烙印の紋章たそがれの星に竜は吠える

一章 鉄と血 ②

「まあ、むずか屋さん! そんなら、いいわ。いつまでもひとりでふてくされてればいいんだわ。何よ、少しは気晴らしになるだろうって思って誘ってあげたのに。わかった、わかりましたわ、イネーリといっしょにいるのも嫌なのね。それでしたら、もう二度とお誘いしませんので、ご安心を!」


 つんと少女が顔を背けると、青年はあわててほおづえをやめた。


「ま、待て。悪かったよ。おれがあのめんけんける。それでいいんだろう?」

「いいえ。イネーリのほうがあの剣士に賭けますわ。おさまは鉄球バーンになさって」

「へえ? なぜだい」

「気に入ったのよ」


 顔も見えないのにか?──そう言いかけて、青年は危うく口ごもった。これ以上げんを損ねることもない。


「さあ、あの女性を解放する英雄やくになうのはオルバかバーンか。はたまた、りようゆうけんとうむなしく、おりを破られて、あわれ美女はりゆうぶくろに収まってしまうのか」


 こうじようやくがさらに声を張る。これからふたりの剣士が戦い、勝ったほうが、竜のしゆからあの女性──司会者言うところの「とあるぼうこくの王女」──を救い出し、ひと夜の愛をも勝ち取ることができる、と、そういったシチュエーションらしかった。

 両者がともに前へと進み出た。近づくと、オルバの体格そくがより強調される。バーンが最前席の客席に聞こえるような声で言った。


さまとらとやらか。名前は聞いている。が、うわさほど当てにならないものもないな。顔をかくしても、その合間から見えるはだでわかる。おまえはまだ若い、それもガキだ」鉄球バーンは、体格どうよう、太いくちびるをひん曲げて笑う。「おおかた、その仮面はめられないためのこけおどしだろう。貴様は虎なんかじゃない、ただのいぬちくしようだ。このおれが本物の男との戦いがどういうものなのかとくと教えてやる」


 肩で大きく笑うバーンに対し、オルバは答えない。それをおくびようかぜに吹かれたとみなしてか、バーンはあざけりのまなしをくれながら鉄球を肩の上で身構えた。


「はじめ!」


 鋭く投げかけられた合図の声も、なおいっそう高まる歓声になかき消えた。しゆんかん、バーンが動いた。

 鉄球を力の限りに振り回す。最初、やはり踏み込んでいくかに見えた仮面の剣士が、その勢いにあわてたようにあとずさった。ちっ、と小さなばなを立てて仮面と鉄球とがこすれ合う。それだけでよろめいたオルバめがけてバーンがついげきをかけた。人間の頭よりよほど巨大な鉄の球が風のうなりとともに迫り来るのを、オルバは後退して避けつづける。

 地面を転がって、大げさに飛び退き、しまいには逃げるようなぐさでどたどたと駆け回り──客たちの笑いを誘った。


「おやおや、おまえお気に入りの剣士はどうにもはたいろが悪いな」例の青年が言った。「というか、まともに戦いにもならないじゃないか」

「そうかしら?」


 まっすぐに前を向いた少女は、ぽってりとけつしよくのいい唇に指をあてがいながら言った。


「だったら、どうしてあっさり勝負がつかないの?」

「それは、相手がみじめに逃げ回っているからだろ」

「バーンには、ざまに逃げる相手を追い詰めることもできない、ってことかしら?」


 青年は何か言い返そうとしてふと口をつぐんだ。見ると、オルバはまっすぐ後退するのではなく、相手からとう距離を保ったままえん運動をしていて、バーンもすぐには追いちをかけられないようなのだ。

 ごうを煮やしてか、バーンがこんしんの力を込めたいちげきを放り投げる。肩の上にやり過ごしたオルバは──はた目にも、これは彼にとってこうと見えたが──、手にした剣でちょいと突つくをしただけで、またも距離を取ろうとする。


にやれ」

「ふざけるな!」


 客も笑うのをやめて、せいを浴びせはじめた。オルバに対してのみならず、逃げ回る相手をめきれないバーンに対してのものもある。「さま!」とバーンがえた。オルバめがけて斜めに飛び込んでいこうとする。あっ──と声をあげたのは少女だった。

