烙印の紋章たそがれの星に竜は吠える

序章 ①

「姫さまがおられない?」

「はい」


 じよちようテレジアは、なるたけ悲痛なおもちをしながら説明した。


「先ほどまで、中央ていえんのほうでわたしどもとお茶をしていたのですけれど。こうぐうの屋上からゆうに照らされる我が城を見たい、と突然おっしゃられまして」

「紫光宮──といえば、くうていの発着場があるではないか」


 きゆう殿でん西側のけい隊長は大声をあげてろうばいした。まあ、とテレジアもいまそれにはじめて気づいたような顔をする。


「どういたしましょう。姫さまは我が国きっての飛空艇り。この前のレースも、りつじゆん優勝されましたのに、一番でなければ意味がない、なんてかんしやくを起こしまして、あろうことかトロフィーを投げ捨てようとされたので、我々が必死でお止めしていたのです」

「そうでありますか。い、いえ、そのようなこと、いまはどうでもよろしいが」


 ついしばに乗せられ、うろたえ気味になった隊長の後ろでは、部下の兵たちが不安そうに顔を見合わせている。


「どうされたのだろう?」

くうていで、しゆをぶらりとひと回りされるおつもりなのでは。やはり、お名残なごり惜しいのでしょうし」

「いや、あの姫さまのことだ。きっと、結婚が突然いやになって、お逃げになられたのだ」

「おれだってごめんだ。誇りあるどうの国、このガーベラのビリーナ王女殿でんを、よりにもよって、メフィウスのさるどもの国にとつがせるなどと!」


 はないきも荒く、足を踏み鳴らす者もあれば、


「いや、あの姫さまなればこそ、そのようながつなことをされるはずがない。それは、我ら一同、ビリーナ姫のいたずらやじんじようならぬ行動力には振り回されてきた口だが。しかし誰よりもこの国を、ふうを、たみを愛しておられる方だ。ご自分の感情だけでメフィウスとのめいやくになどされまい」


 冷静にたしなめる者もあり、さらには、


「我々がないからだ」

「おう。メフィウスとの一〇年戦争を、我らの勝利で終えることができなんだ。メフィウスきゆう殿でんに我らガーベラこつひるがえすことさえできていれば、このような……このようなことには」


 くやしげにかぶりを振って、さめざめと泣き出す者とているまつだった。

 それもこれも、愛されているしようには違いない、とテレジアは思う。ガーベラこく第三おうじよビリーナ姫。一四さいにして、これから一週間ののちには、北西の国境せんを接したメフィウスていちように嫁いでいかれるそのお方。

 身の周りを世話するため、テレジア自身は姫に同行することとなるが、当然、ガーベラにいるおおぜいの人々にとっては、これが別れとなろう。いまや姫と顔を合わせる誰も彼もが、口ではしゆくを述べつつも、寂しさやいきどおり、そして悲しみを表情からかくしきれずにいる。

 庭園を右手に臨むこのてんじようつきのかいろう。テレジアの近い位置にある柱には、幼い頃に姫がいたずら描きしたテレジア自身の顔がおぼろげに残っている。きっとしかられた直後なのだろう、おにみたいな表情をしたそのがおにテレジアはそっと手を添えた。


(これが最後のわがままですからね、姫)


 けい隊長にすがりつき、いかにも必死に姫のそうさくを頼みながら、テレジアは内心そう声を投げかけていた。


 ガーベラ国首都フォゾンから南東に二〇キロほど。

 なだらかなきゆうりように、広い湖を見渡すことのできるきゆうがあった。五年前に起こったほん騒ぎの際には、あわや戦火の中心地となりかけた土地であるものの、現在はそのおだやかなこうにも似て、平和で、ゆったりとした時間が流れている。

 しかし、にちぼつすんぜんのこのぶんになって、にわかに騒がしくなってきた。


「第三ぼうくうていたい、上がれ!」


 防空艇だんちようは自身もくうていまたがりながらそうった。


「第一、第二はきゆう殿でんほうを守れ。第四はしゆフォゾンへ急行せよ」


 つい五分前、かんとうから狼煙のろしが上がったのだ。正体めいの飛空艇が接近中、とのことである。確認されたえいはひとつ。

 地面と同じ色に混じり合いかけている空めがけ、防空艇団が浮上していく。

 りゆうせき製の金属をベースに、鋼鉄、銀、しんちゆうなどでつくられたガーベラの羽ばたきオーニソプターたん飛空艇は、人類のせい・地球にせいそくしていたというおおわしの姿をかたどっている。くちばしから尾の先までは約三メートル、高速で羽ばたくつばさは全長七メートルほど。そうじゆうは大鷲の両足に挟まれるような形の座席に腰掛け、空へと舞い上がるのである。


