第一章 ④

「フォレンジック」


 歌うような声が響いた。


「そういう状態にDRのサーバは置かれています。しろうとさんに分かりやすく言い換えるなら、証拠保全といったところですかね。サービス停止した状態から、一切の手を加えず、動かし続けているんです。なぜそんなことを? そりゃ、ウィルスの正体を見極めるためですよ。電源落としたら、メモリの中身とか消えちゃいますからね。侵害を受けたマシンは、ワクチンを走らせるのでも、電源を落とすのでもなく、まずは現状維持。これはサイバーセキュリティの鉄則です」


 静まり返ったドームの中を、もう一度眠りアザラシは見渡した。口元がにっこりとほほむ。


「さて、勘のよい方は分かったかもしれませんが、いくら証拠保全をしても、解析しないことには話が進みませんよね。そこでセキュリティ事業者用のアクセス経路が用意されているんですよ。通常のサービス経路とは別に、専用のバックドアがDRのサーバに設けられているんです。我々が皆様にご提供したいのはこちらのルートです」


 宙空のDRサーバに、通信経路が接続される。

 経路の対向には人型のアイコンがあった。最初は眼鏡の技術者めいた外観だったが、すぐに別のアイコンに切り替わる。アザラシのお面をかぶった女性と、彼女を囲む冒険者達。

 自分達か。

 この場のプレイヤー達がDRサーバに接続している。

 ざわめきが生じた。

 話のさいはともかく、アクセス可能の結論は伝わったのだろう。高揚にも似た空気が漂う。


「要するに」


 と魔道士のアバターが挙手した。


「DRには裏口があって、あんた達はそこから自由に行き来できると?」

「まさに」

「どうしてそんなルートを見つけられたんだ?」

「企業秘密です」

「合法的な手段なのか」

「非合法に決まっているでしょう、アホですか?」


 口ごもる魔道士の横で別のアバターが手を挙げる。


「あなた方は一体なんなんですか。暴力団か何かですか?」

「ノーコメント」

「私達のことをどうやって知ったんですか」

「アクセスログを追っただけです。サービス停止後もログインを繰り返すアカウントを洗い出して、そこから連絡先を調べました」

「この件を他言したらコンタクトを打ち切ると、そうメッセージに書いてありましたが、私達の行動をどうやって監視してるんですか?」

「ノーコメント」


 ねのけるようなやりとりの繰り返しに、質問が途切れる。きつもんの熱がめていく。

 場の主導権がどちらにあるのか、わずかな間にも明らかになっていた。どれだけへりくだろうと、このおかしな女が口をつぐめば、全ての話は終わってしまうのだ。

 無力感が十分に浸透するのを待ってから、眠りアザラシはそうごうを緩めた。


「さて、基本的な認識は合ったということで、具体的な条件の説明に移りましょう。まず我々が提供するものは──もう、お分かりですね? DRサーバへのアクセス手段。つまりバックドアのアドレス情報、ID、パスワード、クライアント証明書です。おやおや、そんな不安顔をしないでください。ややこしいことを考えなくても、ボタン一つでつながるようにしますから。親切丁寧が我々のモットーです」


 しんとドームが静まる。かたむ気配が満ちる。


「逆に、お支払いいただく対価ですが、我々の冒すリスクに比べれば非常に、非常に軽微なものです。一つは冒険中の各種ログ、これは我々の今後の探索に役立てるためのもので、ログアウト時にご提出いただければ結構です。そしてもう一つは取得したグルド、手数料としていくばくかをお支払いいただければと思います」

「いくばくかってのは?」

「五割。半分ほどいただければと」


 続けて起きたざわめきには、動揺と不満の響きがあった。

 どうやらミギリ以外の者は、やはりグルドの回収を目的にしていたらしい。明らかな反発が見て取れた。かたわらのヤタローも面食らっている。ノイチゴに至っては青い顔で凍りついていた。


「静粛に」


 スーツの手が上がった。眠りアザラシの人差し指が唇に当たる。


「我々も慈善団体ではありません。かけた労力に見合うお代はいただかないと。というか、なんのもうけも出ないなら、こんな手間をかける理由はありませんよね? 逆の立場ならどう思われますか? しんさんたんして環境整えて、それを原価で提供する気になれますか?」

「にしたってボリすぎだろ。半額ピンハネとか、ヤクザの上納金かよ」


 不敵な声が女の独演を遮った。

 ロビーの反対側、ミギリから見て一番遠いところにアバターの集団がいた。

 鋭いまなしの戦士、狩人かりゆうど、修道士、魔道士。

 それらを従えるように長身の騎士が立っている。ごうしやよろいたてがみを思わせる髪、傲岸不遜に顎をしゃくり、見下すような面持ちで場を眺めていた。

「ハイペリカムだ」と誰かがうめいた。


「ハイペリカム、あれが?」

「無法クランの」


 ひそひそとささやかれる名には覚えがあった。規模こそ大手に及ばないものの、精鋭ぞろいのクランの指導者。卓越したプレイスキルを持つ一方、目的のためには手段を選ばず、アカウントBANスレスレの行為を繰り返しているといううわさもあった。

