一.御柱ノ少女 ⑧

 ウィスタルは、そのりつたいいなほどのやさしいをしていた。その眼で塔の上から国を見つめ、そしてフェリオを見つめた。

 ウィスタルの指は、街を指し、かすむ山々を指し、そして雲の漂うはるかなそうてんを指し示した。


「フェリオ様。この国は、広いでしょう?」


 フェリオはうなずいた。塔から見える範囲のすべてが、アルセイフという国だった。そしてさらにその先には、まだ見たことのない他の国々と、広大な海が広がっている。

 ウィスタルは、心持ち声をひそめた。


「官僚達には、この光景が見えておりません。おそらく、あにぎみ達にも──フェリオ様。せんえつながら貴方あなたには、王宮のことよりも、この国のことを、この視点で見ていただきたいと願っております」


 そう言ってウィスタルは、分厚いてのひらでフェリオの頭をでた。


「王宮などは、この国の中における、ごく小さな閉じられた世界なのです。世界はうちもるのではなく、外へと広がっていくべきもの──そのことをどうか、お忘れなきよう」


 ウィスタルの言葉の半分以上は、当時のフェリオには意味がわからなかった。だが、その言葉だけは記憶にきざみ、数年もしてから、その意味を多少は理解したつもりになった。

 その数年の間に、フェリオはウィスタルからしんのための剣を習い、すくすくと成長していった。

 そして今は、その元を離れ、こうしてフォルナム神殿にひとり滞在している。

 フェリオはまがりなりにも王子で、ウィスタルは騎士である。二人の関係は、はたにはしゆじゆうだった。しかしもし、ウィスタルが自分にをかけてくれなかったら──フェリオは思う。自分はきっと、今のようには育っていなかっただろう。

 この神殿に来て日々を過ごす中で、フェリオは時折、そんなことを考えていた。


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 フェリオが寝室を追いだされてしばらくがつと、廊下に面した別のとびらから、ノックの音が響いた。

 親善特使にあてがわれた部屋は、廊下に面した居間を中心に、しつしつや寝室、などが配されている。

 その居間の扉を小さくたたく音に、フェリオはそっと歩み寄った。


「フェリオ様、お休みのところ、申し訳ありません」


 響いたのは、顔見知りの衛兵の声だった。

 フェリオは安心して扉を開け、自ら廊下に歩み出る。


「どうした。なにかあったか?」


 そう問うと、若い衛兵はきようしゆくしたように頭を下げた。


「はい。実は神殿内に、しんしやがまぎれこんだ可能性があるとのことで──じん様からじきじきに、ついさきほどそうさく命令が出たのです」


 フェリオはぎくりとした。眠る少女の姿がのうに浮いたが、しかし顔では平静をよそおう。


「不審者だって? どろぼうでも入ったのか?」

「いえ、どうもよくわからないのですが、あやしい人物を見つけたら、できるだけていちように保護するようにと指示されておりまして。フェリオ様も、もし何者かを見つけましたら──」


 こたえる衛兵の言葉を、かんだかい女の悲鳴がとうとつさえぎった。

 不意のその声は、フェリオの寝室から響いたものである。

 フェリオは衛兵と顔を見合わせ、ほんのすうしゆん、固まった。しかし次の瞬間には、二人そろって反応し、勢い込んで寝室へと駆け込む。

 とびらを蹴ったフェリオは、悲鳴と同時に連想した通りの光景をにして、そのくちびるんだ。

 血に汚れたはんの少女が、りようクゥナをめにし、その首筋をきつく押さえていた。寝台ベツドの上、クゥナはこんわくした様子で、悲鳴だけはあげたものの抵抗もできずに固まっている。

 少女はクゥナに服を脱がされる途中だったらしく、上半身だけがはだかだった。飛びこんできたフェリオ達をおびえた眼でにらみ、かすれがちな声を張り上げる。


「う、動かないでください! 動いたら、この人を……」


 首を押さえた指に、少女が力を込めるのがわかった。

 身構える衛兵を手で制し、フェリオはつとめて軽く声をかけた。


「待て待て。よくわからないけど、ひとじちが欲しいならおれと交換しよう。その人、おもなんだ。いま大事な時期だから、荒っぽいのはちょっと……」


 相手のせいぐつもりで、フェリオは声質をやさしくした。内心のあせりはかくし通している。

 その言葉を受けて、少女の眼がびくりと震えた。同時に、当のクゥナと衛兵も眼をく。

 クゥナが身重というのは、フェリオがとつに思いついたうそだった。もし相手が悪人ならば、そんなことは気にもしないだろうが、かりに良心のある人間であれば、そうと聞かされて乱暴な真似まねはできない。

 あんじよう、少女は目に見えてうろたえ、せわしなく辺りを見まわすと、窓にその視線をえた。

 はフェリオにも読めたが、クゥナがとらわれている以上、まだかつには動けない。

 少女はクゥナを押さえたまま、寝台から立ちあがり、じりじりと窓のそばへ寄った。

 外の様子を確認し、その腕からクゥナを離す。かんはつをいれず、自らは窓を開け、月明かりの下へと身をおどらせた。

 フェリオは息をんだ。ここは二階で、窓の外にはほりがある。数瞬の間を置いて、な水音が響いた。

 ぼうぜんとするクゥナと衛兵を置いて、フェリオも腰の剣をはずし、少女の後を追う。


「フェリオ様!? いけません!」


 クゥナの悲鳴じみた声を背後に聞きながら、フェリオは足から堀に飛び降りた。

 くらやみの中での落下は、瞬間的に背筋をこおらせた。すぐにその身は冷たい水面へと落ち、フェリオは一瞬だけ方向の感覚を失う。

 青白く月の光が照らす中に、フェリオは少女を探した。その姿を眼が見つけるよりも早く、少し先を泳ぐ水音に耳が気づく。

 見れば、少女の泳ぎはぞんがいに速かった。

 泳いで後を追いながら、フェリオは、内心でみしていた。

 少女がおとなしくさえしていれば、いくらでもごまかしようはあったのだ。何かにおびえている様子だったが、けいそつ真似まねをしたものだと思う。

 少女はほりの端にたどりつき、いしがきに打ち込まれた鉄の梯子はしごをのぼり始めた。神殿内の堀は、円を描くようにして内部を巡っており、小規模なうんとしても用をしている。防犯の意味は薄いため、ところどころに上へ通じる梯子や階段が設けられていた。


「──ったく、ついさっき、に入ったばかりだってのに」


 ずぶれになったフェリオはぼやきながら、その後に続き、梯子に手をかける。月明かりの中、少女が上から振り向いた。


「来ないで! 私に近づかないでください!」


 その悲鳴に、フェリオはかんを覚えた。声は澄んでいたが、発音がやや狂っている。御柱ピラーから出てきた時点で、この国の人間ではないだろうと予想してはいたが、改めてそのことを確信した。

 フェリオは少女に向けて声を張った。


「なぜ逃げる!? 君は、ここがどこだか、わかっているのか?」


 フォルナム神殿の周囲は、高い壁に囲まれている。四方の門以外に出口はなく、手続きをしなければ、侵入も脱出もようではない。

 このまま少女が無理に逃げようとすれば、事態がややこしくなるのはに見えていた。少女のためにことをおん便びんに運びたい一心で、フェリオは彼女の後を追った。

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空ノ鐘の響く惑星で外伝-tea party’s story-の書影
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