一章 天国のラジオ ④

『……少々ゴヘイがあるかも知れないが、そういう理解でいいのだよ』



〈我が大地〉が終わり、同じメンバーで〈クオンノダイチ〉が始まる。こちらは少々学習内容が高度になっており、フウにはかなり難しい内容だった。それが終わると今度は〈午後のユートピア〉を挟んで、歴史上の人物にスポットを当てた〈イジンデンシン〉が始まる。歴史上の偉い人の半生を物語調でつづる番組で、これもフウにとっては刺激的だった。今日は病気がちなテツガクシャの話。その哲学者は病弱故に毎日規則正しい生活を送っていたという。なんでも、町の住人は彼の姿を見て時間を確認していたという逸話もあるほどだ。


『そんな彼の名著、ジュンスイリセイ──』


 そこで突如音が途絶えた。水を買って帰りの道を歩いている途中である。訳も分からず、フウはラジオを凝視する。たたいても、アンテナを伸ばしても、ラジオはウンともスンとも言わない。

 ──死んだのか?

 母親と同じように。

 その日の夜は、ひどく静かだった。いつもはもう寝る時間なのに、フウはとんに入っても中々眠ることができない。たまらず目を開け、とんけて棚に置いてあったラジオのところまで歩いて行く。上から見下ろしてみたり、下から見上げてみたり、横からのぞき込んでみたり、摘まみを回したり、なんやかんやと色々してもラジオが音を発することはなかった。その後、とんに戻るのだが諦めきれずにまたとんから出てラジオをいじくり回す。

 結局その日はラジオを抱いて寝ることになった。

 翌朝、また五時間かけて水を買いに行った際、シモガジョウのジャンク屋に足を運ぶ。ジャンク屋の扉の前に立ったフウは違和感を抱いた。

 ……人の気配がしない?

 恐る恐る扉を開けて中に入る。カウンターにじいさんの姿はない。天窓から射した日差しの中でほこりが舞っているだけだ。カウンターの上でひときわ違和感を放つものがあった。

 それは白くて小さな一輪の花。

 雨季に時折花が咲くことはあるが、乾季にはほとんど見ない。チオウの中央にいけば売っているという話は聞くが……

 はなびらの数は四つ。上部に不自然な空白があるので、もともとはなびらは五つだったのだろう。

 欠けた花をなんとなく見つめると妙な薄気味の悪さを覚える。フウは足早にジャンク屋を立ち去った。

 フウにはまだ行く当てが残っていた。同じ通りにある「電気屋」だ。電気屋はジャンク屋とほぼ同じ大きさの建物で、劣化したコンクリートという点で見た目もほとんど同じだ。それらしい「ぴかぴか光る文字の看板」が目印だった。扉を開けると、目の前にはカウンターがある。その奥で、物々交換の価格予測紙を読んでいる若い女性と目が合った。


「こりゃ珍しい。管轄区民じゃないか」


 女性は白いタンクトップ姿で、額にゴーグルをつけている。女性はフウの持っていたラジオを見ると好奇心に笑顔を浮かべた。


「へえ、もっと珍しいもん持ってるね」


 電気屋の店主はラジオの摘まみをひねったり、アンテナを立てたり、電源を入れなおしたりした。ラジオを一旦置き、一言。


「こりゃデンチ切れだな」


 デンチの意味が分からずフウは首をかしげた。


「まぁ機械にとっての食いもんみたいなもんさ」


 言うとラジオのお尻の方をパカっと開け、光沢のある円柱の金属を取り出した。


「ほれ、これと同じ大きさのやつだ」


 店主はフウにデンチを投げ寄越す。フウはデンチを観察してから店主をじっと見た。


「その型のデンチはほとんど流通してないよ。ウチにはあるけど」


 フウはなおも店主をじっと見る。


「……しゃあないな。ちょっと待ってな」


 店主が店の奥へと姿を消すと、店の奥から箱をひっくり返したり棚から物が落ちる音が聞こえてくる。しばらくして髪にほこりを付けた店主が姿を現した。


「あったあった。ほれ」


 店主はサラのデンチをカウンターの上に置く。


「二五〇〇オウチだ」


 フウの顔が引きつった。フウの一日当たりの補助金が五〇〇オウチ。うち水が四〇〇オウチで食費が五〇オウチ。余った五〇オウチも配給で満たされない分の食料や生活必需品等の出費に持っていかれることがほとんどだ。よって、そんな大金を用意するなどフウには不可能である。


