烙印の紋章たそがれの星に竜は吠える

一章 鉄と血 ⑧

「お、何だ。何だ」

「おれと遊びたいらしいぜ!」


 赤ら顔の兵士は母を振りほどくと、その場に押し倒した。かなり声をあげようとした母の口を手でふさぎ、くさり帷子かたびらかくしから鋭いナイフを取り出すと、母の青ざめた顔に突きつける。


「よせよ、女なら何でもいいのか、おまえ」

「若い女の味もいいが、こういう、うばざくらも悪くないんだ」


 そう言って赤ら顔がみを見せたとき、張り詰めていたオルバの感情の糸が切れた。せいをあげて突っかかっていく。決死のとつげきだったが、腕のひと振りであっさり後ろへと吹き飛ばされた。

 棚に背中と頭をぶつけ、いつしゆんもうろうとしたものの、オルバは歯をみしめてすぐにまた向かっていこうとした。と、その棚の上から、がしゃんと派手な音を立てて落ちてきたものがあった。包みにくるまれた細長いもので、その包みのせんたん部分が破けて、銀色のこうたくをオルバの目に放射している。


(これは──)


 反射的におおいかぶさったオルバは、急いで包みを破った。果たして、それは長さ六〇センチほどのしようけんだった。つかがしらが丸いのはメフィウス製のとくちようだ。ほそとうしんにあわせて柄もやや細く、子供の手にもしっくりとむ。

 反射的にそれを握りしめていたオルバの目に、刀身に掘られたある文字が飛び込んできた。


(オ、ル、バ)


 わずか一瞬──、母の悲鳴と、赤ら顔がらんざつに自分の鎖帷子を脱ぎ捨てる音、家を荒らしまわる兵士たちの立てる物音や、オルバ自身の中に恐ろしい勢いで駆け巡った黒い血のたぎりが、遠方に追いやられ、そのいつしゆんの間にぎようしゆくされたこうが答えを導き出した。

 他ならぬ、『オルバ』とこくいんされた剣。自分はもちろんそんなものが家の中にあるなどとは知らなかった。母や、他の知り合いがわざわざ彼のために用意してくれたものとは思えない。となると、これはきっと兄ロアンからの贈り物ではないのか。

 ロアンはほうこうで得た給金はすべて母に手渡していたはずだ。それに剣など普通の街で買い求められるものではない。おそらくは、アプターとりでに向かったあと、兵士として支給された武器のうちこのひと振りを、砦にいるに頼んで名前を刻印してもらったのだ。いまだに子供っぽい夢を捨てきれない弟のために。

 そして、砦や街をじゆんかいする隊商キヤラバンにそれを預けた。家にあるということは、母が受け取ったのだろう。その後オルバ自身の手に渡らなかったことから考えて、彼女は的に息子むすこの目から遠ざけたに違いない。オルバにはそれが危険だと判断した上でのことか、あるいは、剣を手にしたオルバがロアンのように遠くへいってしまうことを恐れたためか。

 いずれにせよ──、


「おい、おまえの持っているそれは何だ?」うずくまったオルバの背後から兵士が声をかけてきた。「大事そうに抱えて、よほどのものらしいな。おい、そこをどいて見せてみろ」

「これは、おれのものだ」

「それを判断するのはおまえじゃない、おれなんだよ。さあ、よこせ」


 せせら笑った兵士がオルバの肩に手をかけ、ごういんにその場をどかせようとした。もう充分だった。、オルバ。彼は内なる声に自ら応えた。


「見せろと言って──ぎゃっ」


 振り向きざまに、オルバは上から下へと剣を振り下ろした。腕から血しぶきを上げてよろめく兵士のその脇をすり抜けて、母に伸しかかっていた男めがけて突っ走る。

 赤ら顔が、目をひんいて母から跳び退いた。すぐさまおのを取って、次に降りかかったオルバのいちげきを受け止める。オルバも両足を踏ん張って何とか剣を届かせようとするが、いかんせんとうしんは短く、さらに子供の力では手斧を押し退けることもできない。逆にあっさり力負けをして、オルバはよこだおしにさせられた。


「このガキ」


 殺意の一撃が振り落とされる。オルバは横へと転がった。いつ回転をしたその目と鼻の先に、斧のやいばががっしと喰い込む。血液もがぎようするようなその一瞬、


「やめて!」


 赤ら顔の足先に母がすがりついていた。ぎやくじようした赤ら顔はその手をり飛ばすと、振り返り、斧をよりいっそう高く振り上げた。それを見たオルバの、黒い血のたかぶり──長い時間をかけて、少年の体内でどろどろにまっていた不安、いらち、怒り、その他さまざまな感情──が、いまようやく形あるものへちゆうぞうされるかのごとく、とある一点から放出されようとしていた。

