都市伝説『ベッドの下の斧男』
とある男が、自分の部屋に彼女を連れ込んだ夜の事である。
ベッドや床に寝そべり、いつも通りにダラダラとした時間を過ごしていると──彼女が突然妙な事を言い出した。
「ねえ、アイスが食べたくなっちゃった」
男が冷蔵庫からアイスを出そうとすると、彼女はもっと高いアイスが食べたいという。
「コンビニに行って買ってこよ? ね?」
男は面倒だと思いながらも、彼女の言うことだと渋々ながらコンビニへ向かう事にした。
ところが、家を出た彼女は突然顔を強ばらせると、コンビニとは反対の方向──交番の方に向かって駆け出したのだ。
わけが解らずに男が尋ねると、彼女は涙を流しながらこう答えた。
「私、見たの。あなたのベッドの下の隙間に、血塗れの斧を持った男が隠れているのを……!」
──昔から有名な都市伝説より
Aサイド『斧男の悲劇』
『先日、埼玉で起きた連続殺人事件の続報ですが、検死結果から凶器についての情報が得られました。凶器は斧や鉈といった大型の刃物と見られており、捜査当局では……』
電気屋に並ぶテレビに流れるニュースを見ながら、赤神瑠流──ルルはのんきに声をあげる。
「ねえねえ」
「ん……?」
声をかけられた方の男は、自分が見ていたMDコーナーに目を向けたまま、相方に向けて気の入っていない返事をする。
「この事件が起きたのってこの辺なんでしょ? ムーも気を付けなきゃ駄目だよ」
軽い口調で心配するルルに対し、一二三夢羽──ムーは柔和な笑みで言葉を返す。
「ルルもね」
会話だけを聞いていると、恋人同士の二人がファンシーなあだ名で呼び合っているようにも聞こえるが、二人ともれっきとした本名である。
高校で一緒のクラスになった二人は、お互いに妙な名前という事で互いに意識している部分はあった。クラスメイトから『お前らもう付き合っちゃえよ』などとからかわれる事もあったが、特に進展も仲違いもせず、良き同級生として付き合ってきた。
そして今年、2年になって同じクラスになったのだが──傍から見れば十分に恋人同士といって良い程の仲になっていた。特に惚気ているわけでもないのだが、昼飯や放課後の時間を共にしているだけで、周囲は勝手に盛り上がっていってしまった。
特に告白したわけでも、『自分達って恋人同士だよな?』という間抜けな確認もしない間柄。ルルとしては友達以上恋人未満という認識なのだが、ムーがどう思っているのかは聞いた事が無かった。
例え相手がどう思っていても、今の自分のスタンスならば関係を崩さずにいる事ができる。そんな打算的な思いもあるのだが、彼女としても特にムーとの進展を望んでいるわけではなく、今のままで十分だと考えている。
ムーは何を考えているのか今ひとつわからない所のある青年だが、ルルは特に気にしない。
そんなつかず離れずの間柄を続けながら、二人は今日も夏休みを共に過ごしていた。
街の小さな電気器具量販店を出ると、二人は徒歩でムーの住む部屋へと向かう。
少し古い小さなアパートで、簡素な住宅街の中に似たような建物が、通りを一本挟んで二軒並んでいた。
二階建てのアパートという造りには全く差異が見られないが、唯一、屋根の色が赤と青に塗り分けられている。
ムーの住んでいるのは青い屋根の方のアパートで、現在は彼一人しか住んでいないそうだ。
「まだ、他の人入らないんだ」
「んー、ここは駅からもバス停からも遠いからねえ。隣の赤い屋根のアパートも、まだ一部屋しか埋まってないんだ」
特に問題が無いといった口調で、ムーはスタスタと自分の部屋の入口へと向けて歩いていく。一階部分の一番手前の部屋で、一方の窓が道路に面した造りになっている。
ルルがこの部屋に来るのは既に五度目で、泊まった事も何度かある。
だが、泊まったところで二人の間に何かが起こるわけでもなく、未だにキスすらしたことは無い。
彼女の友人の何人かは『えー、ありえないよ、男の子の家に泊まって何もないなんて!』と驚くが、そういう人間はたいてい彼氏どころか男友達のいない者ばかりだ。
恐らくは男女交際に何か羨望や偏見でも持っているのだろう。ルルはそう判断していた。
──私は別に、何も起こらなくったっていいもん。別に彼氏と彼女の関係ってわけでもないし、そうなりたいわけでもないし。
友達でも恋人でもない、境界の上を歩くような今の立場、ルルはその場所を心地いいとすら思っていた。
だから、今日も何も起こらない。
家族にはクラスメイトの家に泊まってくると言ってあるが、噓はついていない。
適当な話をしたり、ビデオを見たりゲームに興じたりしているうちに、眠くなって寝て終わりだ。
何もない、何の変哲も無い日常の風景。
ルルは、当然それが今日も続くと思っていた。
だが──現実には、その日常は既に崩壊していた。
ルル達が家に入った時点で、ムーと共に電気屋を散策していた時点で既に──
二人の日常の中に、一つの異物が入り込んでいたのだ。
具体的に言うならば────
──ムーの部屋の、ベッドの下に。
★
「でさー、隣のクラスに針山さんっているじゃん、あの娘と仲良くなったんだけどね? 凄いよー、その娘のお父さん、有名なデザイナーなんだってさ。いろんなお店の看板とか、ゲームのタイトルロゴとかまで何でもやるんだって。金持ちなんだろーな」
「それ言ったら、うちのクラスの丸平の従兄弟は漫画家だってさ。知ってた?」
「うそ!? 凄いよ! 億万長者じゃん! なになに、ジャンプ? マガジン?」
身を乗り出して尋ねるルルに、ムーは薄く笑いながら首を振る。
「ううん、雷撃王者って雑誌で『着弾のジャマー』っての描いてる」
「へー。儲かってるの?」
「何でもお金で判断しないの。でも、アニメ化とかもするみたいだよ」
「いいなあ。やっぱり漫画家だったらアニメ化して雪祭りで雪像にしてもらわなきゃね!」
そんな意味の無い会話を繰り広げながら、ルルは床のクッションを背にゴロリと寝転んだ。
天井には安っぽい蛍光灯が吊り下げられ、白く塗られた天井がその明かりをまんべんなく照り返している。
古めのアパートとはいえ決して狭くはなく、十畳程度の広い洋室を主体として、風呂や台所もキチンと完備されている。
正直高校生が一人暮らしをするには贅沢すぎるとも言えるが、駅から離れている為に家賃は五万円程度といったところで落ち着いていた。
ルル達は洋室で雑談に興じており、ムーはベッドに腰をかけ、ルルは絨毯の上をネコのようにゴロゴロと転がっている。
「もう八時か。さすがに暗くなって来たね」
ムーが何気なく立ち上がり、窓から外の様子を覗き見る。
ルルは床に転がったまま、窓の外に見える星の出始めた空を見て、自分の胃がそろそろ充足を求めている事に気が付いた。
「ねえ、夕飯どうしよっか」
何気なく問いかけるが、聞こえていないのか、ムーは静かに外を見たままだ。
「ねえ、ねえったら」
「ん? あ、ごめんごめん。なに?」
ムーは我に返ったように振り返り、そのまま再びベッドへと腰をかけた。
「もう、あのね、夕飯を……」