 いまのいままで腰の引けていたオルバが、とつじよ前のめりになったのだ。足を止めた相手にバーンもここぞとばかりに一撃を放つ。

 そのときオルバは右へと大きく身体からだを傾けるや、鉄球を避け、そのまま左つまさきを回転じくとして剣を斜め上へとひらめかせた。くさりの断ち切れる、みようんだ音がひびいたそのしゆんかんたいをふたたびひねったオルバは、らくらいのごとき勢いで剣を振り下ろす。

 バーンのとうちようはふたつに割れ、それから間もなくきよたいが崩れ落ちた。


「み、見事!」


 かい者が叫んだが、しかしあまりに突然、そしてあまりにがいけつまつが訪れたため、観衆たちはむしろぽかんとしている。ふさわしからぬせいじやくが辺りを包む中、当の勝者は意にかいしたふうもなく、くいのほうに歩み寄っていくと、れい数名の手を借りてそれを地面から外し、女性をしばりつけていたロープを剣で切った。

 かんの叫びとともに首っ玉にかじりついてこようとする女性をらんざつに押しのけると、オルバはさっさと自分のゲートのほうへ戻っていってしまった。

 特等せきの少女が──彼女も、ついいままであつない幕切れにぽかんとしていた口だったが──くすりとくちびるをほころばせた。オルバというあのけんとう、まるで客を意識していない。ただ今日も言われるがままに戦った、そして殺した、それだけだ──と言わんばかり。


「あいつ、バーンをやったぞ」

「それも一撃だ」


 いっときの静寂から、やがてオルバをたたえる声がぽつぽつとれはじめる。白けかけていた客たちも、手をたたき、たどたどしく足を踏み鳴らして、勝者にふさわしい声援を送りかけた。ようやくのことで場内があるべき姿に戻りかけたその瞬間、と大気が震えた。

 りゆうソゾスのほうこうだった。

 薬が切れてか、それとも血のにおいに本能をげきされてか、とつじよその巨体を右から左へと大きく振るうと、おりの一部をたたき壊した。檻を片づけようとしかけていたれいひとりが、頭から竜の手につかみ上げられる。抵抗する間もなく、そのじよう半身がソゾスの口へと消えた。

 骨の砕ける音がした。水分を含んだ、嫌なしやくおんが聞こえたのもいつしゆん、つんざくような悲鳴がとうじよう内に満ちた。恐怖とパニックがたちまち辺りをせつけんしていく中にあって、ソゾスはむしろゆうぜんと、壊れた檻の合間からさらにその腕を伸ばしていく。

 われさきにと逃げ出すぐんしゆうまれ、例の青年は転倒しそうになった。その手をよこいからぐいと引かれる。


「こちらです。急いで!」


 特等席のけいをしていた兵士たちである。剣と銃とで辺りをかくしながら、青年を奥へ逃がそうとする。


「ま、待て。イネーリが──」


 あらがおうにも、逃げようとするひとなみに揉まれて自由に動けない。すると、ひときわかんだかい悲鳴が聞こえた。ソゾスがまえあしをかけた仕切りのすぐ向こう、他ならないイネーリの姿があった。じきから転げ落ちた少女の顔は色を失い、いまにも気を失いそうに見えた。

 竜の長いはなつらが上下に裂けた。鋭いけんさきにも似たきばの列が、よだれの糸を引きながらあらわになる。思わず青年が目をらしかけたとき、ソゾスの首もとから細い血のすじき上がった。けんとうじようお抱えのえいへいたちが銃を持って駆けつけてきたのだ。しかし客席が近いために、きん距離でしかつことができず、彼らのがまえる姿はいかにもへっぴり腰だ。近づこうかどうしようかまごまごしているすきに、ソゾスがすばやく振り向きざまに尻尾しつぽいちげきを放って、数名がまとめて吹き飛んでいった。

 へたり込んでいた少女は、目をげんかい近くにまでみはっていた。

 そしてその目で、見た。

 ソゾスのよこいをとつぷうのごとく駆け抜けた影があった。影は客席の仕切り壁にぶち当たるすんぜん、その壁をって高く舞い上がった。とらしたてつめんが少女の目に飛び込んできたとき、剣闘オルバの姿はソゾスの首もとにあった。