 立ち上がった。そして剣を持った両の手を自分のわき近くに押しつけると、身体からだごと、兵士の防備な背中にぶち当たっていった。

 よろいを脱ぎ捨てていた男の背中は、最初、思いのほかすんなりととうしんを受け入れた。それからやや硬い抵抗があった、が、それもあっという間にもろをあげてオルバの前進を歓迎し、そしてしまいには男の胸からさきが突き抜けた。

 赤ら顔の男はよろめき、それにオルバもつられそうになったので、あわてて剣を手放した。赤ら顔は背中から壁にぶつかった。ようようオルバのほうへと向き直ったあと、何かうらみ言を言おうとしてか、ぱくぱくと口をかいへいさせてから、ごぶっと多量の血を吐いて、な舌を垂らしながらへたり込み、そして、動かなくなった。


手前てめえ!」腕をられ、痛みに顔をしかめていた兵士のひとりが叫んだ。


「ドゥーガを、さま、やったな。ガキのぶんざいで」


 もうひとりも大声でわめいて、オルバへ駆け寄ってくる。剣のないオルバはそのまま体当たりを受けて、またも床に転がされてしまった。腹をり上げられ、背中を踏みつけられた。


おや仲良く、首をのきさきるしてやる」


 四つんいにさせられたオルバのくびすじに、けんさきが突きつけられた。手をひねり上げられた母親もまた、同じ姿勢でオルバと並べられる。力を振りしぼって身をよじろうとも、背中を踏みつけた大人おとなの体重を跳ね除けることなどできなかった。


「放せっ」

「ああ、すぐにな。手前が死体になったそのあとでだ!」


 オルバはけもののような叫びをあげて、生と死の間にこつぜんと訪れたそのいつしゆんほうこうした。ひゅうっ──とかぜる音が垂直にたたき落される。最後に、兄ロアンの名前を叫んだそのとき、


「何をしている」


 ぴたりと風切り音がんだ。はっとこうべを巡らしたオルバは、しかしそこにそうぞうしたような兄の姿を認めることはなかった。

 新たに家の中へと入ってきたのは、やはりガーベラ戦士であった。ただしこちらは押しかけてきた兵士たちと異なって、一部のすきもなく全身を武装しており、かつちゆうぎんはくしよくに輝いている。顔はまだ若かった。

 いっとき、兵士たちはそのちんにゆう者にひるんだかに見えたが、


「ごらんのとおりですよ、『ならい』どの」

「戦いに勝って、正当なほうしゆうをいただいているんだ。少しばかりこうせきを立てなさったからといって、しょせん騎士にはあられぬ身、まさか止めるようななことはなさらないでしょうな」


 ふたりは顔をゆがめて説明した。いんぎんな態度をよそおいながらも、どこかその男を軽んじている空気があった。


「それに、見なさい。仲間が殺されたんだ。ガーベラの誇りある戦士が、あだちもせずに済ませられるわけがないでしょう」


 言うなり、兵士はオルバの身体からだを足で転がすと、さかに握った剣のねらいを定めた。天を仰いだオルバの目に見えたのは、さきと、そして、よこいからひらめいたひと筋の光だった。


「何をする!」

なさけない。あだちだと? こんな子供あいに、何の誇りだというんだ」


 かつちゆう姿すがたの若者はばつとうしていた。どうやらオルバのしんぞうつらぬくはずだった剣を横からはじいたらしい、とわかったときには、兵のひとりがり倒されていた。もうひとりがだみ声に近い声で何事かった。それはどうやら甲冑姿の名前らしかったが、そのときのオルバにはよく聞き取れなかった。


「な、仲間を……よくも、さま

「おまえらのようなれつやからに、仲間などと呼ばれたくはないな」


 血にれるけんさきを突きつけられ、兵士はあとずさった。


「下劣だと。貴様も同じような身の上だろうが。それを、たまたまがらを立てる機会にたいそう恵まれたからと、調子に乗りやがって──。普段から、、騎士、とくちぐせのように唱えているようだが、おまえなどが本物の騎士になれるものか。ガーベラ王家とけつえんでもないおまえなど、一生『見習い』のままさ。身のほど知らずめが!」