プロローグ

 死線。

 意識を限界まで研ぎ澄ますと、それが実体のごとく見えてくる。

 たとえば鼻先をかすめる剣の軌跡。

 たとえば頭上をぐハンマーの風圧。

 線は氷のように冷ややかで、星のごとくまばゆい。

 超えた瞬間、自分の命は絹糸のように断ち切られるのだろう。そう分かっているから、かわした瞬間、毛穴という毛穴より冷や汗が噴き出す。鳥肌が立ち、痛いほどのうずきに襲われる。


「次、もう一撃来るよ、パリィ!」


 パーティーメンバーの叫びが意識を呼び覚ます。

 首なしの巨人が六本の腕を振りかざしていた。手に握るのは天をく大剣達。それらが高々ともたげられ、雪崩のごとく前衛陣に降り注ぐ。

 左の聖騎士の反応が遅い。長引く戦闘で、判断が衰えていたのだろう。盾を持つ手が上がっていない。だめだ、斬られる。

 しゆんじゆんは刹那だった。

 サイドステップで聖騎士を突き飛ばす。崩れた体勢を太刀で支えて、もう一方の手でベルトからさやを引き抜く。

 死線。

 この角度・軌道を越えた途端、命が穿うがたれる境界。そのギリギリのところにさやを突き出す。

 ギギギギギギギ!

 すさまじい擦過音とともに、攻撃が受け流される。死線がねじ曲がる。獲物を見失った剣先は石畳を砕き、盛大なふんじんを巻き上げた。


「あ……」


 尻餅をついた聖騎士がまばたきする。夢からめたようにこちらを見て、


「わ、悪い、ミギリ、助かった」


 目だけで「ん」と応えて、ミギリは突進する。

 既に他の前衛は巨人に一撃を与えていた。全力の斬撃後に生じるわずかな隙を、あやまたず突いている。

 今から行って間に合うか? ……いや、迷っている暇はない。ここでダメージを与えておかなければまた長い攻防が繰り返される。守りの時間が続く。次に誰の緊張の糸が切れるか、分かったものではない。

 巨人の上体がもたげられている。

 次の攻撃モーションに入っている。離脱の時間を考えれば、もう待避してしかるべきだ。だが止まらない。足を速めて、前傾姿勢で敵のふところに飛びこむ。

 斬撃。

 手応えあり。血しぶきが舞い、もんうめきがとどろく。ただ、それで相手の攻撃がむことはない。丸太ほどもある腕がハンマーを振り回す。血で黒く汚れたつちがしらよこぎに、腹部をえぐるようにしてたたきつけてきた。

(っ!)

 危害面積が大きい。しゃがんでも飛んでも避けられそうにない。受け止める? 論外。受け流す? 無理だ。命中まであと三秒、二秒、一秒──

 ダイブ。

 緊急回避。前転を思わせるアクションは、システムに定義された無敵時間を生み出す。コンマゼロ何秒の猶予だが、敵の攻撃をすり抜けて、安全地帯──巨人の後背まで移動する。

 わっ、とパーティーメンバーが沸いた。

 パーティーチャットに『すげっ』『あそこで見切るかよ』『なんだ、あのアタッカー』という発言が流れる。

 司令塔役の修道女が手をたたいた。


「OK! 下がって! 他メンバーは援護で……って、ちょっ!?」


 ミギリははじかれたように身を起こす。そのまま太刀を構えると再度、巨人に挑みかかったのだ。


「無茶よ! そのあとの攻撃は逃げ場がなくて」


 分かっている。

 六本の手に持つ全ての武器による乱撃、射程こそ短いが至近のあらゆるものを切り刻む。前後転の無敵時間を使っても逃れられない。時間差で別の攻撃が来るからだ。一撃目をかわしても二撃目、三撃目でとらえられる。

 ぶわりと殺気が膨れ上がった。かげろうのように空気が揺らめく。

 鋼の奔流が押し寄せてきた。

 大剣によるり。

 その軌道のぎりぎり外側、姿勢が崩れるか崩れないかのぎわはんになる。軸足を入れ替えてかしいだ世界を駆け抜ける。巨人のふところに飛びこみ太刀を突き出す。

 命中!

 ぐぉっと重い感触が両手を押し戻す。だが、左足で地を蹴るようにして残りの刃をねじこんだ。直後、爆発したように鮮血がぜる。システムメッセージ、武器残置によるスリツプダメージ開始。もはや刃が抜けないのは感覚的に分かる。つかから手を離して、離脱。

 バックステップで飛んだ先にせんよこぎが来る。

 ブレードに肘を突いたのは反射的な行動だった。転がるように乗り越えて、体勢を立て直す。続けて三撃目、四撃目。降り注ぐつちがしらを紙一重で避けて、五撃目、後ろからのせんこん……だめだ、かわせない。

(つかまる)

 ──。

 衝撃はいつまで待っても来なかった。

 巨人がほうこうしている。もだえしながら、激しい血しぶきを噴き上げていた。見ている間に、『Obstacle Defeated』の文字が浮かぶ。エリアボス撃破。次領域へのゲート開放。