(あんな札つきまで呼ばれていたのか)

 ハイペリカムは周囲の視線を集めながら、首を傾けた。


「一つ教えろよ。あんた達、一体どうやって俺らのグルドを回収する気だ?」

「どうとは?」

「モンスターどもからぶんどった金をピンハネするような、そういうイケてる仕組みがあるのかっていているんだよ」


 眠りアザラシは肩をすくめた。「ありませんね」


「じゃあ、財布に入った金を自動で引き落とすのか?」

「いえ」

「ひょっとして、普通のプレイヤー間トレードで払わせるつもりか?」

「はい」

「はっはぁ! 聞いたかよ、おい!」


 愉快でたまらないという風に取り巻きを振り返る。


「なんともお気楽な番頭様じゃねぇか。無茶な金額を請求します、でも払うか払わないかはあなた次第ってか? んなもん払うわけねぇだろ! 持ち逃げしてドロンだ、ドロン!」


 低い笑い声が唱和する。取り巻き達は皆、小馬鹿にした様子で肩を揺らしていた。

 だが眠りアザラシの笑みは崩れない。慈悲深いとも言える表情で、ハイペリカム達を見下ろしている。


「確かに、対価を支払うかどうかはあなた方次第です。ですが、お代をいただかない限り、我々は帰り道を開きませんよ?」

「あぁ?」

「ウィルスに侵されたサーバですからね。何もかも元通りというわけにはいかないんですよ。具体的には少々ログアウトに問題が生じていまして」


 問題? と不安そうな声が別のアバターから上がる。眠りアザラシはうなずいた。


「そこらのフィールドで離脱しようとするとですね。意識が迷子になるというか、プレイヤーが覚醒しなくなるんですよ。電脳空間でさまよい続けて、サルベージできなくなるというか」


 !

 眠りアザラシは鈴の鳴るような笑い声を上げた。


「いやはや、安全なログアウトポイントを見つけるのに苦労したんですよぉ。そこでさえ挙動が安定せずに、使用の度に割りこみコードを打ちこんでるんですが。まぁもちろん、皆様が未来えいごう、ゲームを続けたいなら対価の話は忘れて結構です。どうぞ気の済むまでDRをお楽しみください」

「……」


 ハイペリカムは唾でも吐くような顔になったが、ややあって首をすくめた。


「……なるほどな、ごね得が通るようにはしてないってことか。いいさ、取られる分、稼げばすむ話だ」


 それでもう用は済んだとばかりに沈黙する。

 会話が途絶える。静寂のとばりが落ちる。眠りアザラシは満足げに顎を引き、ロビーを見渡した。


「他の方は? よろしいですか。条件をめない方がいらっしゃいましたら、遠慮なく退室いただければと」


 動く者はいない。皆、れ可能か、少なくとも妥協できると判断したのだろう。ヤタローが「五割……五割なぁ」とぼやいているが、立ち去る気はないようだった。

 かくいうミギリはそもそも金を目的にログインしていない。退室する理由はなかった。

 たっぷり十数秒の間を置き、眠りアザラシは手をたたいた。


「はい、では契約成立と見なします。たっぷりもうけて、お互いウィン・ウィンの結末にしましょう」


 目の前にプロンプトが現れる。

 どこともしれぬネットワークアドレスとID・パスワード、全てが入力された状態で〝接続〟のボタンがハイライトされていた。気づけば場の全員の前に、同じメニューが浮かんでいる。

(これを押せば)

 とくんと鼓動が高鳴る。あえぐような声が喉の奥から漏れた。

 ──また自由に身体からだを動かせる。

 唇が戦慄わななく。うずきにも似た感覚が身体からだの底から押し寄せてくる。

 震える指先をボタンに近づけた時だった。


「すみません、もう一つだけ注意事項を」


 眠りアザラシの声が響く。本の奥付でも読み上げるように淡々とした口調で、


「問題のウィルスですが、どうもフィールド上に実体として現れることがあるようです。〝スローン〟というオブジェクトを見つけたら、近寄らないことをお勧めします。過去に遭遇したプレイヤーが何人か行方不明になっていますので」


 おいおい、と理性が警告を上げる。

 今更何を言い出すんだ。明らかな重要説明事項だろう。

 ひょっとして、自分はひどくやばい橋を渡ろうとしているのでは、危地に飛びこもうとしているのでは?

 遅まきながらの警戒心は、だが自由へのかつぼうに押しのけられる。

 だったらなんだ? 尻尾を巻き、また死を待つだけの沈黙に戻るのか?

 ありえない。

 僕は僕の生を取り戻す。このボタンを押して、DRに接続して。

 指先が光に触れる。

 刹那、視界がゆがみ、全ての意識が極彩色のせんみこまれた。