『竜胆の乙女』×『八千草の兄妹』書き下ろしコラボ掌編
言の葉の交わるところ
令和も初めの頃である。
田雅町の花房が再び姿を消し、内藤が捜しているというので、わたし達はバスの停車を待っていた。
田雅町のバス停で降りると、ことばの流れる川、浅野川が眼前に広がっていた。日の光を浴びてことばがきらきらと輝いている。すると突如大量の蚊柱がわたし達の身体を包んだ。
『兄妹よ、目を閉じ耳をよく澄まして浅野川のことばを聞きなさい。そこに流れるのはかつて誰かが綴ったことば。そのことばとお前たちのことばが交わった先に新しい世界は生まれます。そこに捜し求める物があるでしょう』
かつて世話になった浅野川の流れの権化、梅蚊の声である。わたし達は驚いたが、その声に従った。
わたしと笹生は和室に居た。手入れの行き届いた上品な部屋である。
そこには美しい顔をした少年がいたが、皮膚という皮膚に奇妙な赤い引っ掻き傷がつけられていた。目を凝らして見るとそれは全てことばであり、和歌や古典の引用に始まり花や鳥の名前など風流なことばが赤く刻まれていたのだった。
少年は突如現れたわたしと笹生に驚き、何故ここにいるのかと尋ねた。少年は八十椿と名乗り、わたしと笹生には決して自分の名前を口にしてはいけないと何度も念押しした。そして様々なことをわたし達に尋ねた。
ふと孔雀の描かれた襖が開き、今度は紫の羽織を着た美しい少女が現れた。少女は竜胆といい、この屋敷の主であるという。竜胆はわたし達に、今からここにやって来る恐ろしい異形を持て成さなければならないと言った。絶対に機嫌を損ねないよう、大人しく座っているように強くはっきりと言った。
間もなく異形がやって来て、不気味な影がいくつも部屋の中で揺れた。わたしは恐ろしさのあまり笹生に身を寄せた。しかし異形が手にしていたのは他ならぬ花房だったのである。
──拾ったんだ。木彫りなのに纐纈(こうけち)模様がついているのが実にいいじゃないか。
異形は花房を何度も「こうけち」と呼んだ。そして花房の歯を八十椿の肌に立て、刻まれた赤い文字を荒々しく削り始めた。赤いことばが削られる度にことばに見合った香りや音や光が血飛沫のごとく噴き出ていく。あまりの痛みに八十椿は悲鳴を上げ、それを聞く度に花房の纏う空気も不穏になっていった。笹生が言う。
「駄目だ。『こうけちさん』の方に傾いている。本人が自我を取り戻すには本名を突き付けるしかない。だけどこの場で名前で呼ぶことは……」
わたしははっと気付き、竜胆の耳元で、八十椿の肌に「纐纈」ということばを刻んで貰えないかと頼んだ。竜胆はわたしの意図にすぐに気付いたようで、大仰な針を持ち出して八十椿の白い肌にそのことばを刻んだ。
花房が「纐纈」の文字を歯で削り取ったとき、大きな変化があった。花房が異形に反抗し始めたのである。割れた顎をがくがくと鳴らし異形を拒んだ。花房としての自我を取り戻したのだった。
異形どもは呆気に取られ、畳の上に花房を捨て置いて姿を消した。竜胆が言う。
「よく思いついたわね。そう、『纐纈』には『こうけち』以外にも読み方があるわ」
竜胆はわたしの方を見て、大輪の花のごとく莞爾と微笑んだ。
瞼を開けると田雅町のバス停であった。どういうわけかわたしの腕の中には花房がある。
「なるほどね、纐纈という漢字は『はなぶさ』とも読むんだ」
携帯電話を片手に笹生が言った。わたし達はこの不思議な現象をどう内藤に説明しようかと悩みながら公民館に向かった。
(了)



