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勝敗が決した。
バ・ルーの円形闘技場が揺れる。大勢ひしめき合った観衆が口々に勝者の名を叫び、さらにはいっせいに足を踏み鳴らして、それは津波のような騒ぎである。
手荒でかまびすしい祝福を勝者が一身に浴びる一方、その足もとには対となる運命がものも言わず横たわっていた。首を失った敗者の身体には鉤が打たれ、奴隷ふたりの手によって引きずられていく。
夕暮れといってもなおぎらついた太陽。汗にまみれた観衆たちの顔は、どれも油を塗りたくったように照り輝いており、同じく欲望にぎらついた目が、なお次の戦いを、なお次の殺し合いを、と欲している。勝利も敗北も余韻は残さない。ただ戦いの熱気だけがいつまでも尾を引いて、空気中に滞留し、渦を巻くばかり。
「いけ、いけえ」
「やれ、殺せっ」
今日も盛況であった。街に住む善良な一市民であれば、何しろ子供の小遣い一週間ぶんくらいの金額で入場、観戦が可能とあって、今日も一〇〇〇人以上の客が集まっている。
次の戦いは馬上戦だ。槍を携えた双方の男たちが東西のゲートからあらわれ、猛スピードで交差する。二度目の突撃で馬から転げ落ちた男めがけ、もうひとりが馬上から飛び降りて止めを刺せば、次は、ほとんど全裸の男たちが素手での取っ組み合いをはじめた。
剣奴隷、いわゆる剣闘士と呼ばれる男たちだった。人前で命懸けの戦いをする代償に、たった数日ぶんの命と、それをつなぐ食べ物を与えられる人々。生まれついてすでに奴隷の身分にある人間もあれば、罪を犯したために闘技場に投げ入れられる者もあり、また中には、自ら志願してこの生き地獄に身を投ずる者とてあった。
剣闘士でも名を知られるくらいベテランとなれば、群衆にも人気の差が出てくる。シークという名の、女性に人気のある美形の剣闘士がたったいま勝利をおさめた。妙にもったいぶった、貴族めいた仕草で一礼するその姿に、金切り声がひときわ高まる。
「見た、お義兄様? シークが勝ちましたわ」
段々状になった観覧席の最前席で、まだ年端もいかないような少女の声がした。この一角には左右に高い柱が並び、屋根つきの桟敷が設けられている。高い金を支払って入場した者のみが入れる、いわば特等席だった。
お義兄さまと呼ばれた隣の青年は、頰杖をついて憮然とした様子だった。頭に巻きつけた長い布を、バーダイン教徒のように左右から垂らしていて、まるで辺りの視線から顔を隠しているかのようだ。
「ああ、きみの言うとおりだったな。お目当ての剣闘士が勝ったんだ、もういいだろう。さっさと出て食事にいかないか? ここにいると頭が痛くなる」
「あら、まだこれからじゃないの。血の臭いにあてられまして? 畏れ多くもメフィウスの所領を丸々継ごうという方が、そのような弱気でどうするのかしら」
「めったなことを口にするな」
青年が辺りを気にしてあわてる所作に、少女はころころと笑った。
また次の戦いがはじまり、結局そのまま居座ることとなった青年は、苦々しい顔でふたたび頰杖をついた。いくたびも飽きることなく血しぶきが舞い、汗まみれの筋肉が躍動する。青年は時折、ちらっと横目で少女の真っ白い肌と美貌を盗み見ていた。年相応のあどけなさの中に、妙に大人びた官能美があって、眼下の野蛮な戦いよりもよほど気を惹く眺めだ。
それから二戦ほどののち、闘技場ではまた新たな趣向がはじまっていた。中央に一本の巨大な杭が打ち立てられ、その上部にひとりの女性がくくりつけられている。美しい女だ。わざと破れた衣装を着させられたものか、身悶えするたびに胸や太腿がちらついて、血に煙った男性客たちの間から口笛が起こっている。
