序章 ①

 とある金曜日の昼休み。

 校舎の中庭にあるベンチで先輩と昼食をとっていた時だ。


「演劇部のゲームですか?」


 俺がはしを動かす手を止めて聞き返すと、先輩はいつもの穏やかな笑みを浮かべて「うん」と頷く。


「部活内で来週からゲームをするらしくて、今朝れいから参加しないかって誘われたの。私は二つ返事でオーケーしたんだけど、よければとおくんも一緒にどうかなと思ってね」

「ゲームって具体的にどんな感じの?」

「私も詳細なことは聞いてないんだけど、推理ゲームって言ってたよ。面白そうじゃない?」


 なるほど。現在ミステリー系のものにハマっている先輩がすぐに参加を了承したのも納得だ。

 先輩──ゆうなぎあかね先輩は俺より二歳年上の三年生で、俺の恋人だ。ひと月半前に初めて出会い、それから様々な出来事を通じて両想いになれた。

 人柄は明るく温厚で、見ず知らずの他人に対しても親身になれるほど心根の優しく、まさに非の打ち所がない……と思いきや、時折天然な言動を見せることがあり、これがまた愛らしい。そのうえ容姿も目を引くほど美人なので、おそらくこのひさみね高校一の有名人といっても過言じゃない。

 結論、大して取り柄のない俺には不釣り合いなほど素敵な人なのだ。


「すごく面白そうですね。……でも遠慮しておきます。俺がいたら邪魔になるから」


 俺も推理系は好きだからこの誘いは嬉しいのだが、残念ながら自分の立場的に快諾できない。

 今の俺には極悪不良という悪い噂が学校中に流れているから。事実無根の冤罪にもかかわらず、教師と生徒のほぼ全員が信じてしまっている。そうじゃないのは先輩含め四人ほどだけだ。

 なぜそうなってしまったのかは思い出しただけでも腹が立つから省くが、これまでそう見られてもおかしくない言動を何度も取ってきた手前、なかなか払拭することがままならない状況だ。

 さらにそんな学校一の嫌われ者が学校一の有名人と付き合ったわけだから、俺に対する周りの嫌悪感はますますアップしているはず。俺がいればせっかくの楽しいゲームが台無しになるだろう。

 現に今も、校舎のほうに目を凝らせば数人の生徒が窓からこちらを覗いている。硬い表情から、とても俺たちの仲睦まじさを祝福しているようには見えない。

 やっぱりどう考えてもひと悶着する未来しか見えねぇ。それに演劇部にはあいつもいるし。

 だが先輩は相変わらずの楽観的な態度だ。


「そんなことないよ〜。部長のれいに参加許可だって貰ってるから心配しないで」

「え、そうなんですか。あのれい先輩が……」


 かしわれい。先輩と同級生の親友で、ズバズバと物を言うおっかない人だ。先輩のことを大切に思っているがゆえ、特に俺に対しての当たりがきつい。

 俺のことを一番毛嫌いしていそうなのに。まぁきっと先輩が無理を言ったのだろうけど。


「でも他の部員たちは知らないわけですよね。絶対に何かしらのリアクションはされますよ」

「もしそれでとおくんが悪く言われるようだったら私が全力で援護するよ」


「だから、ね。一緒にやろ」と上目遣いで懇願してくる。

 たしかに先輩は周りからの信頼が厚いし、あの頑固なれい先輩をも説き伏せたわけだから俺がいたところでゲームが中断するような展開にはならないか。

 それに年上とは言え恋人にここまで言わせるのは、なんだか自分がチキン野郎に思えてくる。

 俺が参加することで先輩が喜んでくれるのなら罵詈雑言なんでも御座れだ。


「分かりました。参加します」

「ほんと! やったぁ」


 パァッと顔を輝かせて嬉しがる。……この見惚れるほど可愛い表情が見れただけでも参加する甲斐があるな。


「それじゃあ放課後、演劇部の部室で集まることになってるから一緒に行こっか。とおくんは教室で待ってて、私が迎えに行くから。ちょっと用事で遅くなっちゃうかもだけど」

「あー……急がせるのは悪いので各自で行きましょう」


 俺と部員たちが衝突しないよう気遣ってくれるのはありがたいが、そこまで頼るのは悪い。あと先輩は色々な意味で有名人だから必然的に目を引くわけで、クラスのみんなから変に注目されるのも恥ずかしいし。


「そう? 分かった。部室は特別棟三階の視聴覚室だよ」

「たしか美術室の隣でしたっけ?」

「うん。ここのところ顧問の先生は忙しくていつも遅れてくるそうだし、慌てなくても大丈夫だからね」


 どこか子供みたいにわくわくした様子の先輩を見て、ようやく楽しむ気持ちが湧く俺だった。


***


 帰りのホームルームが終わり、ゲーム仲間のふかもりと少し喋ったあと、演劇部の部室に向かう。

 一年から三年までの教室がある普通棟から、渡り廊下を通って、音楽室や物理室などがある特別棟に行く。

 そのまま階段を上って二階に行こうとしたところで。


「────ッ!」


 先の踊り場にれい先輩の姿があって、きゆうきよ足を止めた。

 しかし急停止したことで、スリッパとリノリウムの床に摩擦が生じて『キュッ!』と小鳥の鳴き声のような音が鳴り響いてしまい、れい先輩がこちらを振り返ってくる。

 そして俺であることを認識した瞬間、まるで汚物を見るように無表情の顔をしかめた。

 ──し、しまった…………気まずい……。

 れい先輩とは不仲のままずっと面と向かって話していない。移動教室などで擦れ違うことは幾度もあったものの、先輩に止められているのかもしくは他に人がいるからか派手なアクションは仕掛けてこなかったが、かならず睨みつけては来たし、俺に対する不満は溜まりに溜まっているはずだ。

 今は二人きり。脳裏に喫茶店で言い合いをした出来事がフラッシュバックする。言葉を交わせば精神を削り取られる。

 この人と相対したときは逃げるのが正解だ。よし、そうしよう。


「待てこら」


 無言で回れ右をしたところで、頭上から制止の声が降りかかってきた。冷静で小さな音量ながらもドスが利いていて思わず足を止めてしまう。

 おそるおそる顔を上げると、れい先輩は不機嫌を表すように腕を組んで仁王立ちしていた。階段の高低差があるから余計に見下されている感マシマシだ。


「どこに行くのよ? あんたも演劇部の催しに参加するんでしょ。部室は三階よ」

「い、いやぁ。ちょっとその前にトイレに行こうかと……」

「三階にもあるわよ。戻るよりもそっちに行ったほうが効率的でしょ」


 ですよねー……どうしよ、逃げられねぇ。もっとまともな口実にするべきだったか。

 れい先輩は肯定も否定もできずにその場で固まっている俺を見据えていたが、しばらくすると組んだ腕をほどいて「はぁ〜〜〜〜」と重苦しい溜息をついた。