第一章 無題 ~イエロー・エンデミック~ ③

 廊下を進み、案内されたのは何の変哲もない木製の扉。他の家の扉と比べればなかなか大きいが、特筆すべきことはそれくらい。細かい装飾が施されいかにも高級感あふれる代物だが、それ以外特段変わったところはない。

 この先が書斎となっており、くだんの本が存在している。

 アーカイブが口を開く。


「本が書斎にある間は周囲に何も起きないそうなので、この書斎は一種の結界なのかもしれませんね」


 そしてその結界の中に踏み入れようとしている。

 握りしめるノブが重い。だが、それは心が生み出した虚の感覚だと断ち切って、彼は扉をあけ放った。

 書斎、というにはいささか不思議な場所だった。

 まず本が少ない。部屋奥に鎮座する大きなづくえの隣に本棚がひとつあるくらいで、そこにも本は数冊しか収められていない。それ以外の棚は、高そうな置物と家族の写真など本以外のものが収められている。

 文字を食べる本がある部屋なのだから、こうなってしまうのだろう。他の本を持ち込んだところで意味がない。

 づくえの上には一冊の本が置かれていた。


「あの本が、今回の対象、《無題タイトレス》です」


 隣に並んだ調査員が指さす。

 タイトルすら刻まれていない古い装丁の本。緑の表紙には傷や繊維立ちが目立ち、何度も開かれたことが窺える。ただ普通に机の上に置かれている本のように見えるが、確かにあの本は文字をらう歪理物ヴアニツトなのだ。

 アーカイブが複雑な形のあやを取り、


「花の護符」


 と言うと、もりの体が薄く光る。


「一応概念結界を張ったので、あなたがいきなり消滅することはありません。ご健闘を。私は何かあったときのためにふじなかさんたちを警護します」

「了解」


 返事をしながらもりは、自分の背にある竹刀袋に手を伸ばした。

 袋より現れたのは、一本の西洋剣。さやから柄まで金装飾が施され、宝石もちりばめられている様から儀礼剣のようにも見える。つかがしらから伸びた銀色の鎖がさやごと剣全体に巻かれている。

 もりの背後で、ふじなか少女が息をむ。

 ただ袋から出されただけのその剣は、彼女のような超常に精通していないものでも感じる威圧感をまとっていたのだ。

 戦闘用には見えない過度すぎる装飾に反したまがまがしい圧力。

 部屋の空気が重くなった気さえする。

 もりは鎖が巻かれたまま剣を帯刀し一歩部屋に踏み込んだ。

 瞬間、机の上の《無題タイトレス》が暗い緑の光をまとい、開かないはずのその本が開いた。


「……っ!」


 ほとんど反射に近い速度でもりは跳びのいた。

 ほぼ同時のタイミングで彼の頰をかすめたのは、一本の日本刀。

 視認すら怪しい速度で放たれたそれは、そのままアーカイブたちのいる部屋の入り口へと向かった。

 しかし日本刀は彼女たちに当たる直前で見えない壁にはじかれる。

 アーカイブが守ったのだろう。

 日本刀は暗緑色に光る《無題タイトレス》の開いたページから出てきていた。


「やっぱ、おとなしく切らせてくれるわけねぇか!」


 冷や汗すら拭わずにもりが叫ぶ。

 当然《無題タイトレス》からは返事はない。

 代わりに開いたページの上で文字が踊り、それらの集合体が剣やおの、包丁などの凶器へと変貌して飛んでくる。


「ちょっと! マジで大丈夫なんですか!?」


 ふじなかの悲痛な声が彼の背中に届く。

 だが、もり しんにとってこの程度の飛来物を避けるのは容易なこと。

 ただ飛んでくるだけなんて、理不尽ばかりたたきつけてくる歪理物ヴアニツトとの戦いの中ではまだ道理が通っているとさえいえる。

 滑るように狭い部屋内を移動し、凶器をかわしながら《無題タイトレス》へと近づいていく。

 もりは眉をひそめる。

 飛んできている凶器は確かに刃物ではあるが、その種類はバラバラ、中にはモーニングスターや馬上やりなどそうそう見ない武器も交じっている。

 刃の嵐が一瞬止まったあと、続いて《無題タイトレス》から見上げるほどの石壁が飛び出してきた。


「う、お?」


 冷静に後ろに下がりながらも、もりが思わず声を上げたのは、本の大きさを超えたものが飛び出してくる理不尽に驚いたから……ではない。彼の目の前に出現した壁には、なぜか天使や神らしき存在の西洋画が描かれていたのだ。部屋を埋め尽くすほどの大きさの壁画は、そんな彼に思考を許すことなく勢いよく迫る。


「それはいけません」


 後ろでアーカイブがあやとりの麻ひもを丸めて握りつぶす。

 すると壁画は紙のように薄くなったあと、クシャクシャに丸められてしまった。

 しかし、《無題タイトレス》は猛然と壁を吐き出し続け、もりを近づかせまいと抵抗する。

 アーカイブがそれらを次々とかみくずへと変えていくが、さすがにもりは距離を詰められず一度部屋前へと下がる。

 矢継ぎ早に出現しては紙屑のように丸められていく壁の数々を見て、もりは眉を寄せる。

 出現する壁はどれも絵が描かれている。それも、仏教壁画や駅などに見られる現代壁画など、古今東西様々な壁画だ。しかもそのいくつかには見覚えがある。

 カツリともりの足に固いものが触れる。見れば、さきほど飛ばされていた日本刀がそこにあった。もりは首をかしげる。なぜかこれにも見覚えがある気がするのだ。

 特徴的な太い金色の柄。金装飾の黒いつば。これは……


「千代金丸。現在那覇市歴史博物館に所蔵されている刀です。しかも、模造物ではなく、傷やくすみまで全く同一です。今出し続けている壁画も、全て現存する実在の壁画です」


 飛来する壁画を処理しながら、アーカイブがそう言った。


「……どういうことだ?」

「おそらくこの本が出しているのは、いままで食べた文字が示す物体ということなのでしょう。剣も壁画も食べたものを出している。その刀もどこかの本にあった記述なのでしょう」

「なるほどね……」


 さっきから出すものがバラバラなのはそういうわけか。それも同じものを出していないことを見るに、一度吐いた文字は出せないともりは推測した。


「……そういうことですか。一企業の社長にしては資産を持ちすぎているためにどこから調達したのかと思っていましたが、とんだ無限の資金源があったものですね」


無題タイトレス》に食わせてそれを実体化させる。それができたなら、いくらでも資産を作ることは可能だったろう。

 先ほどのもりの予想は当たった。《無題タイトレス》が壁画を出さなくなったのだ。おそらくは弾切れ。

 今だと駆けるもり。しかし、次に《無題タイトレス》が出したのは、彼の予想をはるかに上回るものだった。

 異形の化け物たちが、大量に出現したのだ。

 首だけが牛となっているミノタウロスや悪魔のような姿をしたガーゴイル。正体不明の六足獣まで出現している。

(現実に存在しないものも出せるのかよ!)

 おそらく何かのファンタジー小説にでも登場していたのだろう。

 人間の数倍はある化け物が一斉にもりへと襲い掛かる。


「あっ!」


 後ろで見ていたふじなかは思わず声をあげる。

 しかし、アーカイブどころか調査員までも心配の色は見せていない。

刊行シリーズ

蒼剣の歪み絶ちIII 正義の最果ての書影
蒼剣の歪み絶ちII 色無き自由の鉄線歌の書影
蒼剣の歪み絶ちの書影