一章 天国のラジオ ③

 フウは途中まで足を速めていたが、帰りを待つ人はいないと気付いて速度を落とした。例の岩場に差し掛かる。そこにはハゲタカに食い荒らされたであろう犬のなきがらが転がっている。

 適当な大岩を見つけ、そこに上った。フウの生活はいわゆるサバイバルではなく、計画的な旅である。補助金の余りで買った乾燥燃料にライターで火をつけ、そこに乾燥した木材をくべて火を起こす。フウは犬からはぎ取った肉を焼き、その肉と干した果実を食べる。肉と野菜を食べないと病気になることくらいは知っていた。

 星と月を眺め、フウはそっと目を閉じて風を感じた。まだ心には痛みがある。というよりこの痛みは一生消えないのだろう。

 フウはあることを思い出し、ポーチを開けた。取り出したのは、プラスチックでできた直方体の物体だった。色は銀色。てのひらに収まるほどの大きさで、表面には小さな穴がたくさん開いている。上の方には摘まみが二つ、銀色の細長い棒が折り畳んであった。右の側面にはスイッチが、左の側面には「FM」「AM」と見慣れない文字が描かれている。

 ラジオである。

 フウはラジオへ土下座するように手と膝をついてうなれる。

 やってしまった。

 楽しみにしていたお肉が、こんな訳の分からないこつとうひんに変貌してしまった。

 ジャンク屋の口車に乗せられてこんなものを買ってしまうとは。

 電源を入れると「ザザザ」と砂をかき交ぜたような音が聞こえた。銀色の棒を立てて、摘まみを回していく。


『ザザッ、ザザッ、ザザッ、の時、ザザッ』


 フウはハッと目を見開いた。今、人の声が。慎重に摘まみを戻す。


『──ですね。つまり、それがキンダイ的なケーザイの始まりなわけです』


 男の声が聞こえる。


『簡単にいってしまえば自分のを稼ぐだけで精いっぱいなんですね。でも、もっと効率的に農作物を生産できるようになると、資金的にも時間的にも余裕がでてくる。これが、カヘイケーザイがセイリツするドジョウになるわけです』


 穏やかな声だった。不思議と耳を傾けたくなるような。フウはラジオに顔を近づける。


『今日はショーヒンサクモツとケーザイのハナシをお届けしました。次回は明後日あさつて木曜日の六時から。テーマはカヘイのセイリツです。キンダイテキなカヘイケイザイがどのように成立したのかを考えていきます。解説はタイラクテンダイガクキョウジュ、ナカタトシロウさん、進行はドージョー・シンイチアナウンサーがお送りしました。ナカタサン、本日はどうもありがとうございました』

『ありがとうございました』


 小気味のいい音楽が流れ、何かしら一つの区切りがついたことをフウは知る。言っている単語のほとんどの意味は分からないが、商売についての話をしていたことは見当がついた。しばらくすると今度は女性の声が、「ラジオ」の穴から聞こえてくる。

 フウは強い力でラジオの穴に耳を押し当てた。フウの耳にはもうラジオの音しか入っていない。


『八時になりました。〈夜のユートピア〉の時間です』


 八時と言われてフウはハッとした。早く帰らないと。フウは火を消し、ラジオは電源を切ってからポーチに入れて家路につく。風の音が少し、いつもよりも物悲しく聞こえた。

 あ、

 フウは気付いた。ポーチに入れたラジオの電源を再び入れる。


『次にお送りする曲は出会い、です』


 別に歩きながら聞いてもいいんだ。

 穴から音楽が流れてくる。ラジオから聞こえてくる音はフウにとって衝撃だった。どうやって出しているのかも分からない幻想的な音色が極めて高い調和を保って耳に流れ込んでくる。それは不思議と、濃紺の空を走る流れ星の音に思えた。星と音楽と共に歩む家路。真珠色の水滴が悠久の輝きを放つ空の中、フウは面を上げ、そっと目を閉じる。

 ……悪くない。

 美しく繊細な男性の声で、四季の移ろいと出会いと別れ、そして自分の居場所について歌っている。その歌詞は傷ついたフウの心にみていった。


『さぁ、続いては』


 女性の声を聴きつつ、フウは妙なせきりようにかられる。この女性は、母と同じところにいるらしい。これは、百年前の音声をどこかのもの好きが流し続けているのをラジオが拾っているから聞こえるらしい。

