スパイラルダイブ ⑥

 食い物屋、部品屋から始まって見世物小屋につじうらないまで、この西さいこうにはありとあらゆるトレーダーがいる。しかし、この西架坑で一番大きな顔をしているのは博打ばくち屋だ。スパイラルダイブの勝敗を客に予想させてテラ銭を取る商売である。ダイブのある日にはどの博打屋の店先の鎖も猫で鈴なりになる。楽は博打をやるようなとしではないけれど、博打屋の店先に掲げられているかけ率を見るのは楽しみにしていた。ところが、今日という今日はその博打屋こそが泣きを見る日であるらしい。通りがかりの楽がふと見れば、とある博打屋の掲げた黒板には賭率を表す数字の代わりに何やらヤケクソな感じのする文字がおどっており、露店の奥では店主と思しき太ったブチ猫がふて寝をしている。

 楽は近くの鎖につかまって、その黒板の文字をじっと見つめた。

 楽はほとんど字が読めない。楽が読めるのはせいぜいが自分の名前と数字くらいであるから、その黒板に何と書いてあるのかもよくわからない。それでも、その文字ぶりのヤケクソな感じからして何となく見当はつく。「てめえのせいで商売上がったりだ死ねほむら」とか、そんなことが書いてあるに決まっていた。

 そう思うと、何だか悲しくなった。

 ダイブを賭の対象にするのはいい。別に何とも思わない。勝手にやればいい。しかし、怪物を相手どり、死をもいとわずに挑戦しようという者に唾するような言い草はあんまりだと思った。


『おら。そんなとこでベソかいてんじゃねえよゲンくそ悪い』


 博打屋の店主と思しきブチ猫が、寝床から横目で楽をにらんでいた。楽はなおもぐずぐずと泣き、電波ヒゲからべちゃべちゃしたノイズが漏れる。トルクの猫は涙ではなく、電波で泣くのだ。


『──なんだお前、もしかして焰の身内か?』


 楽は首をふる。


『じゃあなんで泣いてんだよ』


 もごもごしたマイクロ波で、ひどいことが書いてあるから、と楽は答えた。ブチ猫は「わけがわからん」という顔をして、


『その黒板か? お前、字が読めるのか?』


 楽は首をふる。


『あのなあ、ありゃけのまじないだ。今日みたいに商売がうまくねえ日は、悪いもんが早く落ちるようにああして目につくところに呪いの文句を書いとくんだよ。あの文句がどういう意味なのかはおれだって知らねえ』


 それでも楽は泣き止まない。ブチ猫はうんざりした顔をしながらも楽を尻尾しつぽで招いた。楽はためらいがちにてんに足を踏み入れる。ブチ猫の浮き露店は大きなテントのような構造で、かぐらがひと足つくごとにぐらぐらと揺れた。ブチ猫が何か複雑なデジタル信号を飛ばすと、寝床の陰にいた八本足のロボットがのそりと身を起こして、そばにあったコンテナから大きなナイロンの袋を取り出した。細い触手のようなマニピュレータを器用に動かし、袋からでっかいゴキブリのものを一匹つまみ出して楽に差し出した。ブチ猫が言う。


『食いな』


 楽は尻尾しつぽをはたりと動かしておをすると、素直にその干物を受け取った。ひと口かじる。


『お前、ほむら贔屓ひいきなのか?』


 楽はうん、とうなずいた。


『あーやだやだ。こちとらやつのおかげで一日丸つぶれだ。くそ、ただでさえ奴のダイブは客だって集まらねえのによ。どうせ死ぬならもうちっと人の迷惑にならねえように死ねってんだ』


 楽はむっとして、


『だって、焰は強いもん。強くてかっこいいんだもん』


 驚くべきことが起こった。ブチ猫は、楽の言葉に「ああ」とうなずいたのだ。


『まあな。あんなどでかいロボットを二体もいっぺんに操るんだ、そんじょそこらのダイバーとは端から出来が違うさ。ジンバルロックからの脱出だってとんでもなく早い。おまけにバカなんじゃねえかと思うほど度胸もある。おれから見たってかっこいいよ』


 焰をまともに誉める大人を見たのは初めてだった。目を丸くする楽を横目で見て、ブチ猫はにたりと笑い、


『ナメんなよガキが。おれ様はな、お前なんぞが生まれるずっと前から博打ばくち屋でメシ食ってきたんだ。そこらの猫とはダイバー見る目だって違うさ』


 楽の小さな身体からだに喜びがはじけた。やっぱり焰はかっこいいのだ。このブチ猫は要するにプロで、そのプロも焰には一目置いているのだ。思わず喜びの踊りを踊ってしまいそうになって、ブチ猫の尻尾に押さえつけられた。出どころを失った喜びが言葉になってあふれそうになり、途端に何を言おうとしていたのか忘れてしまって、