 はぁっ、と止めていた息が漏れる。

 よかった。スリップダメージが残りの体力を削り切ったのだろう。間一髪、間に合った。


「君! ちょっと、無茶しすぎ!」


 修道女が眉をげて走ってきた。


「絶対死ぬところだったでしょ。何考えてるの!?」

「いや……」


 崩れ落ちる敵の姿をいちべつする。


「体力ゲージ、大分減ってたし。一撃らうまでに倒し切れるかなと」

「かなって」

「おい! おい、あんたすごいな!」


 修道女を押しのけるように毛皮姿の蛮族が顔を出す。続けてひげづら狩人かりゆうどそうしんの魔道士、女盗賊ローグ。皆、目が興奮でらんらんと輝いていた。


「なんだよ、あの動き。エグすぎんだろ。タコみたいにぐにゃーって身体からだが曲がって」

「ブレードの上を転がって回避とか初めて見た」

「パルクールでもやってたのか!? ひょっとして有名選手とか!?」


 他のパーティーメンバーも続々とつどってくる。みんな鼻息が荒い。未知の珍獣でも見つけたようなまなしだ。

 思わず身を引いてしまう。


「パルクール……じゃない」

「じゃあフィギュアスケートとか?」

「……でもない」


 更なる質問を修道女が遮る。


「はい、はい、雑談は終わり! 早く次のセーブポイントを見つけましょう。もう夜も遅いし、タイムリミットのメンバーもいるでしょう?」


 それは確かに言う通りだったので、皆、三々五々散っていく。誰しも、これだけの激闘を繰り返すのは避けたいのだろう。次のセーブポイントにチェックインすれば、次回からファストトラベルでたどりつける。一度町に戻り戦利品も処理できる。

 バラバラと五月雨式にエリアゲートに向かっていく。

 ミギリもアイテムボックスの画面を開きながらあとに続いた。壊れた装備を一つ、二つと取り替えていると、かたわらにローブ姿が並んできた。修道女だ。肩が触れそうな距離。フードの顔が耳元に近づいてくる。


「ひょっとして、〝〟とかやってた?」


 一瞬固まってしまうのは避けられなかった。かすれ声が漏れる。


「なんで?」


 警戒する口調になったせいか、彼女は慌て気味に「いや」と手を振った。


「いや、違うなら悪かったけど。なんか、避ける動作がれいっていうか、魅せられたっていうか。すれすれのところでかわして。当たっているようで当たっていなくて、そう見せるのがキモって何かで読んだから」

「……」

「リアルの詮索はマナー違反だよね。ごめん。ただ、本当にれいだなって思って──」

「昔」

「……え?」

「昔やってたんだ。もう随分ご無沙汰だけど」


 口ごもる。続く言葉を見つけられず、沈黙が落ちた。


「そう……なんだ?」


 ややあって修道女は首をひねった。


「すごい動きだったけど。アバターの操作はリアルの運動神経をトレースするんだよね? 実際に身体からだが動かないと、ああはならないのかなって」

「……」

「ああ、ごめん。本当に詮索する気はないの。とにかく、君とはまたパーティー組みたくてさ。よかったらあとでフレンド登録させてよ。ログイン時間、しらせるから」


 屈託なく言って、走り去っていく。

 気づけば他パーティーメンバーからもフレンド登録の依頼が来ていた。リアルの詮索はともかく、働きを評価されて悪い気はしない。独断専行を嫌うパーティーも多いから、ここのメンバーとは相性がよいのだろう。関係をつないでおいて損はない。


「おーい、早くしろー」

「ゲート、くぐるよー」


 人影が手を振っている。

 いつの間にか肩の力が抜けていた。久方ぶりに居場所を見つけた気分になる。そうだ、何も引け目に思う必要はない。皆がれてくれるのなら、胸を張って楽しめばいい。ここでの自分はまごうことなき〝戦力〟なのだから。

 小さくうなずき、顔を上げる。


「今行く──」


 そう言いかけた時だった。

 BEEEEEEEEEP。

 視界がゆがんだ。

 ノイズが走り、色彩がおかしくなる。平衡感覚が失われる。『何?』『なんだ?』という声はパーティーチャットのものか。混乱したざわめきは、だがまたたく間に混濁して聞き取れなくなる。

 天蓋に毒々しい色のハニカム模様が浮かび上がった。

 世界観をかなぐりすてた幾何学図形には、《ALART》の文字が多数刻まれている。システム警告、緊急割り込み発生。

 あつられているうちに、耳元で女性の声が響いた。上品だが無機質な口調。


『不正アクセスを検知したため、全プレイヤーの接続を強制切断します。ログアウト可能な方は至急対応ください。データロストの可能性があります。繰り返します──』


 数秒後、全てが闇にみこまれた。

 ログアウトは間に合わない。神経インタフェースが切断され、時間感覚がリセットされ、現実と仮想の感覚がぐしゃぐしゃになる。あたかもカクテルシェイカーか何かで揺さぶられるかのように。たらに振り回されて、思考の維持さえままならない。

(嫌だ)

 薄れゆく意識の中、必死に手を伸ばす。崩れかけた世界にしがみつこうとする。

 嫌だ、離れたくない、戻りたくない。

 バシッ!

 音が消える。五感の混濁がなくなり、ノイズさえもが失われる。全てが引き潮のように立ち去り、あとにはただ無が残された。