二章 「お兄ちゃん♀」 ②
そのハロウレンのペイントにトマトを投げつけている男が一人いた。
「何が王だ! このペテン師め!」
酔っぱらっているのか、反政府の人間か、どのみち関わらない方がいいと思ってフウは見て見ぬふりをする。
そこから少し離れた場所にある工場と工場の間に、小さなコンテナが挟まるように置かれている。そのコンテナの扉にかかった
壁のコルクボードには区から受けた依頼表がピンでとめられていた。「区長の飼い犬の世話」と、「白昼の労働者の護衛」に赤い線を引いた。
『需要は金になる』の可能性をフウなりに広げていった結果、困っている人を助けて金を
フウは一時居住許可書を持っていない。だから、二日以上第五管轄区の自宅を空けると罰金を支払う必要があった。管轄区民は「税金」を払わなければチオウに居住することができない。だが、管轄区に家族を残せば特例としてチオウでの労働滞在が許される。いわゆる出稼ぎというやつだ。
そういった事情で家族もおらず税金を納めていないフウは七日の内一日だけ、このコンテナに宿泊することが許されていた。
フウはしばらく仮眠を取ると、北のゴミ捨て場へジャンク品を
夜の七時は〈明日への案内所〉の時間だ。社会系の番組で歴史を経済、政治、思想とからめて学ぶ。
『つまりそれまでの戦争では食料は略奪によって賄うのが基本だったんですね。我々の想定する補給というのは、成熟した国家、制度、技術がないと成立しないんです』
この一ヵ月は戦争にフォーカスを当てている。六時以降の番組はかなり応用的な内容になる。〈童心科学
いつ放送のストックが無くなるかとフウは気が気じゃないが、今の所二年保っている。
『──近代社会の生産力が──を可能──』
ラジオにノイズが入ってフウは不機嫌になった。チオウはいろんな電波が乱れ飛んでいるからか、電波の受信にムラっ気がある。ぶっ
母の
都市の乾いた風がいつもより冷たく感じられた。
フウはジャンクの山を見上げて一つため息をつく。気を取り直してそこから、扇風機や車のダイナモなど金目のものを目ざとく見つけて麻の袋に入れた。袋がいっぱいになると、フウは近くの公園を通って帰る。キンベイの公園は小奇麗で、木々が夜風に
フウはイヤホンをはずし、風の音に耳を澄ませながら冷たい光の中を歩いた。世界に自分しかいないような、静かな夜だった。
音が無くなると、胸の空洞が痛む気がする。静夜というものはどうやら、人のトラウマを思い起こさせるような作用があるらしい。フウは胸を押さえた。気を紛らわせるために何かをしようとポケットに入ったチョコレートバーを取り出した。チョコの層に挟まれたクッキーが
フウは足を止めた。道の真ん中にサソリがいる。「ドクトウゲ」という壁を登れるサソリで管轄区からチオウの住宅街で広く見かける。死ぬほどの毒ではないが刺されれば一週間は激痛が続くのでフウはコイツが大嫌いだった。
フウがサソリを避けようとしたその矢先だった。
「一撃、ひっさああああああああああああああああ!」
どこからともなく少女の声が
「たんぱくゲットー!」
少女は暴れるサソリを
中々えげつない
「ちょ、チョコレートだ」
少女のだらしなく開いた口からあり得ない量のよだれが、でれえぇ、と
「あぁ、」
少女の眉尻がしゅんと下がった。これはちょっと幼い子供っぽい。
「おなかが減りました」
そうですか。無言で距離を取る。
「おなかが減りました!」
強く言われたところで……
すると少女は、今度は泣きそうな顔で
「おなかが減りましたぁ……」
「はえ?」
もう一度チョコレートバーを突きつける。
「いいの?」
フウは首を縦に振った。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
お、お兄ちゃん?
呼称はともかく、ありがとうと言われるのは悪くない気がした。緩んだ笑顔を引き締め直す。もしゃもしゃと子犬のようにチョコレートバーを食べる少女の脇を通り抜け、コンテナへと急いだ。
もしゃもしゃ。という
「あわよくば泊めてくれないかとおもいまして」
泊めるわけねえだろ。言葉の通じる相手ではないと判断し、
フウはそれなりに足が速い。その辺の少女の足では追いつけまい。快足を飛ばし、閑静な住宅街を縫いながら複雑な帰路を描いてコンテナまでたどり着いた。
背後に追ってくる気配はない。フウは扉を開けてコンテナに入った。ちょっと休んだら銭湯に行って早く寝よう。私は何も見なかった。椅子に腰を下ろし、ボトルの水を飲む。
「狭い部屋だねー」
ブッ。フウは水を吹き出した。
「もう朝?」
出ていけ。扉の外を指し示す。少女がしゅんとするので、少し胸を押さえた。
「今夜だけでも」
出ていけ。より強く出口を指差した。フウがマジだと分かったらしく、少女はしょんぼりと肩を落として入口から出ていった。その体が暗闇に溶ける寸前、捨てられた子犬のようにフウを振り返る。その



