烙印の紋章たそがれの星に竜は吠える

序章 ②

ざいせい長官のウォーレスとな。あやつ、前々からわしのあいを欲しがっていたからな。おうきゆうに勤めておきながら、おまえがスカートを着て出場するなんて情報はわしに教えてもくれなかった。知っていれば、せがれしかりつけてでもおまえに公平なレースをさせたものを」

「それで、おじいさまはウォーレス長官の何を欲しがってらしたのです?」

「はは、いや、なに」

「長官はお酒のコレクションで有名ですものね」

「それもあるが。うむ、あ奴は女性のしゆもいい」

「はい?」

「ウォーレスの別荘に遊びにいったことがあるが、そこで働いていたじゆうの娘が──娘といっても、もどりの三〇おんなだが──なかなかの美形でな。ああいう娘にこのきゆうに勤めてもらったら、わしももう少し生きるが出てきそうだと思ったのだよ」

「お爺さまったら」


 ガーベラこく第三おうじよビリーナはぷっとほおふくらませ、をにらむようにしたが、すぐにき出し、ふたりして大笑いした。

 月の光をはらんで青ざめるカーテンのすそを、あるかなきかの風が柔らかくそよがせる。

 突然、ビリーナはベッドの近くにしゃがみ込み、祖父の手をはっしとつかんだ。その手に顔を押しつけ、小さく肩を震わせる。


「ビリーナ、これ、どうした。おさなのように」

「いいえ──」


 いいえ、いいえ、とくり返すビリーナのまぶたはしっかりと閉ざされ、その奥からこみ上げてきそうなものを必死に喰い止めている。


(小さくなられた)


 細く、頼りないその手に顔を預けながらビリーナはそう思う。 若かりし頃はごうゆうで知られた祖父だ。地方のごうぞくたちを次々と従え、ガーベラという国を他のれつきように負けぬところまで押し上げた。メフィウスにエンデという、歴史の古い大国に何度となくりようを切り取られては、ろうき目を味わってきたりようみんたちは、皆、ジオルグ・アウエルのゆうめいたたえ、歴史は浅いながらも他国に決して劣らぬ団結をも生み出した。

 ビリーナは幼い頃からこの祖父になついていた。国王の座を退しりぞいてからもえいきよう力はぜん強く、息子むすこ、すなわちビリーナの父にとっては、口やかましいけれど頼らざるを得ないやつかいな存在だったのだが、ビリーナにとっては優しい祖父がいの何者でもなかった。

 このきゆうに何度となく遊びに来ては、川にうおりに出かけ、いっしょに泳いで、そしてが暮れると戦争をシミュレートしたボードばんにひと晩中きようじた。

 は、ビリーナが木製の剣やたてを振り回しても父のように怒らなかったし、としごろがいっしょの子供たちと取っ組み合いの遊びをしても、馬にまたがっても、くうていきようを持って近づいても、しかるどころか、ひとつひとつ、ていねいなんもしてくれた。

 何より、冬、だんそばで祖父のひざの上に抱き上げられながら、聞かせてくれる戦争や他国との駆け引きの話、そしていくつものごうぞくを抱えたガーベラにおいて、内部にはらんだいつぼつぱつするとも知れぬふんそうだねをいかにかいしてきたか──そんな話にビリーナはちゆうになった。

 そして話を聞いた晩、どこについたビリーナは、必ず夢を見た。ぴかぴかのよろいかぶとを着て、飛空艇の上に突っ立ち、見下ろす先に居並ぶゆうもうたちに、命令を下している自分の姿。いつか自分も戦場に立って、祖父とともに戦うのだと、幼い心をこうふんに染めていた。

 だが、そうけんそのものであった祖父がある冬らい身体からだを壊し、床に伏せるようになってしまった。ビリーナが訪ねたときは以前と変わらない笑顔を振りまいてくれたが、いっしょに乗馬をしたり、飛空艇に乗ったりということはできなくなった。そして五年前、そんな祖父に追いちをかけるような出来事が起こったのだ──。


「顔をお上げ」


 祖父にうながされ、はっとビリーナはそれに従った。すんでのところでこらえた涙が、ひとみにうっすらとした月光の輝きを宿らせている。ジオルグのそうごうが崩れた。


「なるほど、わしもとしを取るわけだ。あの、跳ねっかえりのおてんば娘が、何と一週間には式を挙げるというではないか。うんとちっちゃい頃、あの庭園のわしが大事にしていただんちやちやに踏み荒らしたあくりゆうつかいのようであった娘がなあ」

