「お、何だ。何だ」
「おれと遊びたいらしいぜ!」
赤ら顔の兵士は母を振りほどくと、その場に押し倒した。金切り声をあげようとした母の口を手で塞ぎ、鎖帷子の隠しから鋭いナイフを取り出すと、母の青ざめた顔に突きつける。
「よせよ、女なら何でもいいのか、おまえ」
「若い女の味もいいが、こういう、うば桜も悪くないんだ」
そう言って赤ら顔が下卑た笑みを見せたとき、張り詰めていたオルバの感情の糸が切れた。奇声をあげて突っかかっていく。決死の突撃だったが、腕のひと振りであっさり後ろへと吹き飛ばされた。
棚に背中と頭をぶつけ、一瞬朦朧としたものの、オルバは歯を嚙みしめてすぐにまた向かっていこうとした。と、その棚の上から、がしゃんと派手な音を立てて落ちてきたものがあった。包みにくるまれた細長いもので、その包みの先端部分が破けて、銀色の光沢をオルバの目に放射している。
(これは──)
反射的に覆いかぶさったオルバは、急いで包みを破った。果たして、それは長さ六〇センチほどの小剣だった。柄頭が丸いのはメフィウス製の特徴だ。細身の刀身にあわせて柄もやや細く、子供の手にもしっくりと馴染む。
反射的にそれを握りしめていたオルバの目に、刀身に掘られたある文字が飛び込んできた。
(オ、ル、バ)
わずか一瞬──、母の悲鳴と、赤ら顔が乱雑に自分の鎖帷子を脱ぎ捨てる音、家を荒らしまわる兵士たちの立てる物音や、オルバ自身の中に恐ろしい勢いで駆け巡った黒い血のたぎりが、遠方に追いやられ、その一瞬の間に凝縮された思考が答えを導き出した。
他ならぬ、『オルバ』と刻印された剣。自分はもちろんそんなものが家の中にあるなどとは知らなかった。母や、他の知り合いがわざわざ彼のために用意してくれたものとは思えない。となると、これはきっと兄ロアンからの贈り物ではないのか。
ロアンは奉公で得た給金はすべて母に手渡していたはずだ。それに剣など普通の街で買い求められるものではない。おそらくは、アプター砦に向かったあと、兵士として支給された武器のうちこのひと振りを、砦にいる鍛冶師に頼んで名前を刻印してもらったのだ。いまだに子供っぽい夢を捨てきれない弟のために。
そして、砦や街を巡回する隊商にそれを預けた。家にあるということは、母が受け取ったのだろう。その後オルバ自身の手に渡らなかったことから考えて、彼女は意図的に息子の目から遠ざけたに違いない。オルバにはそれが危険だと判断した上でのことか、あるいは、剣を手にしたオルバがロアンのように遠くへいってしまうことを恐れたためか。
いずれにせよ──、
「おい、おまえの持っているそれは何だ?」うずくまったオルバの背後から兵士が声をかけてきた。「大事そうに抱えて、よほどのものらしいな。おい、そこをどいて見せてみろ」
「これは、おれのものだ」
「それを判断するのはおまえじゃない、おれなんだよ。さあ、よこせ」
せせら笑った兵士がオルバの肩に手をかけ、強引にその場をどかせようとした。もう充分だった。そうだろう、オルバ。彼は内なる声に自ら応えた。
「見せろと言って──ぎゃっ」
振り向きざまに、オルバは上から下へと剣を振り下ろした。腕から血しぶきを上げてよろめく兵士のその脇をすり抜けて、母に伸しかかっていた男めがけて突っ走る。
赤ら顔が、目をひん剝いて母から跳び退いた。すぐさま手斧を取って、次に降りかかったオルバの一撃を受け止める。オルバも両足を踏ん張って何とか剣を届かせようとするが、いかんせん刀身は短く、さらに子供の力では手斧を押し退けることもできない。逆にあっさり力負けをして、オルバは横倒しにさせられた。
「このガキ」
殺意の一撃が振り落とされる。オルバは横へと転がった。一回転をしたその目と鼻の先に、斧の刃ががっしと喰い込む。血液もが凝固するようなその一瞬、
「やめて!」