 戦乱によって滅びた世界。その荒廃した世界に、チオウは孤独を極めてたたずんでいる。

 このラジオから聞こえる音声は、死ぬ前の、どこかの世界の誰かが残した愉快な遺言なのだ。


 ジャンク屋の親爺おやじが言う所には、戦前は他にもいくつかのでんぱがあったそうだ。ラジオという文化が無いチオウにラジオキョクなるものは無く、どこかの物好きが発信している大昔の教育チャンネルだけをこのラジオは受信する。

 その物好きは器用にも番組を当時のタイムスケジュールそのままに流していた。

 番組が始まるのは昼の十二時で、全ての構成が終わるのは夜の十二時。そこからは、その日の番組をもう一度昼の十二時まで再放送する。

 どうやら時間ごとにテーマが決まっていて、長さは一つの番組につき一時間から二時間。そして番組は曜日ごとに変わり、同じ曜日は毎週同じ構成になる。フウはこの時初めて「週」という概念に意味があることを知った。

 ラジオがフウにとってありがたかったのは、ほぼ無意味に過ぎ去っていた往復十時間もの時間を有効に活用できたことである。いくつかの番組は子どもにも分かるように作られていた。なので、フウのようなガッコウに通ってない少女でも、何日かつと聞くのにも慣れてきて少しずつ知識が付き始めた。

 今日もフウはひものついたラジオをたすき掛けにして水を買いに行った。

 地平の果てまで続く青。降り注ぐ死の太陽光線から逃げるように岩場に入ると、周りに猛獣がいないのを確認して腰を落ち着ける。ラジオのボリュームを上げ、フウはラジオの「スピーカー」を耳に当てる。こうすれば風音の中でも聞き逃すことはない。


『さぁ、〈我が大地〉の時間がやってまいりました。解説はいつものように、コウトウダイガク教授、フクモトシュウゾウさん。進行は先日結婚しましたアリタユタカです』



〈我が大地〉 火曜日と木曜日の十二時から二時間かけて、地質学の基礎やそこに生息する生物や植物について勉強する番組である。


『よろしく』


 フクモトはあいに短く返事をした。フクモトは「リケイ」というジャンルの先生らしい。


『今日も相変わらずあいが悪いですね。フクモトさん!』


 アリタアナウンサーはフクモトとは対照的に明るくてノリが軽い。


『君が陽気すぎるのだよ。全く、真昼間から鬱陶しいことこの上ない』

『相変わらずのフクモト節ですねぇ』


 とこういった雑談は五分ほどで終わる。かれにとってはかなりのハードスケジュールらしく、〈我が大地〉が終わるとそこから十分の休憩を挟んで〈クオンノダイチ〉という番組が全く同じめんで二時間始まる。かれは合計四時間もの間授業を続けるのだから大変な仕事だ。


『今日のテーマは砂漠です。砂漠というと一面に砂が広がる風景を思い浮かべますが』

『それはすな砂漠だ。砂砂漠など地球上のごく一部にしか存在しない。本来砂漠とは限られた植物しか生えない地域を指すのだよ』

『成程、砂の有無ではなく植物の有無なんですね。あれ、ちょっと待ってください? じゃあわたしたちが住む都市も限られた植物しか自生しませんよね?』

『一応は都市も砂漠だ。まぁ、ここでは自然の砂漠を扱っていくのだよ』


 フウは腰を上げ、周辺への注意を切らさないようにラジオを聞きながら歩いた。


『砂漠は限られた水分しかない。大きな山を越える時、人は体力を使う。雨雲も同じだ。山を越える頃には雲は体力を使いすぎて雨を降らせる力が残ってないのだよ。だから大陸の山に囲まれた盆地には砂漠ができやすい』


 チオウにも雨はあるが一年に一度あるかどうかだ。フウは歩きながら東の方の山脈に目をやった。たしかに雲のようなものが山頂にかかっている。あの雨雲が山を越えられないからここは雨が少ないのか。管轄区の物知りが言っていた通り、山の頂上の白い部分は水の塊なのかもしれない。


『他にも家畜が原因で砂漠化することもあるのだよ』

『家畜、ですか?』

『家畜を放し過ぎると若い草が食べられたり、地面が踏まれて硬くなったりしてその土地が劣化していく』


 フウは人が歩いて硬くなった地面を触ってみる。たしかにこれじゃ植物の種は地中に入れないかもしれない。


『畑を耕すのと全く逆のことをしているわけですね』

刊行シリーズ

こわれたせかいの むこうがわ2 ~少女たちのサバイバル起業術~の書影
こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~の書影