一章 天国のラジオ ⑤
「お父さんいつ帰ってくるのー?」
「もうちょっと待ちなさい」
フウの中で眠っていた何かが目を覚ます。ただ生きるだけなら使わない、脳の機能。それの名前が「ひらめき」だと知るのはもう少し後だった。
フウはいつもより体感一時間早く起き、チオウへ向かった。再び第五管轄区に帰ってきたのは大地が夕暮れに染まる頃だ。
フウは第五管轄区の中を歩いた。すると、昨日とは別の親子を見かけた。昨日の親子の様に子供が何かをねだっている。
「ねぇお母さん、お水」
「今度の輸送便が来るまで我慢しなさい」
少女と母親の二人に歩み寄り、母親の肩を
「え、水を売ってくれるの? このボトル一つで一〇〇オウチ……」
値段を聞いた母親の顔はサソリの尾でも食べたような渋い顔つきになる。拾ったガラス瓶に入った水は、チオウで買えば五〇オウチほどで買えるだろう。
「お母さん、お水! お水!」
「その水飲んでも大丈夫なの?」
フウはガラス瓶を太陽で殺菌した
『ばい菌を抹殺する正義の剣! その名を紫外線! ギンギラギンの炎天下に
と〈童心科学
水が安全だと分かると、母親はため息をつく。ボトルを三つ受け取る代わりに三枚の硬貨を出した。
「はいこれ」
フウは微笑しながら硬貨をポケットに入れる。
「ありがとうお姉ちゃん!」
女の子は晴れやかな笑顔を浮かべていた。フウの顔が少し熱を持つ。フウの空白の胸で、何かが鼓動を
「行こ、お母さん」
晴れやかな女の子の顔を見た母親の顔が自然とほころんだ。
「そうね。ご飯にしましょう」
そう言うと、二人は手を
その日の夜、家のベッドで横になりながら金のことを考えた。この世の中は金になるものばかりだ。そして入手困難なものほど金になる。
フウはまた一つ、
だが、これは少し危険な方法になる。
『カップ麵より
〈社会代謝機構〉のマユミ先生が言っていた。要するに手に入りにくいものは高く売れるということだ。
フウは次の日、水を買い出しに行く道中から少し脇道に
三〇分ほどかけて巣に
持てるのはたった一つか、とフウは心で文句を言い、今度は岩を降りていく。これがまた難儀だった。登る時は目で足場を確認できるが、下る時はそうもいかない。靴の先で足場の感触を確かめながら降りていくことになる。もし落下して後頭部に岩がぶち当たれば命はない。
……たとえ生きていたとしても、後遺症を抱えて生きていけるほど第五管轄区の生活は甘くない。傷を放っておくと呪い……いや、「感染症」にかかって死ぬかも知れないのだ。
フウは地上まで一メートルの所に来た。よし、ここまでくれば──
フウの足をかけた岩が崩れ去り、フウの
なにはともあれ、目当ての卵は手に入れた。
さぁ帰ろうかという矢先だった。少し離れた所に何か大きな獣の気配を感じた。小さな岩がいくつも斜面を転がっていく。
──オカアゲハだ。
オカアゲハはチアゲハが陸上での生活に適応した種と言われている。見たところ
「ウゥ──」
重苦しい鳴き声を上げ、口の周りの触手を目まぐるしくうごめかせる。
フウが距離を取ろうとする度に、触手が音に反応する。フウが逃げようとすればするほど、オカアゲハはフウの居場所を詳細に特定していくようだった。チアゲハと違ってオカアゲハは能動的に自ら餌を探す動物と聞く。黙って突っ立っていてもいずれは捕食される。
フウは一か八かの賭けに出た。急斜面を下ったところに、第三管轄区がある。フウはそこ目がけて岩場を飛ぶように走った。オカアゲハも反応し、岩の間を蛇のように
背後を振り返るとオカアゲハの
オカアゲハの巨体は長時間活動することに不向きらしい。それが幸いした。フウが転がるように山道に
フウは袖で汗を拭い、大きく息を吐き出した。
助かった。
もう一度やれと言われても二度とできない。いつぞやは頭で窮地を切り抜けたが、今回は運と体力で乗り切った。
フウの
びく。と、ポーチが動く。
「ピピッ」
何かの鳴き声がした。嫌な予感がする。恐る恐るポーチのファスナーを開けると、閉じた
「ピー」
そいつはフウの気配を感じ取って高く鳴いた。もぞもぞと
命懸けで手に入れた卵が、肉の無い鳥に……