「お、おじいさま」

「それに、あのときも驚かされた。国中の語り草なのでな、おまえはもう耳にたこかも知れんが。五年前、ほん者にこの離宮を乗っ取られたあのとき。びようしように伏せっていたわしに代わって、おまえはあやつらに一歩も引かず堂々と渡り合った。おまえが男であれば、と誰しもが言った。しかしわしはそうは思わぬ。おまえはりつな女性だ。ガーベラが誇る、勇ましきひめ。どの国の英雄にも、竜にも、そしておうごんと引き換えになり得るどんな特産物にも引けを取らぬ、わしらの誇りだ」


 顔を赤らめるビリーナの顔を、ジオルグは両手で挟み込んだ。


「そんなまごむすめが結婚とはな。どのような子を産み、育てるやら。しようがいに何のいも残さぬようつとめてきたわしであるし、またそのとおりのことをやってきた自負もある。しかしただひとつ悔いがあるとするなら、あかを抱いたおまえの姿を、この目で見られぬということだ」

「何も、今宵こよい限りでお別れというわけではありませぬ」


 微笑ほほえんでビリーナはあかるい調ちようで言った。しかし彼女にもわかっている。は長いこと伏せっており、もうこのきゆうから出られることはないだろう。数日後には国を離れる彼女しん、これがこんじようの別れのつもりで来たのだ。

 微笑みはすぐさま崩れ去り、ビリーナはまた顔を伏せた。まゆが寄り、怒りにぼうを曇らせる。


「おじいさま。ビリーナは、よめになどいきたくありません。お爺さまのそばを離れるなど、嫌です。それも、よりによって、メフィウスなどに!」


 国中から愛されるおてんば姫が、しよみんの娘がとつぐ前に見せるようなごくごくへいぼんな、それだけに切実なたんにいっとき暮れたかに見えたが、


「あのばんじんどもの国。お爺さまを傷つけたほんにんも、もとを言えばけしかけたのは他ならぬメフィウス。ちちうえかくがおありになるのなら、しよの床で夫となるべき男のくびいてもみせましょうものを」

「おお、これ、これ」


 さしものごうたんなジオルグも思わずき込んでしまった。性格的には「古い」父をなげかせるほどせんえい的でありながら、考え方のどこかにぜん時代的な、いかにも古めかしい部分があるのはやはり祖父と長くいたえいきようでもあろうか。


「何も血を見るだけが戦いではない。勝利とは、しかばねの向こうにのみあるのではない。心優しいおまえにならばとうにわかっていよう。庶民とて、毎日の暮らしが戦いの連続なのだ。つらく、きびしい日々にほんのわずかでもへいおんなときがもたらされるならば、それもまた勝利」

「──」

「メフィウスは古い国なのでな──おまえの父なんぞより、ずっと、ずっとな──少しかたくるしい思いはするかも知れんが、おまえならだいじよう。どこであろうと、おまえはわしのビリーナだ」

「わかりました」


 ふたたび顔を上げたビリーナに、はや涙はない。月にりんかくをふんわりとふちりされたその笑顔に祖父もまたみを誘われた。が、


「そう。まだ戦いは終わってはいない。剣を取り、ほこを取るだけが兵士ではない。わたしもまた、ひとりの兵士なのですね」


 目をきらめかせるまごむすめに、何やら嫌なものを察したか、ぎくりとなる。


「わかりました。血を流さず、ガーベラのたみに無理も強いず。新しきこの戦いに、わたくし、ビリーナはいどんでまいります。メフィウスのないじようを探り、その弱点を見出し──、必ずややりげてみせますので、勝利のきつぽうを、どうぞお待ちください!」


 すっくと立ち上がった一四の孫娘に、いつしゆん、ジオルグはぽかんとなってしまった。

 結婚をぢかに控えた乙女おとめが、いつの間にやら戦場を前にしたいちになっている。そのほうがいっそこうふんさせるのか、ほおこうちようさせ、血をたぎらせているようなのが──、ある意味でいかにもこのまごむすめらしくはあった。