一章 天国のラジオ ⑤

 かれの家は普通に出稼ぎ労働者の父親がいる。父親が死んだフウの家と違って、水を買っても余るお金がある。大体十日ほどの間隔で軍用のヘリコプターが管轄区南の発着場に降りることがあって、彼らはその輸送便を使って水を買っていた。無論輸送の手間がある分、水の値段はチオウで買うものよりも高く、補助金だけで生活するフウにはなかなか手が出せない。一週間分の水を買いだめしている彼らは、長い時間をかけて水を買いに行かなくてもいい。が、気候次第で水が足りなくなることがある。そういう時は次の輸送便が来る日まで少ない水でやりくりしなくてはならない。


「お父さんいつ帰ってくるのー?」

「もうちょっと待ちなさい」


 フウの中で眠っていた何かが目を覚ます。ただ生きるだけなら使わない、脳の機能。それの名前が「ひらめき」だと知るのはもう少し後だった。


 フウはいつもより体感一時間早く起き、チオウへ向かった。再び第五管轄区に帰ってきたのは大地が夕暮れに染まる頃だ。

 フウは第五管轄区の中を歩いた。すると、昨日とは別の親子を見かけた。昨日の親子の様に子供が何かをねだっている。


「ねぇお母さん、お水」

「今度の輸送便が来るまで我慢しなさい」


 少女と母親の二人に歩み寄り、母親の肩をたたいた。


「え、水を売ってくれるの? このボトル一つで一〇〇オウチ……」


 値段を聞いた母親の顔はサソリの尾でも食べたような渋い顔つきになる。拾ったガラス瓶に入った水は、チオウで買えば五〇オウチほどで買えるだろう。


「お母さん、お水! お水!」

「その水飲んでも大丈夫なの?」


 フウはガラス瓶を太陽で殺菌したむねを説明した。



『ばい菌を抹殺する正義の剣! その名を紫外線! ギンギラギンの炎天下にとんや食器を出しとけばあら不思議! 身体からだに悪い病気のもとは漏れなく紫外線が抹殺してくれる!』



 と〈童心科学〉のアナウンサーが声高々に叫んでいた。その後講師がディーエヌエーがどうのこうの言っていたが、そのあたりは難しいので自分なりにくだいて理解していた。フウはそのくだいた内容を女性に説明する。

 水が安全だと分かると、母親はため息をつく。ボトルを三つ受け取る代わりに三枚の硬貨を出した。


「はいこれ」


 フウは微笑しながら硬貨をポケットに入れる。


「ありがとうお姉ちゃん!」


 女の子は晴れやかな笑顔を浮かべていた。フウの顔が少し熱を持つ。フウの空白の胸で、何かが鼓動をかなでるのが分かった。


「行こ、お母さん」


 晴れやかな女の子の顔を見た母親の顔が自然とほころんだ。


「そうね。ご飯にしましょう」


 そう言うと、二人は手をつないで遠ざかっていく。フウはその背中が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。あの女の子の手はどれだけ温かいのだろうか。母親が歌っていた曲を口ずさみ、フウは右手を優しく握りしめる。てのひらに返ってきたのは冷たい硬貨の感触だった。

 その日の夜、家のベッドで横になりながら金のことを考えた。この世の中は金になるものばかりだ。そして入手困難なものほど金になる。

 フウはまた一つ、かねもうけの方法を考えついた。

 だが、これは少し危険な方法になる。



『カップ麵よりはるかにいトリュフがもてはやされるのには理由があるの』



〈社会代謝機構〉のマユミ先生が言っていた。要するに手に入りにくいものは高く売れるということだ。

 フウは次の日、水を買い出しに行く道中から少し脇道にれ、第三管轄区付近の山岳地帯に足を運んだ。周辺は足場が悪く、整地された道路以外は険しい岩肌が行く手をはばむ。フウはその岩場を、比較的傾斜の緩い所を選んで登っていた。その中のとりわけけんしゆんな岩の足元まで苦労して辿たどく。その大岩の頂上付近には、枝やハンガーを集めて作られた鳥の巣があった。〈サバクオオブンチョウ〉という鳥の巣で、卵は非常に美味で高く売れる。フウはその岩に手をかけ、急な傾斜を登っていく。素手でつかむと、鋭利な岩肌に皮膚が裂け、岩の表面を血が伝った。それでもあきらめず足がかかる場所を見つけて、なんとか岩肌をがっていく。

