一.御柱ノ少女 ⑦

 かりに価値がなければないで、王族が民を助けたという〝深い〟話になる。どう転んでも、フェリオの損にはならない──あまり気は進まなかったが、フェリオはそうした形でクゥナをせつとくすることにしたのだった。

 ほんをいえば、単に少女のじようが気にかかり、ここで他人に預ける気にはなれなかっただけのことである。御柱ピラーから出てきたなどと言って信じられるはずもないし、もし気がついた彼女がそのことを下手へたに主張すれば、精神をんだ者として扱われかねない。

 だからフェリオは、彼女が起きた時にまず話を聞くのは、あの場に立ち会った自分の役目だと思った。そのためには地位を利用し、クゥナに誤解されてでも、を通す必要がある。

 身柄を預かることにしておけば、彼女が目覚めだい、必ずフェリオの元へ連絡がくる。また、そのしよぐうを巡っても、フェリオのこうがものを言うはずだった。

 クゥナは反論せずに、小さくうなずいた。


「……わかりました。そのように手配いたします」


 声には、わずかに不快感があった。

 彼女はおそらく、フェリオの本心を曲解していた。しかしこの際、フェリオにとっては、そのほうがごうがいいのである。俗物と思われたな、と、フェリオは内心で苦笑したが、それだけのことだった。

 エリオットのゆうれい話には、ただの好奇心で乗った。しかしこの少女の身に関しては、好奇心もさることながら、もっと切実なものを感じている。

 フェリオはこのことが、ただのな現象ではなく、何かのであるような予感を持っていた。それはこんきよのないことではない。柱の中の少女を見たとき、エリオットは「自分が見たゆうれいとは違う」と言っていた。後でくわしく問う必要もありそうだが、普通に考えれば、柱の中に他の人間もいるということである。

 そして少女は、気を失う寸前、フェリオを何者かとかんちがいし、〝殺さないで〟〝みんなを〟と、うわ言のようにつぶやいた。〝みんな〟というからには、彼女には仲間がいるはずである。殺さないで、というのもおだやかではない。

 あの柱の中から、この少女と同じように、また別の何者かが現れる可能性も否定できなかった。

 内心でそんなあんを巡らすフェリオに、クゥナが声を投げた。


「フェリオ様。ひとまず、この子の服を脱がして、体についた血をきます。部屋の外へ出ていていただけますか」


 さきほどのやりとりのせいか、声には多少のけんもっていた。


「あ──そうですね。うっかりしていました。よろしくお願いします」


 フェリオはわけもそこそこに、すばやく退たいさんすることにした。ここはフェリオの寝室だったが、今だけは眠る少女の寝室である。ついでに、クゥナの機嫌もそこねてしまった今は、そんなことで抵抗する気もない。

 寝室を出てとびらを閉じ、フェリオはその前にしばらく立ち尽くした。

 なにはともあれ、少女が意識を取り戻さなければ、話を聞くこともできない。

 やがて扉越しに、きぬずれの音が聞こえてきた。

 フェリオはを閉じる。

 ──遠い昔。幼いころ

 部屋に入ることを許されず、ただ扉の前で、今と同じように衣ずれの音をいていたことがあった。

 その頃の記憶を、不意に思いだす。

 それはせいさいの式典を目の前に控えた、準備の最中のことだった。

 三人の兄達は式典に出席するため、それぞれに別の部屋で着替えをしていた。

 遊び相手もいなかった当時のフェリオは、ただ一人、扉の前で兄達を待っていた。

 それはただ、待っていただけだった。

 兄達が出てきたところで、その後についていくこともなく、そのままフェリオは扉の前で、今度は兄達が式典から戻ってくるのを待つことになるはずだった。

 フェリオは王族の身ながら、その式典への出席を許されていなかった。

 まだ彼が幼かったこと、そして第四子という立場であることが表向きの理由だったが、実際のところ、フェリオは王子にして、身内には王族と認められていなかったのだ。

 そくしつの末席にいた母親は、フェリオを生んですぐにくなってしまった。その母の実家はとうにれいらくした貴族で、その両親、つまりフェリオの祖父母も、フェリオが生まれるはるか前に、馬車の横転事故によって命を落としていた。

 したがって、王宮でのうしだてとなる母方の実家もなく、また第四子という立場のために貴族達からも軽視され、王宮にフェリオの居場所はなかった。

 父のラバスダン王は、そんなフェリオをあわれがって王宮に置いたが、あまり言葉を交わした記憶もない。兄の母達からは、王のちようあいを奪っためかけに対するしつからうとまれ、〝せんの子〟と、面と向かってじよくされることさえあった。

 そんなフェリオを育ててくれたのは、世話役の乳母うばと、そして現騎士団の長である重臣、ウィスタル・ベヘタシオンである。

 幼いころのフェリオが、することもなく、ただとびらの前でぼうっと兄達を待っていた時──

 不意に太い腕が、背後からフェリオをかかえあげた。

 それが壮年の頃のウィスタルだった。

 当時はまだ王宮騎士団の小隊長で、けんわんずいいちと知られていたが、重職にはいていなかった。フェリオも彼のことは知っていたが、それまでは特に親しかったわけでもない。

 そして彼は、式典の最中にフェリオを高いとうの上にまで連れていった。

 フェリオは今も、そこから式典の様子を見下ろしたことを、よくおぼえている。

 式典はごうしやなものだった。王宮の中庭に、きらびやかな衣装をまとった王族と貴族がつどい、楽団の演奏の中で、よくわからない形式ばったれいを進めていた。

 その中には、兄達の姿もあった。

 一番上の兄は、フェリオと口をきいたことがなかった。正式な皇太子で、貴族のだれもがいちもくを置く存在だった。

 二番目の兄は、ほうとうへきのある、貴族趣味の遊び人として名をせていた。話したことはあるのだが、会話の内容は手ひどいものだった。彼はフェリオの存在を、王の〝遊び〟の結果といい、誰にも望まれない人間だと明言した。

 三番目の兄は、ゆいいつ、フェリオとも遊んでくれた兄だった。王位けいしようけんがやや遠いことと、それからとしが近いせいもあって、フェリオにとっては唯一の〝兄〟だった。それでも、彼の母親がフェリオを疎い、兄もそれをおもんぱかって、人前ではフェリオにかかわろうとしなかった。

 幼い頃のフェリオにとって、王宮は居心地のいい場所ではなかった。いつもがいされ、さびしい思いにも慣れ、そしてフェリオは笑わない子供になりつつあった。

 ふらりと現れたウィスタルが、フェリオを塔に連れて行ったのは、ちょうどそんな頃のことだった。


「フェリオ様。あれをらんください」


 ウィスタルはそう言って、たくましい腕を窓の外に突き出し、中庭の式典を通り越して、遠くのまちみを指差した。

 色とりどりの屋根の間を、幾本もの細い道が縦横に走り、その道を人や馬車がせわしなく行き交っていた。

 とうの窓から見える城下の街は、フェリオにはまるで、物語にある異世界のように見えていた。そこに大勢の人が暮らしていることは知っていても、そのことが実感としてはつかめない。

 そしてフェリオを胸にかかえたウィスタルは、野太い声でつぶやいた。


「──今、貴族や官僚達の多くは、式典を無事に済ますことだけで頭が一杯です。あにぎみ達も、おそらくはそうでしょう。ですが王宮での式典などは、この国の多くの人間にとって、ごく小さな、どうでもよいなのです」

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