赤ら顔の足先に母がすがりついていた。逆上した赤ら顔はその手を蹴り飛ばすと、振り返り、斧をよりいっそう高く振り上げた。それを見たオルバの、黒い血の昂ぶり──長い時間をかけて、少年の体内でどろどろに溜まっていた不安、苛立ち、怒り、その他様々な感情──が、いまようやく形あるものへ鋳造されるかのごとく、とある一点から放出されようとしていた。
立ち上がった。そして剣を持った両の手を自分の腋近くに押しつけると、身体ごと、兵士の無防備な背中にぶち当たっていった。
鎧を脱ぎ捨てていた男の背中は、最初、思いのほかすんなりと刀身を受け入れた。それからやや硬い抵抗があった、が、それもあっという間に諸手をあげてオルバの前進を歓迎し、そしてしまいには男の胸から切っ先が突き抜けた。
赤ら顔の男はよろめき、それにオルバもつられそうになったので、あわてて剣を手放した。赤ら顔は背中から壁にぶつかった。ようようオルバのほうへと向き直ったあと、何か恨み言を言おうとしてか、ぱくぱくと口を開閉させてから、ごぶっと多量の血を吐いて、真っ赤な舌を垂らしながらへたり込み、そして、動かなくなった。
「手前!」腕を斬られ、痛みに顔をしかめていた兵士のひとりが叫んだ。
「ドゥーガを、貴様、やったな。ガキの分際で」
もうひとりも大声でわめいて、オルバへ駆け寄ってくる。剣のないオルバはそのまま体当たりを受けて、またも床に転がされてしまった。腹を蹴り上げられ、背中を踏みつけられた。
「親子仲良く、首を軒先に吊るしてやる」
四つん這いにさせられたオルバの首筋に、剣先が突きつけられた。手をひねり上げられた母親もまた、同じ姿勢でオルバと並べられる。力を振り絞って身をよじろうとも、背中を踏みつけた大人の体重を跳ね除けることなどできなかった。
「放せっ」
「ああ、すぐにな。手前が死体になったそのあとでだ!」
オルバは獣のような叫びをあげて、生と死の間に忽然と訪れたその一瞬を彷徨した。ひゅうっ──と風切る音が垂直に叩き落される。最後に、兄ロアンの名前を叫んだそのとき、
「何をしている」
ぴたりと風切り音が止んだ。はっと頭を巡らしたオルバは、しかしそこに想像したような兄の姿を認めることはなかった。
新たに家の中へと入ってきたのは、やはりガーベラ戦士であった。ただしこちらは押しかけてきた兵士たちと異なって、一部の隙もなく全身を武装しており、甲冑も銀白色に輝いている。顔はまだ若かった。
いっとき、兵士たちはその闖入者に怯んだかに見えたが、
「ご覧のとおりですよ、『騎士見習い』どの」
「戦いに勝って、正当な報酬をいただいているんだ。少しばかり功績を立てなさったからといって、しょせん騎士にはあられぬ身、まさか止めるような野暮なことはなさらないでしょうな」
ふたりは顔を歪めて説明した。慇懃な態度をよそおいながらも、どこかその男を軽んじている空気があった。
「それに、見なさい。仲間が殺されたんだ。ガーベラの誇りある戦士が、仇討ちもせずに済ませられるわけがないでしょう」
言うなり、兵士はオルバの身体を足で転がすと、逆手に握った剣の狙いを定めた。天を仰いだオルバの目に見えたのは、切っ先と、そして、横合いから閃いたひと筋の光だった。
「何をする!」
「情けない。仇討ちだと? こんな子供相手に、何の誇りだというんだ」
甲冑姿の若者は抜刀していた。どうやらオルバの心臓を貫くはずだった剣を横から弾いたらしい、とわかったときには、兵のひとりが斬り倒されていた。もうひとりがだみ声に近い声で何事か怒鳴った。それはどうやら甲冑姿の名前らしかったが、そのときのオルバにはよく聞き取れなかった。
「な、仲間を……よくも、貴様」
「おまえらのような下劣な輩に、仲間などと呼ばれたくはないな」
血に濡れる剣先を突きつけられ、兵士はあとずさった。
「下劣だと。貴様も同じような身の上だろうが。それを、たまたま手柄を立てる機会にたいそう恵まれたからと、調子に乗りやがって──。普段から、騎士、騎士、と口癖のように唱えているようだが、おまえなどが本物の騎士になれるものか。ガーベラ王家と血縁でもないおまえなど、一生『見習い』のままさ。身のほど知らずめが!」