 三〇分ほどかけて巣に辿たどくと、目いっぱい手を伸ばし、卵の一つを摑み取る。ギリギリ手に収まらないくらいの大きさで、殻は硬い。それを慎重にポーチに入れる。それだけでポーチはパンパンに膨れ上がった。

 持てるのはたった一つか、とフウは心で文句を言い、今度は岩を降りていく。これがまた難儀だった。登る時は目で足場を確認できるが、下る時はそうもいかない。靴の先で足場の感触を確かめながら降りていくことになる。もし落下して後頭部に岩がぶち当たれば命はない。

 ……たとえ生きていたとしても、後遺症を抱えて生きていけるほど第五管轄区の生活は甘くない。傷を放っておくと呪い……いや、「感染症」にかかって死ぬかも知れないのだ。

 フウは地上まで一メートルの所に来た。よし、ここまでくれば──

 フウの足をかけた岩が崩れ去り、フウの身体からだは重力に抱かれて落ちていく。フウは背中を地面に打ち付けた。尻が痛い。だけど、尻が痛いだけで済んだ。これがもし、もう一メートル高い所から転落していたら……。フウの顔から血の気が引いていった。

 なにはともあれ、目当ての卵は手に入れた。

 さぁ帰ろうかという矢先だった。少し離れた所に何か大きな獣の気配を感じた。小さな岩がいくつも斜面を転がっていく。ひときわ大きな岩の陰からぬっと現れたのは、とがった口と、芋虫のようなぜんどうする身体からだ。頭を覆うほうはつのような触手。

 ──オカアゲハだ。

 オカアゲハはチアゲハが陸上での生活に適応した種と言われている。見たところ身体からだはチアゲハより一回り小さく、個体数も少なく自ら人里には降りてこない。ここはそんなオカアゲハの縄張りだったらしい。


「ウゥ──」


 重苦しい鳴き声を上げ、口の周りの触手を目まぐるしくうごめかせる。

 フウが距離を取ろうとする度に、触手が音に反応する。フウが逃げようとすればするほど、オカアゲハはフウの居場所を詳細に特定していくようだった。チアゲハと違ってオカアゲハは能動的に自ら餌を探す動物と聞く。黙って突っ立っていてもいずれは捕食される。

 フウは一か八かの賭けに出た。急斜面を下ったところに、第三管轄区がある。フウはそこ目がけて岩場を飛ぶように走った。オカアゲハも反応し、岩の間を蛇のようにすすんでくる。フウは何度も転びそうになりながらも、大きな岩の上を飛び跳ね、駆け下りる。

 背後を振り返るとオカアゲハのくちばしがフウの目の前で開かれた。フウは地面を強く蹴り、岩から跳び降りて一髪の差で口撃をかわす。そんな命のぎわを感じる駆け引きが何度もあった。五分にも及ぶ死のレースだった。

 オカアゲハの巨体は長時間活動することに不向きらしい。それが幸いした。フウが転がるように山道に辿たどくと、オカアゲハは追走を諦め、自ら山の方へと帰っていった。

 フウは袖で汗を拭い、大きく息を吐き出した。

 助かった。

 もう一度やれと言われても二度とできない。いつぞやは頭で窮地を切り抜けたが、今回は運と体力で乗り切った。

 フウのてのひらは血まみれで、岩に幾度とぶつかった太ももやすねも青い斑点が大量にできていた。足首もひどく痛む。そうまでして手に入れた卵は無事だろうかと、ポーチのファスナーに手をかける。

 びく。と、ポーチが動く。


「ピピッ」


 何かの鳴き声がした。嫌な予感がする。恐る恐るポーチのファスナーを開けると、閉じたまぶたをこちらに向ける何かがいた。


「ピー」


 そいつはフウの気配を感じ取って高く鳴いた。もぞもぞと身体からだを動かし、卵の殻を体に張りつけたまま自力でポーチから顔を出す。サバクオオブンチョウのひなである。毛は茶色でまだ湿っていて、身体からだは健康そうだ。

 命懸けで手に入れた卵が、肉の無い鳥に……

刊行シリーズ

こわれたせかいの むこうがわ2 ~少女たちのサバイバル起業術~の書影
こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~の書影