第一章 無題 ~イエロー・エンデミック~ ④

 青年は降り注ぐ牙や爪を身一つで全てかわし、化け物の一体を対面の壁まで蹴り飛ばした。

 まき散らされる暴力の嵐。そのちゆうですべてをじゆうりんしたのは、もり しんだった。

 鎖の巻かれた剣を抜くこともなく、そのさやと拳で化け物たちを瞬時に地面にたたせる。なんの特別な力も用いず、ただ純粋な格闘術で。


「やっば……」


 鬼神ごとき彼の様に圧倒され、少女がそうつぶやく。

 アーカイブが彼女に諭す。


「心配しなくても大丈夫ですよ。彼は死にません。いえ、死ねません」


 次々と現れる恐ろしい怪物たちをほふっていくもり。彼の動きは人間の枠には収まっているが、人間離れはしていた。

 抜かれないままの彼の剣が窓から差し込んだ光に輝く。剣を振るう彼の手には炎のような青黒いあざ


「願いをかなえるかわりに人を破滅させる魔剣、ティルフィング。その魔剣に彼は『生きたい』と願いました」


 矛盾した願い。しかし、矛盾していても願いは願い。

 結果として彼は、いかなる状況でも生き残れる人間となった。一七歳の青年が持つには不釣り合いすぎる戦闘スキルを身に付けさせられることで。

 怪物の叫び声があがる。

 オオカミと人間を足したような獣人が腕を切り落とされた苦痛の声。

 もりが、さやから半ばほど抜いたティルフィングで切り落としたのだ。

 ティルフィングの刀身を見たふじなかは不安を覚えた。

 彼が僅かにのぞかせたその刃は、しようでもまとっているかのように青の混じった鈍い色をしている。

 再びそうじんきらめく。

 怪物の腕が切り落とされ、そのままもりはティルフィングをさやから抜き切らず怪物たちをじゆうりんしていく。


「だから彼は簡単には死にません。かの剣がそれを許しません」


 襲い来る怪物の間を縫ってもりが理外の本へと近づいていく。

 手に持つはティルフィング。北欧神話において、『なんでも切れる剣を作れ』と脅されたドワーフの呪いとともに打たれたとされる剣。

 その切れ味は文字通り全てを斬り割く。たとえ異常な破壊不可能体アンブレイカブルであっても。

 柄とさやを持ち、刀身をさやから半分ほど抜いたままの状態でもりは剣を振るう。剣に鎖が巻き付いたままなので、斬る際に鎖が引っかかるはずだが、不思議なことに鎖など存在しないかのように、彼のけんせんよどみはない。

 青年が《無題タイトレス》へと一気に駆け、半ば抜いた剣を振るう。

 あおの軌跡を輝きと残したいつせん

 しかし、刃が達する直前で《無題タイトレス》から飛び出した怪物がもりを吹っ飛ばした。


「ぐあっ……!」


 あせりすぎたかと思いながら即座に彼は体勢を立て直す。だがいつ報いた。彼のいつせんは《無題タイトレス》の端を五センチほども切り落としていた。

 ヴ、ヴと怪物たちや床の刀の姿がブレ、その姿の奥に大量の文字が透ける。本とダメージが直結している証拠。おそらく本を破壊しきればこの怪物たちも消える。

 よく見ると周囲の置物のいくつかも同様に姿をブレさせていた。

 やはりアーカイブの予想通り、ふじなかの父親は色々なものを本に出させて使っていたらしい。

(本を傷つけたことで化け物どもの動きが鈍った。行ける!)

