先生、今日から同い年ですね?
プロローグ ②
少女はほんのりと頰を赤らめながら無邪気な笑顔を浮かべる。悟はホッと息をつくと、あらためて少女を見つめた。
──実際、ひいき目抜きにしても彼女はとても可愛らしいと思う。
目鼻立ちは整っているし、ぱっちりと大きな眼はとても可愛らしい。室内で過ごすことが多いのもあって肌は真っ白できめ細かく、手足はスラリとしていてスタイルもいい。
そして容姿以上に内面が魅力的だ。
高校生にもなれば多少は擦れてきそうなものなのに、彼女の無邪気で無垢な笑顔にはいつも癒やされている。
長い時間見てきたからこそ、悟は誰より彼女の魅力を知っている。
もし、高校時代に同じクラスにいたら。もし、立場も年齢も同じだったら……。
つい、またそんなことを考えてしまって自嘲する。心の中で『俺はもう三十過ぎのおじさんだぞ』と自戒する。
「お騒がせしたお詫びといってはなんですが……コーヒー、入れますね」
そう言って少女は給湯スペースに向かうと、慣れた手つきで道具を並べ始めた。
悟はその背中を見つめながら、ふと記憶をたどる。
(……たしか、中学の頃からだったな)
彼女が中学に上がったあたりから、頻繁にコーヒーを入れてくれるようになった。
『コーヒーは身体にいいんです!』なんて言ってやけに熱心に毎日コーヒーを入れに来てくれたことを覚えている。今思えば、あれも彼女なりのアプローチだったのだろうか?
「どうぞ、先生」
「ありがとう。いただくよ」
悟は手渡されたカップをそのまま口に運んだ。口当たりは柔らかく、コーヒーの深い香りが鼻を抜ける。
だが──
(……ん?)
舌にかすかな違和感があった。いつもブラックで入れてもらっているはずなのに、今日は僅かに甘みを感じる。
とはいえ感じたのは小さな違和感だけ。特に気にせずそのまま飲み切る。
「全部飲みましたか?」
「ああ、ありがとう。ごちそうさ……ま……?」
くらりと目眩がした。最初は仕事のし過ぎかとも思ったが、明らかにそれとは違う。脳が強制的にスリープさせられるような感覚。
「なんだ……これ……?」
視界が揺れる。座っているはずの椅子の感触が遠ざかり、意識が急速に暗転していく。
そんな中で、少女は口元に笑みを浮かべてジッと悟を見ていた。
「お薬、効いてきたみたいですね……?」
薬? 耳を疑うような一言に悟の身体が強張る。
「薬、師寺……お前、まさか……」
「怒らないでくださいね。決して、悪いようにはしませんから……」
そんな言葉を聞いたのを最後に、悟の意識は途絶えた。
†
早朝。うっすらとした朝日がカーテン越しに差し込み、悟のまぶたをそっと撫でた。
「う……ん……?」
ぼんやりと目を開ける。見慣れた天井──職員室の天井だ。
休憩用に設置されていたソファに寝かされているらしく、頭の下にクッション、身体には毛布。そして──
「先生っ!」
「薬師寺……?」
声に顔を向けると、そこに少女がいた。椅子にちょこんと腰かけ、身を乗り出すようにして悟の顔をのぞき込んでいる。
「気分悪くないですか? 吐き気は? 眩暈は? 意識はしっかりしてますか?」
「あ、ああ……特に問題はないが……」
むしろ体調はすこぶる快調だ。近頃は歳のせいか、寝ても疲れが取れきれずに身体がだるかったりしたがそれが一切ない。ただ……
(視界が……やけに、歪んでいるような……?)
悟は不思議に思いつつ眼鏡を取った。
「……ん?」
どうしたことか、眼鏡を取った瞬間周りの風景が実にクリアに見える。
ここ最近視力が落ちてきて仕事中は眼鏡をかけていたのだが、今は裸眼で部屋の隅の文字も少女の顔も、驚くほど鮮明に見えるようになっていた。
ふと自分の手を見る。なんだか、肌つやがやたら良くなっている気がする。
状況が吞み込めず目をぱちくりさせる悟。その横で、少女が何やらぷるぷるしていることに気付いた。
「おい薬師寺? どうかし──」
「よっっっっしゃああああああああっ! やったやった! 成功! 大成功です!」
いきなり少女は喜びを爆発させた。困惑する悟を尻目に、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。
「や、薬師寺? いったいなにをそんなに喜んで……」
「えへへ〜♪ 私の長年の研究がついに実を結んだんですよ!」
「研究?」
「はいこれ。鏡です」
手鏡を差し出される。受け取って何の気なしに覗き込む。
「……誰だこいつ」
ついそんな間の抜けたことを口走った。
そこに映っていたのはどう見ても十代後半の青年の顔。
鏡に何か仕掛けでもあるのかと裏返してみるがごく普通の鏡。顔に手を当てると、瑞々しくて若々しい肌の感触が指に伝わってくる。
事ここに至って、ようやく悟も事態を吞み込めてきた。
口元をひくひくさせながら少女を見る。
「薬師寺……おま、お前……まさか……!」
「はい! 若返り薬を開発して盛りました!」
少女は満面の笑みでダブルピースを決めながらそんなとんでもないことを言うのだった。
──ここはとある大富豪が設立した特殊教育機関『私立黎明学園』。
衰退の一途を辿る日本を再生するために全国からあらゆる分野の天才児たちを集め、最先端の研究設備と莫大な予算、自由な学びの場を提供するという学校だ。
そして少女の名前は薬師寺くすり。
本来、人類の叡智を結集して百年掛けて辿り着くはずの〝正解〟。
その〝正解〟を『過程も途中式もその他いろいろなものもすっ飛ばして叩き出してしまう』と評された、自他共に認める世界一の薬学の天才である。
「先生の性格からして、私の告白を断るのは予測できてました。私がどれだけ好きって伝えても、流石に歳の差は大きいですしね。……でも、ある時思ったんです」
そう言ってにっこり笑う。
「歳の差が障害になるのなら……歳の差を無くしちゃえばいいんだって!」
くすりが何を言っているのか理解できない。いや、言っていることはわかるのだがいろいろな意味で脳が理解を拒んでいる。
口をぱくぱくさせる悟にくすりは無邪気な、そして何かを期待するような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「先生、今日から同い年ですね?」