「そんな顔するな。結構シイレカカクが馬鹿にならなかったんだ。お嬢ちゃんの内臓を売れば一〇〇〇〇オウチくらいにはなるぜ」


 フウは顔をしかめて店主を見やった。


「嫌だよな。ま、品切れにはならんから金が用意できりゃまた来いや」


 フウはため息をつきながら、重いポリタンクをかついで家路についた。

 耳がひもじい。

 何年も聞いてきた風の音がひどくつまらないものに聞こえた。丁度この時間は〈オカネノハナシ〉の時間だ。「経済」の仕組みを分かりやすく解説したもので、フウにもかろうじて理解できる内容だった。フウは今まで習ったことを頭のノートに複写している。

 経済、とは皆が幸福になるように資源を分配させたり、ものを作ったり、使ったりすること。例えば二人のリンゴをほつする人がいて、二つのリンゴがあれば二人は幸福になる。でも、世界は複雑で、皆がいろんなものをほつし、それに合わせて色んなものが売られている。だから、皆に必要なものがいきわたって、誰もが幸福になるのは難しい。

 たくさんの人が欲しいと思えば思うほど、その物には大きな値段がつく。水がこれほど高いのも、それだけのお金を出してでも買いたい人がいるからだ。

 フウは、星空の下で歩みを止める。

 ……人が欲しがるものであれば、それは金になる。

 フウは自分が普段何をほつしているかを、考えてみた。丁度その時、おなかが「くう」と情けない声を上げた。



『アイデアってのはそれだけでお金を払う価値があるわ。なら、独創的な発想はぶんたちだけが得をするから。自分だけが利益を得る。商売人にとって、これ以上の殺し文句はないわね』


 それは〈社会代謝機構〉という番組で聞いた話だ。


〈社会代謝機構〉日曜以外の夜十時に放送される帯番組で、その名の通り社会のあらゆる事がテーマになる。講師はフウの好きなマユミ先生だ。

 チオウの東端、出稼ぎ労働者の町シモガジョウには旅人やスカベンジャー用の精肉加工店がある。精肉加工店は鳥や犬など、様々な肉を販売している。中には何の肉か分からない物体も陳列されていた。その裏の小さな加工場からは血と臓物の臭いが流れて来る。その精肉店の裏口に、フウは姿を現した。ゴムのエプロンを付けた大男がいぶかし気にフウを見下ろしている。


「ガキ、ここは売り場じゃねぇぞ」


 フウの傷だらけの顔を見て、男は眉を微動させる。

 フウは何も言わず、麻袋を地面に置いた。男が麻袋をさかさまにすると、野生化した犬や砂漠コヨーテの死骸がその場に落ちた。男はフウを見る。


「成程、今まで訪ねてきた中で一番小さな狩人かりゆうどだ」


 男の目つきが職人のソレに変わった。


「……三〇〇オウチってとこだな」


 そんなものか、とフウは首を垂れる。男は犬の首にナイフを当て、スッと刃を引いた。ドロ、とドス黒い血が地面に流れ落ちる。


「血抜きと内臓処理をしてればもっといい値で買ってやる」


 ほらよ、とフウは一〇〇と書かれた銅貨を三枚手渡された。フウは三枚の硬貨を握りしめその場を立ち去った。

 これではデンチを買うのはいつの日になるのか分からない。

 帰宅途中、岩場のキャンプでフウは腕を組む。正直、「呪い」を持っている犬とそう何度も戦えたものではない。今回のコヨーテとの戦いも死を覚悟した。動物を殺すのもいい気分ではない。この三〇〇オウチでもっと効率よくお金を稼げないだろうか。

 そう言えば、〈明日への案内書〉という歴史教育番組の中でボーエキの話が出てきた。いんどのしようはよーろっぱで高値で売れる……とかそんな内容だった。その場所で中々手に入らないものは、しようですら宝石を超える高値で売れるらしい。

 フウは第五管轄区に帰って住民を観察した。


「ねぇ、お母さん、のど渇いた」

「今日はもう水が無いの。今度は少し多めに買うからね?」

刊行シリーズ

こわれたせかいの むこうがわ2 ~少女たちのサバイバル起業術~の書影
こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~の書影