プロローグ ①

 薄暗いはいきよで響いたその音は、建物の悲鳴そのものだった。しかし、それは朽ちる運命にある床や壁が自然に崩れた音ではない。何者かが起こした破壊の音。

 何かの工場跡地と思われるその場所はどこもかしこもさびだらけ。残された機材は崩れ落ち、剝がれ落ちた天井材が床に散乱している。もう何年も人に踏み入れられていないその場所は、先ほどから続いているごうおんと振動にきしみを上げていた。

 くぐもった破裂音が連続して重なる。

 銃声だ。

 続けて爆発音が響き、その音たちは徐々に建物へ近づいてくる。

 突如、爆発と見まごう勢いで工場の壁が破られた。

 現れたのは、ワニのような大顎を持った四足獣。しかし、その姿は既存のどの動物とも似つかない。何よりその体はさびまみれのガラクタでできていた。鉄材、コンクリート片、大型の歯車。すでに役目を終えた人工物たちが寄り集まって体高三メートル近くの生物となっている。


「落下物に注意!」


 巨大な四足獣を追って入ってきたのは、フルフェイスのヘルメットをかぶった武装集団。雪崩れ込むように壁穴から入ってきた彼らの数は五人程度。小型のサブマシンガンや真っ黒に染められた装備からは軍隊というより特殊部隊の印象を受ける。

 サブマシンガンの下部に取りつけられていた筒が暗がりに光る。

 放たれたのは三七ミリグレネード。目視も難しい速度で放たれたそれはガラクタの怪物に着弾すると同時に爆発する。


「ギガァッ!」


 鳴き声にも聞こえる金属が擦れ合うような音が反響する。

 怪物の体を成していたガラクタが飛散し、壁面や機材に突き刺さる。


「アーカイブ! 今だ!」


 ひと際若い青年の声が響いた。

 瞬間、巨獣の前に巨大な黒い網が出現する。よく見ればその黒い網は無数の文字の集合体。明らかに世の理外にある物体だった。

 突然現れた文字の網に反応できず、巨獣は網に激突する。

 不可思議な文字の網の強度は相当なもので、巨獣の激突に耐えるどころか激突してきた巨獣の体が切り裂かれるほどだった。

 みみざわりな金属音が鳴り響き、さびまみれの金属片が周囲に散らばる。

 ガラクタの塊でできた獣は悲鳴もあげない。代わりに自らの正面、黒い網の向こうでたたずむ一人の少女をにらみつけた。

 地上五メートルほどの高さの作業員用の足場。そこに立っていたのは金髪の少女だった。肩口にかかる程度のミドルヘアと切れ長の釣り目から、冷たい視線をガラクタの獣に向けている。彼女は赤い麻ひもあやとりのように幾重にも指に通して掲げていた。


「ガガギィガァ!」


 ガラクタでできた獣のえたような動きとともにみみざわりな金属音が室内に響き渡る。固い網など構うものかと少女に襲い掛かろうとするが……


「畳みかけるぞ!」


 再度青年の若い声が工場に響いた。その声を合図に巨獣の周囲に展開していた武装集団たちが一斉にグレネードランチャーを放ち、巨獣の体を四散させていく。

 巨獣の体を作っていたガラクタが宙を舞い、爆音に破砕音が重なりその体が崩れ落ちる。


「ありました!」


 金髪の少女が透き通った声をあげて、巨獣の体を指さす。彼女が示した先は崩れた巨獣の頭部の中。ガラクタ塊の中に赤く光る古ぼけた歯車があったのだ。大量の爆撃を受けたはずなのに、その歯車は不気味なほどに傷一つついていない。


もりさん!」

「おうっ!」


 声とともに一つの影が風のように飛び出す。

 それは武装集団の先頭にいた青年だった。としは一七歳ほどだろうか。ややくせ毛気味の黒髪と若干口角が上がった顔立ちが特徴的だ。

 一人だけヘルメットをかぶっていないことといい、ボディスーツに身を包んでいる彼は他の隊員と比べ比較的軽装だった。

 駆け抜ける彼はその現代的な装備とは不釣り合いな一本の剣を右手に握っていた。

 さやに収められたままのその剣は、一目には儀礼用の剣ではないかと思うような派手な剣であった。何せ柄からさやまで金一色。そのさやにもこれでもかというほどに宝石がちりばめられているのだから。つかがしらからは武骨な鎖が伸びており、抜刀を恐れるかのようにさやに巻き付けられていた。

 半壊した体で狂ったようにのたうち回る巨獣。青年はそれに臆すことなく足を止めずにさやに収まったままの剣を構える。狙うはむき出しの赤く光る歯車。

 振るわれた巨獣の尾をすんでのところでかわし、鎖の巻きつけられた剣を僅かに抜く。

 しかし、その瞬間巨獣が不快な声で叫ぶ。

 すると古ぼけた歯車が放つ光が一層強くなり、廃工場の機材や天井の鉄骨までもが突如としてバラバラになった。ネジやボルト、支えとなっていた建材のかみ合わせも全て解かれ、光を浴びた人工物は単なるガラクタへとなり下がる。

 新たに生み出されたガラクタは落下の軌道を変え、はじかれたように巨獣へと向かっていく。


「チッ。また再生かよっ!」


 剣を携えた青年が苦い顔をする。先ほどから追い詰めるたびにこれでらちが明かない。しかも、突如大部分を分解させられた廃工場そのものが地鳴りを上げて崩壊の悲鳴をあげている。

 青年の視線が周囲に走る。

 目の前のチャンスと崩れゆく工場。隙なく構えるフルフェイスの仲間達。


「全員退避! ここは俺が仕留める! 急げ!」


 武装兵達がしゆんじゆんしたのは一瞬。「了解」の声を残し、彼らは落下物を避けながら外へと駆けていく。

 降り注ぐれきの雨の中、仲間を背に青年は巨獣へ向けて地を蹴った。

 赤い歯車はまだ見えている。集められていくガラクタで今にも隠れてしまいそうだ。

 だが、

(俺のほうが先に届く!)

 直線距離にして二メートルもない。新たなガラクタが歯車を覆いつくすより先に、あの背の上にたどり着ける。

 引き延ばされる時間。研ぎ澄まされた神経が一瞬を長くしていく。

 青年の記憶ではこの廃工場は三階建て。れきが頭に当たるだけでも重傷。運が悪ければ即死。そうでなくとも生き埋めとなって死ぬだろう。

 つまり、

 これから起きうるであろうことにも構わず青年は駆ける。降り注ぐれき。鉄骨や天井材が床に激突し、何重にも破壊音が反響する。

 青年がさやから剣を引く。抜ききらぬように慎重に。

 あお

 僅かにのぞいたその刀身は、灰でもかぶっているかのように、暗く鈍い色をしていた。

 この刀身を全て出しきれば、化け物になるのは彼のほう。

 れきの間を縫って差し込んだ陽光に、刀身が鈍くきらめき青年の頰を巨大な鉄骨がかすめる。

 そうじんが赤く光る歯車に届いた瞬間、廃工場は完全に崩落した。

刊行シリーズ

蒼剣の歪み絶ちIII 正義の最果ての書影
蒼剣の歪み絶ちII 色無き自由の鉄線歌の書影
蒼剣の歪み絶ちの書影