先生、今日から同い年ですね?
実験一『今日から同い年です!』 ①
再び鏡の中の自分に目を移す。
最近白髪が交じり始めていたはずの髪は真っ黒で、肌は若々しくハリがある。視界もくっきりで、体は羽根のように軽い。十代の肉体そのもの。
「……なんだこれ、夢か? いや、夢だろ。夢であれ」
頰をつねってみる。残念ながら普通に痛い。
「夢じゃありませんよ〜? 現実です、げ・ん・じ・つ。えへへ、すごいでしょ〜、苦労したんですよ若返り薬。あ、名前はひとまず『ワカガエール』と命名しまして……」
「……」
悟は無言のまま、ニッコニコで説明を始めるくすりの頭にゴツン! とゲンコツを落とした。
「いっっっったああ!? なにするんですか先生! 暴力反対! 今どき暴力教師はコンプラ的に即アウトって知らないんですか!?」
「他人に薬を盛るやつがコンプラを語るんじゃねえ!」
とんでもない事態ではあるが、教師として悟がやるべきことは決まっている。
つまりは……お説教である。
「いいか薬師寺。薬品は投与前に説明と同意が必要で……」
「うええ……こんな状況でまずお説教っていうのはどうなんですか先生?」
「それはそれ。これはこれだ。どんな状況だろうと悪いことをした生徒は叱る。それだけの話だ」
「ま、そんな真面目で融通利かないところも大好きなんですけどね。えへへ〜♪」
「……お前、絶対反省してないな」
「だって先生と同い年になれて嬉しいんですもん!」
無邪気に笑うくすりの姿に悟は再び頭を抱える。
(……とんでもないことになったな)
黎明学園では時折、世界の常識を覆すような理論や発明が生まれる。
重力制御理論。常温超伝導素材の開発。自己修復機能を持つ高分子素材。
技術面やコスト面の問題からどれもまだ世間一般には発表されていないが、公表されれば間違いなく世界がひっくり返るような代物ばかりだ。
だが今回のこれは、そんな中でも明らかに別格だった。
「若返り、か……」
人類が何千年も夢見てきた奇跡。
それが一人の女子高生によって達成されてしまった。しかもすでに実用化済み。世界初の若返り事例が自分。もう笑うしかない。
「……これ、世間に知られたらマズいどころじゃないぞ。下手すりゃ……いや、余裕で国家レベルの騒動になる」
「そうなんですか?」
キョトンとして首を傾げるくすりに、悟はまたため息をつく。
「そうなんですか? ……ってお前なぁ、もうちょっと社会とか世論に興味を……いや、まあそれはまた今度でいいか。とりあえずこれ、どういう原理で若返ってるんだ? データをまとめて上に報告しないと……」
「秘密です」
「は?」
「先生に飲ませたお薬の情報、ぜ〜んぶ私の頭の中にあります。データとしてはどこにも残してません」
「……正気か?」
「もっちろん。正気だし大真面目です♪」
くすりは指を一本立てて、からかうようにウィンクした。
「先生がこの学校に生徒として入学して、卒業まで私と一緒に青春してくれたらちゃんと教えてあげますから♡」
†
『全面的に彼女の要求を受け入れてください』
「はい?」
若返りという前代未聞の事態を報告すべく、今は海外にいる理事長に電話で連絡を入れた。が、返ってきたのは予想外の言葉だった。
『若返り薬。それは世界のあり方を根本から覆しかねない発明です。その製造方法を独占し、量産すれば社会的にも経済的にもとんでもない利益を生む。それについては論ずるまでもないでしょう』
「……はい」
『その製造に彼女──薬師寺くすりの協力が不可欠なことは、あなたもよく分かっているはずです。ならば、彼女の機嫌を損ねるようなリスクは絶対に避けるべきでしょう』
「それは……否定しませんが」
『というより、あなたが彼女の求愛を受け入れればそれで済む話でしょうに』
「……は?」
一瞬本気で何を言っているのかわからず、思わず素で聞き返してしまった。
『何をそんなに嫌がるのか理解に苦しみますね。彼女は若く、可愛らしく、優秀で、しかもあなたに強い好意を持っている。普通の男ならむしろ願ってもない話では?』
意地悪く笑って、電話の向こうの理事長は続ける。
『ああ、もしも法的なことを気にしているなら心配なさらず。その程度のことはどうとでも握りつぶせますし、なんなら男女の関係になっても構いませんよ? むしろそれくらい深い関係になってくれた方がコントロールしやすいかもしれません』
悟の表情が一変した。眉根を寄せ、吐き捨てるように言葉を返す。
「教師として、生徒とそのような関係になることはあり得ません」
『相変わらず堅物ですねぇ。ですが合理的に考えましょう。あなたが彼女をうまくコントロールしてくれればそれで済む話なんですよ、これは。それでどれだけの利益を期待できるか、あなただってわかるでしょう?』
受話器の向こうで理事長がくつくつと笑う。
悟はしばし黙ったまま受話器を握りしめる。ミシリ、と僅かに受話器が軋んだ。
「理事長……あなた方が生徒たちに協力を『お願いする』という形を取るうちは、私は何も言いません」
『……ほう?』
「ですが……もし生徒たちを都合のいいように『利用』しようとするのなら、私は迷わず生徒たちの側に立ちます。それをお忘れなきよう」
『ほほう? あなた個人で何ができるというのですか?』
「そうですね。本人が望むなら一緒に他国に亡命でもしてやりましょうか。いろいろと手土産にできる情報は持っていますしね。きっと大歓迎してくれますよ」
『……この通話は録音しています。そのようなことを口に出した時点でリスキーだと理解していますか?』
「もちろん。私はあなた方がそんなことをしないと信じていますから。信頼の表れですよ」
受話器越しに火花が散る。
やがて、くぐもった笑い声が電話口から漏れた。
『……いいですねぇ』
理事長の声音はどこか愉しそうですらあった。
『あなたは我が黎明学園の立ち上げ当初からいる、最も信頼の置ける教員の一人です。ぜひ、私とあなたが道を違えた時は全力で抗ってください』
「……そうならないことを祈ります」
『それで結構。ああ、それとこちらは個人的な意見なのですが……』
「?」
『私は生徒には皆、自分の夢を叶えてほしいと願っています。……なので若返り薬とか関係なく、あなたが結局は薬師寺さんに籠絡されて男女交際を始める……という展開に密かに期待してま』
ガチャン、と勢いよく受話器を置いた。
(最後に何ろくでもないことを楽しそうに言ってるんだあの人は……)
悟はしばらくそのまま天井を見上げ、そして絞り出すように息をつく。
すると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「お電話、終わりましたか?」
電話している間、外で待たせていたくすりがひょこっと扉から顔を覗かせた。
「終わったよ」と言ってやると小走りで近づいてくる。もう答えが予測できているのだろう、口元が緩んでいる。
そんな顔を見ているとさっきまでの会話で入っていた力が抜けてしまう。
「それでそれで? どうなったんですか?」
「……ああ。とりあえず、お前の要求を全面的に吞めってさ」
「じゃあ先生もこの学校に入学するってことですよね!? 一緒に青春スクールライフなんですよね!?」
「……まあ、そうなるか」
「やったぁ計画通り! えへへっ♪」



