第一章 ①

【人気オンラインゲーム、復旧の立たず】

 全世界で一億以上のユーザーを有する人気VRSLO『ダーケスト・レルム』のサービスがまり、三ヶ月がたった。

 運営会社は当初、『外部からの不正アクセス』と停止の原因を説明したものの、その後大規模なウィルス感染も判明し、復旧への道筋は見通せていない。

 識者によれば、感染ウィルスは未知のもので、大手セキュリティベンダーの解析にもかかわらず、ワクチンソフトの開発に至っていない。

 このままサービス断が続けば、運営会社の業績にも大きな影響が出ると見られ、市場関係者からは対策の強化・迅速化を求める声が上がっている。


【(用語解説)ダーケスト・レルム】

 ソウルライクオンライン(SLO)と呼ばれる高難易度のアクションゲームで、ダークなファンタジー風の世界観が特徴。

 レベル上げよりは、ゲームオーバーを繰り返し、敵の攻略パターンを見つけることで、先に進むゲーム設計となっている。

 本作はそうした試行錯誤に加えて、神経インタフェースによるアバター操作の熟練も攻略の鍵となっており、熱狂的なファンを生む一因となっていた。二〇××年のeスポーツ・エキシビションでは、著名フィギュアスケーターの××がVRインタフェースで参加、低レベルのアバターにもかかわらず、卓越した運動能力でエリアボスを撃破し、その月の動画再生数でトップを記録している。


【再開は絶望的? 既に設備解約の動きも】

 サービス停止が続くダーケスト・レルム(以下DR)について、余剰設備の解約が急ピッチで進められていると分かった。

 該当設備は、今後のユーザー増に備えて確保されていたもので、短期での再開が疑問視されたか、または事業凍結も選択肢になっていることを示している。

 ネットでは『自分の身体からだのようにキャラを動かせたのはDRだけ』、『他のVRゲームでは代わりにならない』というコメントがありつつ、『既に(別タイトルに)移動済みで、(DRが)再開しても復帰するかは不明』、『セキュリティ面の不安がぬぐえない』という意見も増えており、事業の再開に赤信号がともっている。


【専門家の視点(ITジャーナリスト)】

 サービス継続の検討は続いているようだが、さすがにもう再開は厳しいと見るべきだろう。DRは先行投資の借り入れをユーザー増でまかなう戦略を採っており、売り上げのない状態では早晩資金繰りが破綻すると思われる。運営会社の規模・体力を考えても、来月、遅くても再来月にはサービス停止が発表されるだろう──


 ガタン!

 タブレットが落ちた。

 まるで指の間から滑り降りるように、指先に潤滑油でも塗りこまれたかのように、アルミの抵抗がせて、床に吸いこまれる。画面が明るくなった。モーションセンサーが液晶の輝度を上げて、ニュース記事をハイライトする。

 ──来月、遅くても再来月にはサービス停止が発表。

〝サービス停止〟

 あえぐような声を上げて、ミギリは腕を伸ばす。

 だが車椅子の上の身体からだは、セメントで固められたように動かない。わずか数十センチ前のタブレットさえ拾い上げられない。

 くそっ、という毒づきも満足に出せない。鏡があれば、そこには能面のような顔が映っているだろう。あせりも、衝撃も、何一つ表せない凍りついた顔。

 さぁっとカーテンを巻き上げて、病室に早朝の風が吹きこんでくる。

 すがすがしい空気、柔らかな陽光。

 気持ちのよい気候の中、ただ一人、脂汗を流しつつ、力を振り絞る。滑稽なのは百も承知。だが今の自分にはこの程度さえ地獄の苦行だ。指先は──動く、左足も少しなら踏ん張れる。スリッパの底が床をとらえる。フローリングの感触。OK。

 深呼吸。慎重に、まえかがみになって。

 ……。

 ぽつりと額の汗が膝に落ちた。力がうまく身体からだに伝わらない。気を抜けばバランスを崩しそうになる。どこまでうつむけるのか、どのくらい軸足に体重を預けられるのか。びくびくしながら腕を伸ばす。

 だめだ、届かない。もっと力を入れないと、車椅子から乗り出して、そう、思い切って、前のめりに──


むくさん! 何しているんですか!」


 悲鳴のような声が背後で上がった。

 病室の入り口に看護師が立っている。

 目をみはっているのは、よほど驚いたからだろう。ナースワゴンを投げ出すようにして駆け寄ってくる。床のタブレットを見つけると、割りこまんばかりの勢いで、拾い上げて手渡してきた。


