ハルカはベッドの上で丸まっている。眠ってなんかいない。眠いのに眠れない。毛布の中で目を開けている。地下道の中で見たあの光景を、ぐるぐると思い浮かべている。
──あの子は、わたしと同じ顔をしていた。
おかしなもので、見た瞬間にはそのことに気づかなかった。どこかで見たことがあるのに思い出せないというもどかしさが、瞬間が瞬間でなくなるまで続いた。そして、鏡の中にしかないはずの顔が、鏡の中ではないそこにあるのだということに思い至り、「おばけ」という言葉が稲妻のように頭の中を横切った。恐怖や驚きを感じるよりも先に、おばけかもしれないその女の子は逃げ出した。
──あの子は、わたしと同じ顔をしていた。
でも、もしかしたら、見間違いだったのかもしれない──そう思い始めたのは、バイクを残していった場所まで戻ってきたときだった。それまではもう無我夢中で、とにかく地上に戻ることしか頭になかった。よく迷子にならなかったものだと思う。つまり、ついさっきまではそのくらい動転していたわけである。自分そっくりに思えたのも何かの錯覚だったのかもしれない。なにしろ、あっという間の出来事だったのだから。すぐそばで見たわけでもない。明るい場所ではっきりと見たわけでもない。
──あの子は、わたしと同じ顔をしていた。
でも、それは、きっと見間違いだったのだ──トランスポンダーを回収して家に戻る頃には、すでにそう確信していた。人間、動転しているときには、ありもしない物が見え、あるべき物が見えなくなる。自分しかいないと思っていた廃虚で突然出くわした相手の顔が、自分とそっくりに見えることだってあるかもしれない。そうに決まっている。あれは人間の女の子だ。やっぱり、自分は人類最後の生き残りではなかったのだ。この大ニュースをみんなに知らせなければならない。
──あの子は、わたしと同じ顔をしていた。
そのことは、みんなには話さなかった。地下道に入ったことを伏せたのは、叱られたくなかったから。犬に襲われそうになったことを伏せたのは、「それみたことか」と言われたくなかったから。そして、女の子の顔が自分の顔そっくりに「見えた」ことを伏せたのは、わざわざ話の信憑性を落とすこともないだろうと思ったからだ。そんなことまで話したら、ついに頭がおかしくなったと思われるかもしれない。重要なのは「女の子がいた」というそのことだ。今は、必要以上に話をややこしくするべきではない。
言いたいことは全部言って、夕食を食べ終わり、後片付けをすませてダイニングを後にした。足早に廊下を歩き、逃げ込むように部屋に入ってドアを閉め、振り返ったすぐそこに、あの女の子が自分を待ち伏せしていた。
悲鳴を上げた。
女の子も悲鳴を上げた。
ハルカの存在を感知して、部屋の照明が自動的に点った。
それは、ドレッサーの鏡に映った自分の姿だった。
ハルカはベッドの上で丸まっている。眠ってなんかいない。眠いのに眠れない。毛布の中で目を開けている。さっきの悲鳴は、誰にも聞かれなかったろうか。ドレッサーの鏡にはカバーをかけてしまった。そうしておかないと、鏡の中の自分が鏡から抜け出てきそうな気がする。
地下道の中で見たあの光景を、ぐるぐると思い浮かべている。
あれは、見間違いなんかじゃなかった。
あの子は人間の女の子で、自分そっくりに見えたのは自分の見間違いだ──ついさっきまでは、そう思っていた。そう思い込もうとしていた。しかし、毛布の中にまざまざとよみがえってくるあの光景を見つめていると、それがいかに愚かな、理解できないことを都合よく無視した、楽観的に過ぎる思い込みであったのかを思い知らされる。自分に噓はつけない。絶対に間違いはない。
自分はあの地下道で、間違いなく、自分そっくりな女の子を見たのだ。それは、
あるいは、本当に人間の女の子で、たまたま自分によく似ていたのかもしれない。
あるいは、その女の子はロボットで、たまたま自分によく似ていたのかもしれない。
あるいは、
自分は、おばけを見たのかもしれない。
あるいは、あるいは──
自分は、ついに頭がおかしくなったのかもしれない。
部屋でひとり、ベッドの上で丸くなって、ハルカはおまじないの言葉をつぶやいている。一晩中そうしていれば、おばけは鏡から出てこれないかもしれない。おかしくなった頭も元に戻って、へんなものを見なくてもすむようになるかもしれないし、ひょっとしたら記憶喪失だって治るかもしれない。ハルカは毛布の中で、声には出さずに、口の中で何度も何度も、おまじないの言葉を繰り返し繰り返し、いつまでもつぶやいている。
ひしゃまる。ひしゃまる。ひしゃまる。ひしゃまる。ひしゃまる。ひしゃまる。