言ってたもん。占いの結果、今日は身内に甘えると運が向いてくるって」
「ああ、そう…………」
なんだ、そういうことか……それなら納得だ。
なんでも信じる純真な妹の汚れなき魂に敬礼。
トミノは優秀な人間だが、生来のこの欠点だけはいただけない。俺の妹は、疑うということを知らない。占いとか、風水とか、その手のものはなんでも信じ込んでしまう。お前そのうち詐欺にあっても知らないからな。
なんでもかんでも簡単に信じ込んでしまう
さて、占いの結果兄に甘えることを決めたはいいが、申し訳ないことに、できれば今日はちょっと勘弁してほしい。妹と帰宅するよりもっと重要視しないとあとあと困りそうなイベントが靴箱に入っていたのだからしょうがない。
「あー、俺の方は用事があるんだ。ごめんな、明日登校するときは一緒に行こうか」
「別に朝は私電車だし。ひとりで行くからいい」
はっきり断られた。なんでやねん。なんで今日の放課後限定の甘えん坊なんだよ。
つーか敬愛すべきお兄様の誘いを断るんじゃねぇよ。
ちなみに俺は自転車通学。なぜか妹は電車通学。差がある理由はナイショだぞ。
「どこ行くの?」
「屋上に呼び出された」
「なんで?」
よくぞ聞いてくれた。
兄の威厳を顔中に貼り付けつつ、封筒に戻した手紙を見せつけてやった。どうだ、お前の兄は下駄箱にラブレターをほうり込まれるほどの傑物ぞ。尊敬してよいぞ。
「心配だなぁ。トキオは
「果たし状じゃない」
「てっきり」
「こいつぅ」
きりっとした顔の妹がボケてのほほんんとした顔の兄がツッコんでも、まったく笑いが発生しない。なんだこれ。冷たい空気が流れている気さえする。
「仕方ない。じゃあ先にトキオの用事を済ませに行こう」
そう言ってトミノは、なぜか俺の右腕にぎゅっと抱きついてきた。クッションを抱くような
「……なんだ?」
「え? 屋上でしょ? 早く行こう」
「なぜ俺の腕をつかむんだ?」
「そうしなきゃ甘えたことにならないでしょ。運気が上がらないじゃない」
いや、そのロジックはどこかおかしい。