 どんな原理かは知らないが、《無題タイトレス》は欠損した部位を大量の文字で埋めて再生しようとしている。やるなら今だ。

 再び剣を構え直して駆けだそうとしたそのとき、


もりさん! 待ってください!」


 背後からかけられた調査員の声が彼を引き留めた。

 驚いて振り返った彼はさらにその目を見開いた。


「あ……あぁ……!」


 悲痛な少女の声。



 アッシュブラウンの髪の少女、ふじなか つぎの姿が揺れ、体に大量の文字が透けていたのだ。



「なっ!」


 冷や水を掛けられたかのような感覚がもりを襲った。

 絶望的な分析が彼の頭に浮かぶ。

 あらゆるものを《無題タイトレス》に作らせたその持ち主、ふじなか あさは自分の娘すら《無題タイトレス》に作らせていたのだ。

 子宝に恵まれなかったのか酔狂かはわからない。だが、事実として、彼女は怪物たちと同じように姿が不安定になっている。


うそだろ……」


 もりの手から力が抜ける。

 つまり、今ここで《無題タイトレス》を破壊すれば……ふじなか つぎは死ぬ。


「うそ……なんで……私も……嫌だ……やめてよ……」


 青ざめた顔で文字の透けた手を見下ろすふじなか。彼女の体に文字が透け、ネイルの施された爪の先まで浮かび上がっては消えていく。

 その悲惨な現実にもりはどうすればいいかわからなくなる。

(どうすれば……どうすればいい……!)

 それは決定的な隙となってしまった。

 依然としてもりを襲おうとしていた化け物が鋭い爪をもりに振り下ろした。

 反応するがもう遅い。人の頭ほどの大きさの爪がもりの防御をかいくぐり、彼の頭に──


「もうやめてよっ!」


 少女のどうこく

 その言葉を合図としたかのようにピタリとすべての化け物の動きが止まった。


「え……?」


 もりが戸惑いの声を上げたが、叫んだふじなか自身も今の光景にぼうぜんとしていた。


「え……なに……?」


 恐る恐るもりが防御姿勢を解くが、化け物たちに変化はない。

 戸惑う一同だったが、唯一冷静だったアーカイブが口を開いた。


「ふむ……。ふじなかさん。何かあの本に命令を言ってみてください」

「え……、じゃあ、この怪物たちを消して……」


 恐る恐る彼女がそう言った途端、糸が切れたように怪物たちは床に倒れこんだ。消えてはいないが、無力化したのは確かだ。おそらく《無題タイトレス》は一度出したものを消すことはできないのだろう。


「やはりそうですか。気になっていたんです。ふじなか あさはこの本を使っていろいろなものを出していたことは推察できますが、どうやって《無題タイトレス》をコントロールしていたのだろう、と。原理は不明ですが、やはりコントロールするすべがあったんですね」

「でも、ふじなかは声に出して言っただけだぞ?」

「所有者の言うことだけ聞く、とかそういったたぐいのものでしょう。《無題タイトレス》を使って成功を収めた男です。自分の娘を作る際、娘もコントロールする力を備える設定にするくらいのしたたかさは持ち合わせていると思います」


 理想の娘像を書いて《無題タイトレス》に食わせ、作り出させる。

 その機械的で無情な手段にもりは顔をしかめた。

 作り物のような容姿の少女も自身の胸に手を当てて顔をゆがめていた。自身の出生の真実と父親の無情さ。その絶望を推し量ることは誰もできないだろう。


ふじなかさん。実験です。文字を食べないように命じてください」


 淡々とそう言うアーカイブに、ふじなかは「文字を食べないで」と抑揚のない声で言った。

 その声に反応し、《無題タイトレス》はまとっていた緑の光を消失させた。

 アーカイブは手帳を出すと何かを書き込み、もりたちへ見せた。『もり しん』という文字の書かれたページを。


「ふむ。確かに文字はもう食べないようですね。何も起きません」

「おい。消えたらどうすんだそれ」


 なにはともあれ目の前の脅威は去った。もりはティルフィングをさやに納め息をついた。

刊行シリーズ

蒼剣の歪み絶ちIII 正義の最果ての書影
蒼剣の歪み絶ちII 色無き自由の鉄線歌の書影
蒼剣の歪み絶ちの書影