『──あ、だからだから、その、ジンバルロックってなに?』


 そんなことも知らねえのか、とブチ猫はあきれ、


『──まあ、ガキだししょうがねえか。ほれ、敵にどつかれたダイバーが無重力の中でぐるぐる回っちまうことがあるだろう。あれさ』


 楽はきょとんとしている。ブチ猫は面倒臭そうに説明をつけ足す。


『つまりな、身体がぐるぐる回っちまったら、ダイバーにやどっちがどっちなのかわかんなくなっちまうだろ。一本の軸を中心に回転してるだけならまだどうにかなるんだが、ほとんどの場合はそうじゃねえ。慌てて身体の重心位置をくずしたり壁に接触したりして、妙なスピンがかかっちまう。こうなったらもう最後だ。そのダイバーにはもう何が何だかわかりゃあしねえ。自分がどう回っているのか、どっちがどの方向なのか、敵はどこにいるのか、自分のロボットはどこなのか。自分でやってみりゃわかるぜ。見えてる景色がでたらめな方向にすげえ勢いでぐわんぐわん回るんだ。こうなっちまったダイバーはワイヤーを壁に撃ち込んで回転を止めようとするんだが、それだってひとすじなわじゃいかねえ。回っちまってるダイバーが投げるアンカーはどうしたって真っ直ぐにゃ飛ばねえし、近くの壁にうまいこと刺さるかどうかもわからねえ。ま、そんなことする前に大抵、相手にトドメ刺されてそれまでよ』


 かぐらは納得した。それなら知っている。ジンバルロックという言葉は知らなかったが、そういう状態に陥ってとどめを刺されたダイバーはこれまでに何度も見た。

 そして、そのとどめを刺すダイバーは、いつもほむらだった。


『でも、楽は見たことないよ、焰がそんなふうになったところ』

『そりゃそうだろう。焰は、相手にぶん殴られた瞬間に、自分の身体からだにどういうスピンがかかるかを一瞬で判断して、ワイヤーを使って重心位置を変えて、身体の回転をあっという間に止めちまうからな。──ところでお前、楽っていうのか』


 うん、とうなずく。ものをもうひと口かじって、


『だったら、焰はどうして人気がないの?』

『あいつは容赦を知らねえ。そりゃあれだけ強けりゃそこらのダイバーじゃ歯が立たねえさ。ネズミが猫と戦うようなもんだ。けどな、あいつは自分の技を見せつけるなんてことにはまるで興味がねえから、やつがすげえダイバーかどうかはそれなりに見る目のある奴にしかわからねえ。実力差がありすぎるから勝負だってあっという間についちまう。派手な見せ場もロクにねえ、しかもあっという間に終わっちまうダイブなんてだれが見に行くかよ。てこたあ見物客の集まりも悪いから、おれたちみたいな稼業にも嫌われる。おれたち博打ばくち屋に嫌われちまったら最後、そりゃ人気は出ねえさ』


 人気は出ないとプロにお墨付きをもらってしまって、楽はがっくりとしおたれた。


『──でも、おじさんは焰のことかっこいいって思うんでしょ?』

『思うよ。思うけど、それと商売とは別さ。おれたち博打屋にとってはな、黒い猫でも白い猫でも客を招く猫がいい猫なんだよ。まったく焰もなあ、あれでもう少し客にサービスする色気があればなあ──』


 しばらくの間、ブチ猫と楽は二人してため息をついていた。そのうちに、楽がふと思いついたように、


かけ率はどんな?』

『ねえよそんなもの』


 いまいましげにブチ猫がつぶやく。


『焰に張る奴が誰もいねえ。賭にも何もなりゃしねえよ』


 やっぱりそれが冷静な見方というものなのだろうとかぐらは思った。万にひとつの奇跡が起こってほむらが勝つのではないか──そんな気持ちが、実は、楽の胸の中にはあったのだ。

 でも──


『おじさんも、焰は負けると思う?』


 ブチ猫はしばらく無言だった。

 やがて、こう言った。


『焰が勝つ可能性も、なくはねえ、と思うよ』


 信じられない答えに楽は飛びねた。そのままてんの天井にぶつかってしまった。びょんと床に跳ね戻ってきて、


『勝てるの? 焰は勝つの!?』

刊行シリーズ

猫の地球儀 その2 幽の章の書影
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