先生、今日から同い年ですね?
プロローグ ①
それは、四月も終わりにさしかかったある放課後のことだった。
「先生のこと、ずっと前から好きでした」
西日が差し込む職員室。一人学校に残って事務仕事をしていた高校教師──冬月悟に、少女はそう想いを告げた。
「私と、お付き合いしてください」
声を震わせながら、少女は深々と頭を下げる。
長年可愛がってきた女子生徒からの突然の告白。悟は数秒の間、目の前で震える少女を見つめながらかけるべき言葉を探した。
「……薬師寺、顔を上げなさい」
悟の言葉に、薬師寺と呼ばれた少女は顔を上げる。
その顔は耳まで真っ赤で、唇をキュッと引き結んでいた。目の端には涙がにじんでいて、必死に勇気を振り絞って告白してくれたのだろうということが伝わってくる。
再び数秒の沈黙。
その言葉を告げるには悟の方にも覚悟が必要だった。
だが教師として、何と答えるべきかなど決まっている。
「気持ちは嬉しいが、その気持ちは受け取れない」
瞬間、少女の顔から血の気が引いた。
それでも少女は無理に笑おうとした。唇を震わせながら、絞り出すように口を開く。
「そ、そうですよね。私はまだ十六歳、未成年と付き合うのは……リスクが大きすぎて、合理的ではありません……」
現実逃避するように、少女は震える声で続ける。
「で、でもあと二年、あと二年もすれば私も結婚できる歳になるんです。だ、だからその時にあらためて……」
「たとえ君が成人しても、私は君と付き合う気はないよ」
ピシリと、何かが割れる音を聞いた気がした。
「理由を聞いても、いいですか……?」
今にも泣き出しそうなか細い声。今すぐ抱きしめて慰めてやりたいという衝動を、悟は椅子の肘掛けを摑んでぐっと堪える。
代わりに、さらに少女を突き放すような言葉を口に出す。
「私は教師で、君は生徒だ。その一線を越えるつもりはない」
「そ、それなら私が卒業してからなら……」
「それでも私の答えは変わらない。私はもう三十過ぎのおじさんだ。十六歳の君とはあまりにも歳が離れすぎている」
「そんなの関係ありません! だって、だって私は先生のことが……」
なおも食い下がろうとする少女に、悟は小さく首を振る。
「どうか君にはもっと歳が近い、同じ時間を過ごせるような相手を見つけてほしい」
静かな声ではあったが、それは明確な拒絶だった。
少女の目から涙が溢れる。大粒の涙が頰を伝い、ぽたり、ぽたりと落ちていく。
「……たぶん、こうなるだろうってわかってました」
ぽつりと呟くように少女は言った。
「先生真面目だし、いつも私達のこと考えてくれてるから……これが私のためって……告白しても、フラれちゃうんだろうなって……」
そこまで言って、ついに嗚咽を堪えられなくなった。肩を震わせて、顔をくしゃくしゃにしながら悟を見る。
「こうなるだろうなって、わかってたのに……!」
少女は背を向けると逃げるように部屋から飛び出して行った。
扉の向こう、少女の足音が遠ざかる。悟は椅子の肘掛けを摑んだままそれを見送るしかなかった。
背もたれに体重を預け、天井を仰ぐ。
(……後悔はしていない)
自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
教師として、生徒と恋愛関係になるなど言語道断。
仮に彼女が卒業した後でも、自分と彼女とでは大きな歳の差がある。その差は埋めがたいし、万が一結ばれたとしても、どうあがいても自分の方が先に老いていく。
彼女は優秀な生徒だ。きっと明るい未来が待っている。
その可能性を狭めないためにも、告白を断った自分の判断は教師としても大人としても間違っていないはずだ。
だがそれでも。
いつも無邪気な笑顔を向けてくれる彼女が、顔をくしゃくしゃにして泣いている姿を思い出すと胸が苦しくなる。
あの告白をするにはどれほどの勇気が必要だっただろう。どれだけ考えて、悩んで、覚悟を決めて告白してくれたのか。
「薬師寺……」
ぽつりと呟いて、机の上に置いてある写真立てを見た。
そこには彼女が小学生の頃、二人で撮った写真が飾ってある。特定の生徒を特別扱いするのは教師としてあまり褒められたことではないが、やはり彼女は悟にとって特別だった。
最初に出会ったのは、彼女がまだ真新しいランドセルを背負っていた頃だ。
出会ったばかりの彼女はとても人見知りで、誰からも距離をとって一人で本を読みふける大人しい女の子だった。
それが一緒に過ごすうちに徐々に心を開いてくれて、「せんせー」とちょこちょこ後ろをついてくるようになって……。
初めて彼女から手を繫いで、おずおずとしながらも甘えてくれた時には不覚にも涙ぐんでしまったのを今でも覚えている。
最も付き合いが長く、とても良く懐いて慕ってくれる可愛い生徒。なんなら、娘のようにすら思っていたかもしれない。
それが異性として好意を持たれているなど、夢にも思わなかった。
(もう元の関係には……戻れないのだろうか……?)
ついそんなことを考えてしまい、自嘲するように笑う。
彼女の気持ちを拒絶して傷つけたくせに、これで彼女が離れていったら辛いだなんて思ってしまっている。
もう仕事なんて手につかなくて、片手を額に当てて息を吐く。明日からどう接すればいいのか、そればかり考えてしまう。
そんな時だった。
「失礼、します」
控えめなノックとともにゆっくりと扉が開いた。
「薬師寺……」
少女は戻ってきた。目は真っ赤で涙の痕は残っていたが、もう顔はきちんと上がっていた。
「さっきは突然……すいませんでした」
悟の前まで来てぺこりと頭を下げる。悟も慌てて姿勢を正した。
「いや、こっちこそ言い方がきつかった。すまない、薬師寺」
「いえ……大人としては、妥当な対応だと……思いますから……」
そう言いつつも先ほど拒絶された時のことを思い出しているのか、彼女の顔は辛そうだった。
しばらく沈黙が流れる。そして少女は呟くように聞いてきた。
「先生は、私のこと……嫌い、じゃないんですよね?」
「嫌いなわけないだろう……!」
即答した。それだけは絶対にあり得ない。
「……よかった」
少女は胸に手を当て、少しだけ安堵の息をついた。
「あの、先生? できれば、さっきの告白はなかったことにしていただけませんか?」
「ああ、わかった」
悟もほっと息を吐く。彼女もこれで自分との関係が気まずくなるのは嫌なのだろう。
少し卑怯な気もするが、その提案は悟としても願ったりなものだった。
少女は小さく頷いた後、さらにおずおずと聞いてくる。
「先生が断った一番の理由は、歳の差……なんですよね?」
「……まあ、そうなるな」
「もし、もしもですよ? 先生が私と同い年だったりしたら、どうしてました? 私が告白しても、同じようにふってましたか? それとも……」
その問いに、悟も一瞬そんな世界を想像して苦笑した。
「はは、薬師寺みたいな子に告白されて断るわけがないだろう」
思い出すのは灰色の高校時代。あの時にもし彼女のような可愛くて魅力的な女子に告白されたらそれこそイチコロだっただろう。
だが言ってから『しまった』と思った。今の自分の立場でこんなことを言うのはあまりにも無神経だろう。
しかし、意外にも少女は嬉しそうだった。
「えへへ……そんな風に思ってくれるの、嬉しいです」