「ああもう、ナースコールしてください! 無理をしてでもしたらどうするんですか」


 大丈夫ですよ、とは言えない。

 剣幕に押されたからではなく、そもそも口がまともに動かないからだ。

 代わりに受け取ったタブレットで、タッチ入力する。まどろっこしい間を経て、スピーカーから『すみません』と合成音声が出てきた。


「本当に、お願いしますね」


 不安そうな面持ちのまま、看護師は周囲を片づけ出す。椅子を動かし、コードをよけ、目隠しのパーティションを壁に寄せる。あたかもトラブルの種を一掃しようとでもいうように。これ以上の面倒事はごめんだというように。

 そうして周りを整えられる度に、ミギリはなんとも言えない無力感に襲われる。

 もうおまえは、普通の身体からだじゃない。周囲が全力で世話を焼かないと、すぐに立ちゆかなくなってしまうんだ。そう突きつけられているように思うから。

 看護師の手が糸くずを拾う。足でほこりを払いのける。そんな小さな障害でさえ、不測の事態を招きかねないといわんばかりに。

 自尊心と自立心がまたひと欠片かけら、音を立てて砕ける。



『後天性の神経障害です。治療法はなく、進行をいかに遅らせるかが勝負となります』



 二年前に医者から淡々と告げられた時、正直何を言われているのかピンとこなかった。

 まだ症状が軽かったせいもある。たまに感じる手足のしびれ、つまずいたり物を落としたりの回数がわずかに増えた程度。念には念を入れて受診しただけなのに、一体何を言われているのか。

『平均寿命はおよそ五年です。末期には自発呼吸も難しくなりますが、人工呼吸器の使用で十年以上存命したケースもあります。つらい治療になりますので、家族の方とよく方針を話し合ってください』

 生活は一変した。最初こそ週何回かの通院だったが、すぐに訪問看護が始まり、やがて入院を余儀なくされた。

 懸命なリハビリをあざわらうように、できることが一つ、また一つと減っていく。積み上げたものが消えていく。

 それでも絶望して死を選ぶには至らない。身体からだも心も、みっともないくらい生にしがみつき、あがいている。

 そう、もう一日頑張れば、努力を続ければ、何か予想外の奇跡が起きて──

 ガクリ。

 バランスが崩れた。

 平行棒から手が離れて、倒れそうになる。胃の浮き上がるような感覚。即座に療法士が腕を伸ばして、身体からだを支えてくる。遅れてぶわりと毛穴から汗が噴き出してきた。


「大丈夫ですか」


 昼下がりのリハビリルーム。丁度食事時のためか、人の姿は少ない。

 呼吸を整えて、目だけで肯定の意を示した。リハビリを始めて、まだ何分もたっていない。最低記録を更新するにしても、早すぎた。


「無理せずゆっくりいきましょう。負荷をかけすぎると逆効果ですよ」


 無責任な気休めはよしてくれ。こうしている間にも、自分の身体からだは刻一刻と弱っていくのだ。人一倍無理をしないでどうする。奇跡を得るには相応の対価が必要なのだ。

 平行棒を握りしめて、足を踏ん張る。眠りつつある筋肉を呼び覚ます。

 苦しい。

 ただ一歩歩くだけなのに、でいねいにはまっているようだ。

 少し気を抜けば、沈みこみそうになる。ずぶずぶと床にみこまれていく。

(っ)

 療法士は困ったような顔をしつつも、止めなかった。ただ、いつこちらが転倒してもよいように身構えている。

(ひとり……で……ある……ける)

 小刻みな呼吸を繰り返し、四肢を動かす。左、右、左、右、左。震える程度のわずかな移動でも、意味があると信じて。左、右、左、右、左。


「あれ、あの人って」


 背後で女性の声が上がる。足音が複数。ぞろいな歩幅は看護師のものではない、他の患者のものか。


「俳優の……ほら」


 ああ、というひそひそ声が答える。最近、運動機能が衰えるのにつれて、聴覚が鋭敏になっていた。聞きたくない言葉まで入ってきてしまう。


「本物かな」

「本人でしょ。私、何回も出演作見たし」

がすごいって話題になってたよね……えっと、誰だっけ、名前」

むくミギリ。最近見なかったけど、入院してたんだ」


 そのあともひそひそ声が続く。かな、病気かな、見た感じ、悪いところはないけど。大分きつそうだよね。全然動けていないし。


「時の人だったのにね」


 がくっと足が崩れる。倒れかけた身体からだを療法士が支える。相変わらず困ったような顔つきのまま、それでも断固とした口調で告げてきた。


「少し休憩しましょう。一度、椅子やマットのストレッチに変えた方がよいかもしれません」