毅然とした態度だが、調査員の声は震えていた。無理もない。おそらくこの調査員は目の前で仲間が消失する瞬間を目撃したのだろう。名前が記載されているものを持っていたらアウトだなんて、初見殺しもいいところだ。
「お疲れ様です。その子は……」
アーカイブが言葉と共に視線を向けると、制服姿の少女はビクリと体を震わせて視線を返してきた。
緩やかなウェーブをかけた髪を灰色がかった茶色に染めている少女。彼女は鼻筋の通ったはっきりとした顔立ちをしていた。短いスカートや鮮やかな桜色に塗られたネイルも手伝って、いかにもファッションや流行に敏感そうな少女だ。ただ、その装いとは対照的な小ぎれいに整った顔立ちのせいで、どこか人形のような雰囲気を覚える。
「どうも……。藤中 日継っていいます。……あなたたちが、あの本を壊すって人ですか?」
少女の瞳は怯えに震えている。その頰に涙の跡が見えた。
常識を超えた存在を目の当たりにしたのだ。それも人が消滅するような。怖がって当然だ。
「まあ、そんなところ。俺は伽羅森 迅。よろしく」
できるだけ安心させようと飛び切りの笑顔でそう言った。が、むしろ少女からはどこか胡散臭げな視線を返されてしまった。
無理もないか。何せ超常現象に対応しようとしているのが、自分と同年代の青年なのだ。ただ、緊張を和らげることはできたようで、彼女は幾分か表情のこわばりが解けた。
「あの本、切ろうとしても燃やそうとしても、傷一つつかないんです。本当になんとかできるんですか……?」
伽羅森の代わりにアーカイブが口を開いた。
「問題なく処理できます。我々は金死雀と呼ばれるノアリーグループの特殊組織。このような異常な物体を処理する最高峰のスペシャリストです」
「……お願いです。あれを絶対に壊してください!」
そう言う少女の声は悲痛だった。
「あれは……あれは……みんな消しちゃった……。私のせいで……お母さんもナオも……」
「……!」
伽羅森は湧き上がってきた苦い感情に吐き気すら覚えた。この子は一瞬にして友達も親も目の前で本に消し去られてしまったのだ。その苦しみは計り知れない。
青年は震える少女の手を取って強く握った。
「約束する。絶対に俺が破壊してみせる」
少女の案内を受けて、調査員を含めた四人で問題の本がある書斎に向かう。
家の中は外観同様豪華なつくりをしていた。玄関前では皿を持った子供を模った大理石の彫刻に早速出迎えられ、広い廊下の壁には色彩鮮やかな油絵が飾られているのが見て取れる。
こんな普通の住宅街にあるにもかかわらず豪邸の一部が切り取られたようだった。
《無題》のせいで、固有名詞のあるものは消えているはずだが、意外と家の中のものは、かなり残っている。それでも、何かあったらしい不自然な空間が各所にちらほら見られるが。
玄関を上がる横目に、伽羅森は子供の彫刻が持つ皿の中を見る。そこには車などの鍵類が置かれており、どうやらこの豪奢な彫刻はただの鍵置きとして使われているらしい。伽羅森は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
調査員と藤中少女の表情は暗い。調査員の女性はともかく、藤中少女のほうはこれ以上精神的負荷がかかった場合にパニックになってしまうかもしれない。いざというときにそうなられては困る。なんとか彼女の気を和らげてあげたいとは思うが、
「見てください藤中さん。東京スカイツリーです」
謎の綾とりを見せているアーカイブのやり方ではダメだろう。
彼女も伽羅森と同じことを思って行動したのだろうが、無表情で綾とりを見せられた藤中少女は困惑するだけだった。
(いやまあ、東京スカイツリーはすごいけども)
いまどき綾とりに興味を示す女子高生もそういないだろう。勝手な印象だがいかにも現代っ子な見た目の彼女が興味を示すとは思えない。
「あのな、アーカイブ。綾とりが流行ってたのなんて何十年前だよ」
ここは俺が、と伽羅森は意気込むと少女の前へと出る。
「見てな。……ほっ!」
少女の目の前で伽羅森は何もないところからバラの花を出して見せた。
タネも仕掛けもある普通のマジック。
「大丈夫。絶対俺たちがなんとかするから!」
さらに笑顔で彼女を安心させようとするが……、
「えっと……ありがとうございます……」
あまりうまくはいかなかった。一応思いは伝わっているようで、苦笑いは浮かべてくれているのだが……。
伽羅森の隣でため息が聞こえる。
「そんな、甚だみすぼらしいマジックを見せられたところで反応に困るに決まっています」
「甚だみすぼらしい……。いや、お前もさっき綾とり滑ってただろ」
「題材が悪かっただけです。ほら、藤中さん。カーネル・サン〇ースです」
「それはすごいけども!」
複雑怪奇な綾の組み合わせで、見覚えのあるおじさんの顔を表現するアーカイブ。もちろん無表情で。しかも……
「コンニチハ、カラモリサン」
若干声色を変えてそんなことまで言い始めた。綾に紡がれたおじさんの口をまるで生きているかのように動かしながら。
「気持ち悪っ! あのなぁ、そうじゃなくて……」
と、言いかけた伽羅森の隣で、「ぷっ」と噴き出す声が聞こえた。
見れば藤中少女が口元を押さえて笑っていた。
「ほら伽羅森さん。カーネル・サ〇ダースはウケましたよ」
そう言うアーカイブに藤中少女は首を振って見せた。
「いえ……ウケたのは、お二人のやり取りにです」
伽羅森たちは二人揃えて眉を上げるのだった。
改めて廊下を進んでいくと、一角にある一枚の肖像画が伽羅森の目に留まる。
右目に翼のマークが入った眼帯をした中年の男。眼帯の下には火傷の痕が窺える。眉間に皺の寄った顔立ちは恐ろしく、およそ廊下に飾るような肖像画ではないと思われるが……。
「藤中 朝日。この家を建てた張本人ですね」
(いや、人相悪っ)
と言ったのはもちろん内心。家中のいかにも過ぎるインテリアたちといい、内面外見ともに個性的すぎる人物だったようだ。
とりあえず「……そ、そうなんだ」と無難な回答を伽羅森は返す。
が、伽羅森のその反応になぜか前を歩く少女は苦笑していた。
「いいですよ。そこまで気を遣わなくて。怖い顔ですよね」
回答が無難すぎてかえって思ったことがバレバレだったらしい。伽羅森は少し反省した。
一連のやり取りのおかげか、藤中少女が纏う雰囲気は幾分か柔らかくなっていた。とりあえず、突然パニックに陥る可能性はなさそうだ。
「ここです」