しかし彼らの不躾な目線を気にする余裕など女性にはなかった。杭が打ち立てられるのと同時に、高さがほぼ同じくらいの大きな檻が運ばれてきたのである。
中で暴れている獣の体長は、およそ七、八メートル。ぬらりとした緑色の鱗が陽光を弾いていた。大型竜である。人間たちによって品種改良を重ねられた末にソゾスと名づけられた種類であり、メフィウスでは戦争にも使用していた。
がちがちと嚙み合わされる牙、そして六本足に生えた爪のひとつひとつが、さながら鋭い剣のようだ。薬を打たれてか、いくぶんかはその凶暴な本能を抑えつけられているようだったが、それでも八トンにもなろうかという巨体が悶えを打つたびに、鋼鉄製の檻がおもちゃみたいに吹き飛んでしまいそうになる。
「さあさ、お集まりの紳士淑女諸君!」
檻が壊れないうちに、とせっつかれでもしたのか、拡声器を使った司会者の口上が、唐突にはじまった。
「次なる演目のはじまりだ。かつては地表を埋め尽くし、文化をも築いたであろう偉大なドラゴンたちも、いまや我々の見下ろすこの先では、血に飢えた、ただの獣も同然。恐れることはありません。我々は宇宙航海時代から引き継いだ勇敢なる魂と、高潔なる意志があります。竜の牙と爪──そして恐ろしいまでの口臭!──に引けを取るものでもありません。その証拠に、ご覧ください。恐ろしき邪神の遣い、この竜たちにいましも挑もうとしている、勇敢なる人間たちの姿を!」
東側のゲートから、ひとりの剣闘士が進み出てきた。隆々とした体軀をした男の手には、鎖につながれた鉄の球がある。
「〈鉄球〉バーン!」
歓呼の声が一段と高まった。バ・ルーで一、二位を争うほどに人気のある剣闘士だ。浅黒い肌をした三〇代半ばほどのその男が、客席の紳士淑女に手を振って応える。そして、
「虎だ」
「見ろ、鉄の虎オルバ!」
西側のゲートからもうひとりの剣士が歩み出てきた。
ちょっとした変わり種だな、と青年が小さく口にしたのは、この剣闘士が顔を鋼色の仮面で覆っていたからだ。虎を模しているのだろう、唇をめくり上げ、小さな牙を覗かせた口腔内にちょうどオルバ本人の口もとが見える造りになっている。吊り上がったあまりに引き裂かれたかのような形状をした虎の目の奥に、やはりオルバ本人の双眸が覗き、本来丸まっている虎の耳は、額の左右で鋭く尖って、あたかも角を生やしているかのようだ。
が、気を惹いたのはそこだけだ。他に際立った個性はない。身体つきはバーンに比べると線が細く、手にしているのもごく普通の長剣だった。観衆たちもあざ笑うように、
「あいつの細い身体を見ろよ。あっという間に鉄球で押し潰されちまうのが落ちだぜ」
「ティダンの闘技場で、『男爵』マイヤーの首をたった二合で撥ねたらしいね。おれたちのバーンに同じことをやってやるがいい。やれるもんならね!」
「鉄の虎オルバですって」少女が、興奮に頰を染めたまま話しかけた。「バ・ルーには初お目見えじゃないかしら。有名らしいけれど、お義兄さまは知ってらして?」
「知るものか」
「まあ、つれないお返事。いいわ、そんなに退屈でいらっしゃるのなら、ちょっとこの試合で賭けをしてみましょうよ。それならもうちょっとは乗り気になられるでしょうし」
「賭けだって。いったい何を、どうやって」
「簡単よ。いまから戦うあのふたり、どちらが勝つかを予想して」
「馬鹿馬鹿しい。賭けになんてなるものか。あのバーンとやらはさすがにおれでも名前くらいは知っている。それにあの体格の違い。素人でもわかる。どうせあいつに賭けて、おれから欲しいものをむしり取ろうっていうんだろう」