第一章 無題 ~イエロー・エンデミック~ ⑤

 しかし、


「いまのうちに……切って……」


 消え入りそうな声は絶望に暗く、彼女は痛々しいほどに体を震わせていた。


「な、なに言ってるんだよ。そんなことしたら君が」

「いいんです! あんな本、この世にあっていいわけない! お母さんも、友達もみんな消した、あんな本なんて……!」

「一応あなたが命ずれば被害者たちは帰ってきますが」

「そんなこと……」


 淡々と吐いた言葉がいかに残酷であるかをアーカイブは理解していない。

 きっと《無題タイトレス》に命じれば消えた人は帰ってくるだろう。彼女と同じ、人ではない何かとして。それを彼女が望むかなど考えるまでもない。


「いや、もうあれは破壊しない。対象の無力化を確認して、コントロール可能なこともわかった。君と一緒に保護させてもらう」


 精一杯優し気な笑みを浮かべて、もりは涙を流す少女の肩をたたく。

 もりの個人的な事情としても、この本は破壊よりも調査に回したいという思いもある。

 だが、


「今回の任務は対象の破壊です。規定違反では」


 アーカイブから発せられた言葉。感情のない瞳がもりを捉える。

 けんのんな目をもりは返した。わずかに空気がこわる。


「なら、お前は殺したほうがいいって思うのか」

「私は何も思っていません。それに、少なくとも私がそうするとも決まっていません。ただ、規定の話をしただけです」


 アーカイブは静かに目を閉じて口をつぐんだ。

 もりは眉間にしわを寄せたままため息を漏らした。

 しかし、ふじなかは首を振る。


「……アーカイブさんの言う通りです。このまま切ってください。こんなのあり得ないよ……。私もう……こんな姿で、生きているとも言えるか分からない状態で……存在していたくない……」


 ピクリと、いらった様子のままのもりの眉が動いた。


「それに、町の人たちも私のせいで消しちゃって……そんな私がこれからまともな人生なんて、送れるわけないじゃないですか……送っていいわけが……」

「甘えるな」


 ビクリと少女はもりの顔を見た。そこには、先ほどの優し気な顔と打って変わった、怒りの表情を見せた青年の姿があった。


「消えた人は戻ってこない。たとえ理不尽であっても君が惨事の引き金になった事実も変わらない」


 もりは少女を正面から見据える。


「あの本は確かに危険だ。消すべきだって考えも正論だ。でもそれを君は現実から逃げたいためだけに言っている」

「でも……!」

「俺は君を殺さない。つらさを背負っても、君は生きるべきだ」


 脳ににじむ真っ赤な記憶。

 血だまりに倒れ伏す切り刻まれた死体。その中心に立つ自分自身。優しくしてくれた人、襲い掛かってきた人、その誰もが絶命している。他ならぬ、もり自身に殺された人々。……彼の意志とは関係なく。


「……じゃなきゃ、君の家族も友達も、本当にただ無意味に死んだことになるぞ」

「……!」


 少女は息をむ。


「君はちゃんと生きられるはずだ。俺達と違って君の運命はまだ決められてないんだから」


 少女はその場にくずおれ、ただひたすらに泣き続けた。



 こうして、《無題タイトレス》の一件は終了した。

 ふじなか つぎは《無題タイトレス》と共に保護。もりの所属する金死雀カナリアの大本、ノアリーグループが所有する保護区に移送することになった。彼女の運命はこれからの彼女次第だ。

 とはいえ、移送までの手続きは時間がかかるので、もりとアーカイブは、今夜彼女の家に泊まることになった。

 豪勢なリビングで二人はテレビを前にしたソファに腰を下ろしていた。ふじなかは自室で必要なものをまとめている。

 しっかりと弾力を返してくるシートに身を沈めながら、アーカイブはノートパソコンに報告書を書き込んでおり、もりは携帯端末を耳にあてて通話していた。


「……はい。だから残りの手続きをお願いします」

『おーけー。それにしても、本当に破壊しなくていい理由を見つけてくるとはね』

「……たまたまですよ」

『たまたま、ね。君が言うととても悲しい言葉に聞こえるよ。手続きは任せなさい。デスクワークが上司のお仕事だからね』

「……ありがとうございます。なんさん。すみません……いつも世話になって」

『なんだい急にしおらしく。いいさ。じゃ、ちゃんとふじなかくんのフォローしてあげてねー』


 通話が切れる。もりは深く息を吐いて背もたれに体を預けた。


「お疲れ様です」


 隣で作業をしていたアーカイブが伸びをしながら口を開く。


「今回のあなたの不幸はティルフィングをどれだけ満足させられましたか?」

「…………」


 もりは右腕の袖を下に着ているボディスーツごとめくる。昼には手の平まで届いていた炎のような模様のあざは、肘と手首の間あたりで子供の拳ほどの大きさになっていた。


「それなりに満足したらしい。《無題タイトレス》を斬るか斬らないかの葛藤がお気に召したのかね」

「自ら強いた運命でしょうに、なかなかいい性格をしていますね」

「全くだ」


 脇に置いていたごうしやな剣に青年は苦々しげな視線を向けた。


「……そういえば、あの子の友達にもいたけど、事件当時消えなかった人も何人かいたんだよな? あれはどういうことだったんだ?」

「ああ、その件ですか。私も不思議に思っていましたが、この家にあったいくつかの本を見たときにわかりましたよ」

「え、マジで?」

「ええ。《無題タイトレス》は特定の文字だけ食べないようです。消滅をまぬがれた人はその文字が名前に入っていたんですね」

「その文字って?」

「『藤』、『中』、『朝』、『日』の四文字です」

「……おいおい」


無題タイトレス》を使い一代で巨額の資産を築いた男、ふじなか あさ

 かの男は歪理物ヴアニツトからしても食えない男だったらしい。

刊行シリーズ

蒼剣の歪み絶ちIII 正義の最果ての書影
蒼剣の歪み絶ちII 色無き自由の鉄線歌の書影
蒼剣の歪み絶ちの書影