(よもや、たんしゆうげきもあるまいが──)


 防空艇団長がしんを抱いたそのとき、黒々とした斜面の向こう側から何かが近づいてきた。恐ろしいほどの速度だ。船体に直接はらいになって操縦するタイプのもので、羽ばたき型ではなく、後部のプロペラとほうこうによって、すいしんせいぎよを行っている。速度を重視した高速飛空艇だった。


(我が国のものか?)


 団長はひと目でいた。ガーベラは、竜のせきを無重量きんぞく──いわゆる竜石にせいせいする技術にけており、小型飛空艇の開発では他国のついずいを許さない。様々なバリエーションが存在するのである。


「止まれ!」

「これより先は通さぬ」


 口々に防空艇の隊員たちがりをあげたが、相手は速度をゆるめるはいさえ見せない。先行していた第三隊隊長の飛空艇とほとんど触れ合わんばかりの距離ですれ違い、その味方機があわやバランスを失いかけると、一気に場がきんぱくした。


「止まれと言っている!」

けいこくに従わぬならつぞ」


 直進してくる相手のコースを一機がさえぎり、残りが上昇、左右にじんってしやげきの構えを取る。団長しんかんじゆうと直結した引き金に指をかけかけた。と、


「お務め、ご苦労である」


 とうとつに声をかけられた。女性──というより、少女のものだった。引き金にかけた指がはっと離れる。

 すれ違いかけたその飛空艇が、白金プラチナの尾を引いていた。風になびいた長いかみだ、と気づいたとき、


「姫!」


 団長が思わず声をあげていた。


「すまぬ、急ぐのだ」


 くちばやに返されたその声も、すでに遠い。

 第三ぼうくうていたいは、みないちようにぽかんとした表情で見送っていた。座席に小型のボートをくっつけたような姿をしたそのくうていから、やがてかつくう用のつばさがあらわれ、徐々に降下していくのがかろうじて見て取れる。


「団長?」

「よい」


 四〇もなかばを過ぎた防空艇だんちようには、一四になる娘がいた。ガーベラこく第三おうじよビリーナと同じとしだ。一四さい。彼にとっては、よちよち歩きのあかぼうからまださほど年月がっているようにも思えない。世間からはもう大人おとなの一員として見られ、結婚して子供を産んだとしてもおかしくないとしごろであってもだ。


「第四防空艇たいを引き戻せ。わたしは帰ってすぐににつをつけねばならん。今日の空も平和でありました、とさ」


 窓から外の月をじっとながめていた。

 ベッドから身を起こし、青ざめた光にれるその顔はろういきに達してはいるものの、せいらい備わったと見えるひんきびしさはけんざいだった。


「今夜はみように騒がしいと思ったら、やはりおまえか」


 月を見上げながらの言葉に、


「はい、わたしです」


 よこいから返事があった。

 部屋の入り口に人の影がある。一歩一歩み出してくるごとに月光に取り払われていく影は、やがて少女の姿を生み出していった。


せがれが見たら目を回すな。あれはある意味で、わしより古い男なのでな」


 飛空艇りのつなぎ姿を目にして、老人は笑う。女性としてはまだまだ幼さが残るとはいえ、身体からだにぴったりとしたそのつなぎは、日に日にせいじゆくしつつある危うげな曲線を浮き立たせている。少女は花びらのような顔にみを浮かばせた。


「そのとおりです。だから、レースに出場するときも最後の最後まで反対されました。何とかなだめすかしたはいいのですけれど、このかつこうではだ、ガーベラ王家にふさわしいドレスを着なさい、などとおっしゃられて。すその長いスカートなんてじやで仕方ありませんでした。だから二番なんかに甘んじてしまったのです」

「あれはあれでぜいがあったよ」


 くちびるとがらせるまごむすめに、先代ガーベラ国王ジオルグ・アウエルは笑いかける。


「もっとも、おまえの優勝に一点買いして、おおぞんはしてしまったがな」

けてらしたのですか?」


 少女が目を丸くすると、ジオルグはかいそうに笑った。