一.御柱ノ少女 ⑥

 ゆるやかな曲線を描くその胸には、施療師のあかしであるほしじゆうをあしらったもんしようい付けられている。

 呼び出された施療師、クゥナ・リトアールは、フェリオに優美ないちべつを送ると、足早に寝台ベツドの傍へと歩み寄った。

 まだ二十代のなかばととしは若いクゥナだが、腕のいい施療師として、神殿内でも評価が高い。

 フェリオは場所をゆずって、施療師を少女の傍に座らせた。

 すぐにクゥナは、ランプを頼りに少女の体をはじめる。


にんは、こちらのかたですね。どのようなじようの方でしょう?」


 傷口を探しながら、クゥナが問う。エリオットはフェリオの言いつけ通り、何も知らせていないらしい。

 フェリオはすらすらと、用意していたうそを並べた。


「神殿の外で倒れていたのを、私が見つけて拾ってきたのです。まちの施療院に運ぼうかとも思ったのですが、もう夜でしたし、出血が多かったので急いでここへ──」


 エリオットの前では一人称が〝おれ〟だが、年上のクゥナの前では、公人としての立場を意識せざるを得ない。自然とその言葉づかいもそうおうのものとなる。

 クゥナはうなずきながら、さきほどのフェリオと同様に首をかしげた。


「なるほど。確かに出血が多いようです。ですが──」


 ランプの火を動かして、少女の衣服を切り口からめくり、しんちようにそのはだへ指をわせていく。


「……かんじんの傷口が、見当たりません」


 いぶかしげに、彼女はそうつぶやいた。

 クゥナは眠る少女の額に手をあて、脈をはかり、さらにはランプの光でどうこうの動きを確かめた。

 フェリオはじっと、診察の様子を見守る。


「気絶しているようですが、この血はけつによるものなのでしょうか? 体の方には、傷らしい傷が見当たりませんわ」


 りようクゥナは、そう結論づけた。

 フェリオはこんわくしつつ、寝台ベツドを染めた大量の血のあとを指差した。


「でもクゥナさん、この血は、服の内側にまっていたんです」


 クゥナがまた首を傾げた。


「確かに、まだ服の内側には血が溜まっていますね。でも傷口が見当たりません。脈も正常ですし、まるで……服の中に、血を注いで着ていたようですわ」


 フェリオは何もこたえられなかった。おおと思ってあわてたが、かんじんの少女がきずでは、施療師を呼んだ意味もない。

 だがそれでも、フェリオには彼女が無傷ということが信じられなかった。無傷ならば何故なぜ、気絶などしているのか、その原因も気にかかる。

 フェリオが裂いた少女の服に、クゥナがそっと細指をえた。


「フェリオ様。この血のことも不思議ですが……この服も、不思議な品に見えますね。とても珍しいものですが、いずこの織物でしょうか」


 クゥナのその疑問は、フェリオにも通じるものだった。少女の着ている服は、明らかにこの辺りの文化からははずれている。

 この広大なソリダーテ大陸には、さまざまな文化が混在していたが、フェリオの知る限りでは、彼女の服はそれらのいずれとも合致しない。

 フェリオの知らない異文化も多いはずだが、少女の服は明らかに、高い技術力によって作られていた。こうえき商人達が喜んで扱いそうな布なのだが、フェリオはもちろん、クゥナも見たことがないという。

 クゥナの疑問を受けて、背後からエリオットも少女をのぞきこんできた。しかし血の跡にづいて足元を震わせ、すぐに部屋のすみへと下がってしまう。気の弱いエリオットに、大量の血は刺激が強すぎるらしい。剣術しゆぎようで血に慣れているフェリオでも、あまりいい気はしない。


「エリオット、悪いけれど、この子の着替えを用意してきてくれないか」


 血のにがやさしいしんかんづかって、フェリオは用事を言いつけた。


「は、はい。では、取り急ぎ……」


 血のにおいにか、エリオットは少しよろめきながら、寝室の外へと出ていく。

 フェリオは改めて、眠る少女の顔をじっくりと見つめた。

 ひどくはだの白い、美しい少女だった。黒髪もなめらかに長く、毛の先まで手入れが行き届いている。おそらくは、日向ひなたで農作業をしたこともないのだろう。

 地位が高いのか、それともどこかの商人の箱入り娘か、さもなくば──女神のような、人ならぬ存在か。

 自分の現実離れしたもうそうを、フェリオはすぐさまに内心で否定した。そもそもフェリオは、神の実在を信じていないし、少女の体は確かに人間のものに見えた。

 眠る少女の顔にひとすじの光がかかり、それに合わせて部屋の中が急に明るくなった。

 窓の向こうで、雲にかくれていた月が、ちょうどその顔をだしつつある。

 さおな、それこそ空の色に近い青さをたたえたこの星の衛星が、やみを優しく照らした。じゃがいものような形をしたいびつな月は、この国では古くから〝そらかね〟と呼ばれている。年に一度、ちょうどせいさいころに、その月は鐘に似た音を鳴らすのだ。

 本当に月が鳴っているわけではなく、音の原因はだれも知らないのだが、そのな音は必ず空から降ってくる。そのために、月が鐘となって鳴らしているのだと古くから言われていた。

 青白い月光と、ランプの柔らかい光とが混在する部屋で、フェリオはクゥナに向き直った。


「怪我のことは、私の早とちりだったようです。クゥナさん、ごそくろうをおかけして、すみませんでした」

「いいえ。これだけの血を見れば、普通は傷があるものと思いますわ」


 クゥナは柔らかく微笑してこたえた。


「では、意識が戻るまで、この行き倒れの子はフォルナムりよういんに預けましょう。まさか、このまま放り出すわけにもいきません」


 クゥナは優しげな笑みを浮かべ、そう提案してきた。

 神殿の経営する施療院は、貧しい者達にも安価で治療をほどこしている。それは神殿のけんを守るための人気とりという側面もあったが、現場で実際の治療にあたる施療師達には、かんじやのことを真にうれえる人格者も多い。クゥナは神殿に住み込む〝神殿の〟施療師だが、彼女もまた、フォルナム施療院からけんされる形でここに滞在していた。

 まだ付き合いは浅いが、フェリオのには、信頼に足る人物として映っている。


「そうしていただけると、私も助かります」


 そう応じながら、フェリオは交渉用の柔らかい微笑をつくった。


「私がこの子を拾ったのも、何かのえんでしょう。この子は私の名を使ってりよういんにいれてあげてください。治療費も私が負担いたします」


 それは、〝がらを預かりたい〟という意味でもあった。

 クゥナはかすかに首をかしげた。王族が〝行き倒れ〟のもと引受人になるなど、前例がない。そもそも、この神殿内でのフェリオは客分の身である。見ようによっては、ですぎた真似まねともいえた。


「いえ、それには及び……」


 クゥナがおだやかに拒絶するより早く、フェリオは続けて言葉を発した。


「この子は、ただの行き倒れとも思えません。衣服も変わっていますが、様子を見る限り、それなりに地位のある方のむすめかと思います」


 フェリオは、娘の髪やはだが日に焼けていないことを暗にした。細いといい整った顔立ちといい、労働層の民には見えないのも事実である。

 クゥナのが、微妙な揺らめきを宿した。フェリオの言葉の裏をびんかんに察したらしい。

 この少女には、もしかしたら政治的な利用価値があるかもしれない──フェリオの言は、そんな意味を内包していた。

刊行シリーズ

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空ノ鐘の響く惑星で(12)の書影
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