先生、今日から同い年ですね?
幕間
それはくすりがまだ小学校高学年になったばかりの頃、とある日曜日の話。
玄関のチャイムが鳴るやいなや、くすりはぱたぱたと駆けていき扉を開けた。
「せんせー!」
「こんにちは薬師寺。今日も元気だな」
玄関先にいたのは冬月悟先生。数年前から家庭教師をしてくれている、大好きな先生。
くすりは笑顔で先生のもとに駆け寄ると、「こっち来て」とぐいぐい腕を引っ張る。
そうして部屋まで連れて来て差し出したのは、両手に抱えた厚い束。昨日から必死に書き上げた論文だ。
受け取った先生が目を丸くする。
「一晩でこれだけ……?」
「先生に褒めてもらいたくて頑張ったの!」
どう? どう? と、期待に満ちた瞳で様子を窺う。
すると先生はふっと目を細め、大きな手で頭をやさしく撫でてくれた。
「すごいな、よくやった」
「えへへ〜」
褒めてもらえたのが嬉しくてふにゃりと顔が緩む。撫でてもらえるのが気持ち良くて、「もっと撫でて」とおねだりする。
……ただ同時に、胸のあたりがきゅうっと締めつけられるような感じがする。
嬉しいのにちょっと苦しい。最近、こうして先生に触れられるたびにそんな不思議な気持ちになる。
そうしてしばらく褒めてもらった後、先生が少し心配そうな顔をした。
「頑張ったのはいいんだが……ちゃんと睡眠は取ってるか?」
「え。……あう」
図星を突かれて言葉に詰まる。
「ごめんなさい……ホントはいつもの時間に寝るつもりだったけど、気付いたら深夜の三時で……」
「その集中力は大切だが、あまり根を詰めすぎないようにな。身体を壊したら元も子もない」
先生はそう言ってたしなめながらも、口調はどこか優しかった。
「寝る子は育つだ。今日はいつもより長くお昼寝の時間をとろうか」
「やだ。もっと先生とお話ししたい」
「わがままを言うんじゃありません」
コツン、と頭をチョップされてくすりはぷうっと頰をふくらませる。そして少し考えてから口を開いた。
「……じゃあ、お昼寝するから。代わりに腕まくらして?」
くすりがそう言うと、先生はきょとんと目を瞬かせたあと困ったように笑った。
「そろそろこういうのも、あまりよくないんだがな……」
そう言いながらも頷いてくれる。
二人でベッドに横になる。先生の腕に頭を載せる。いつも使ってる枕より硬いしちょっと高すぎ。なのにすごく心地いい。
ご機嫌で先生に寄り添いながらも、胸の奥がキューッと苦しくなる。けどもっと近づきたい。ぎゅってしてほしい。
だから、くすりは小さな声でこんなことを言ってみる。
「……お母さんがいなくて、さみしい」
ホントはもうとっくに慣れたのだけど、こう言うと先生は甘えるのを許してくれる。
先生の胸に顔を埋める。先生は少し迷うように息をついて、それでもやさしく抱きしめてくれた。
大きな腕に包まれて、胸がどくどくと高鳴る。苦しいのに、すごく幸せ。
この気持ちがなんなのか、まだよくわからない。
ただ、先生とこうしていたい。その思いだけが胸いっぱいに広がっていた。
翌日の月曜日。
くすりはランドセルを背負いながら、重たい足取りで小学校の校門をくぐった。
(……やだなあ)
平日は嫌いだ。
休日なら一日中先生と一緒にいられるのに、平日は夜になってからしか会えない。しかも二時間くらいだけ。
それでも行かないと先生が悲しそうな顔をするから頑張って登校している。けれど正直、何の意味があるのかはよくわからなかった。
休み時間。
いつものように薬学の専門書を読みふける。
周りからは「昨日のアニメ見た?」という声や、教室の後ろのスペースで男子がプロレスしている騒がしい声が聞こえてくる。
(子どもっぽい……)
聞こえてくる声に内心そんなことを思いながら文字を追う。
……と、そんな時だった。
「家庭教師のお兄さんのこと、好きになっちゃったかも……」
──近くで話していた女子グループの会話に、ぴくんと反応した。
つい聞き耳を立てる。
「すっごく優しいしクラスの男子と違って大人だし、頭撫でてもらうと胸がキュンキュンするんだよ〜」
──ぴくぴくっと耳が動く。
ページをめくる手が完全に止まる。
思い出すのは昨日の先生と過ごした時間。頭を撫でてくれたときの温もり。胸がきゅうっと苦しくなる感覚。
(…………)
他の人の話も聞いてみたい。自分の体験も話してみたい。実に数年ぶりにそんな気持ちがわいてくる。
だが自分からクラスメイトの話に交ざろうとするなんて初めてだ。ちょっと怖い。
頭の中の天秤がぐらぐら揺れて、しかし最終的には『恋バナに交ざりたい!』という欲求が勝った。
「あ、あの……!」
いつも喋りかけるなオーラ全開で本を読んでいるくすりに声をかけられ、女子たちは驚いたように振り返る。
「わ、私も……その話、交ぜてほしい……」
そう言っておずおずスマホの画面を見せる。表示されていたのは先生と撮った写真だ。
「私も……その……家庭教師の先生のこと……す、好きかも、しれなくて……」
──女子達も、くすりが学校の先生より頭がいいというのはなんとなく察していたし、実際近寄り難いものを感じていた。
だがそうやって顔を真っ赤にしながらモジモジする姿は初恋にときめく女の子そのもの。つまり、自分たちの仲間である。
「くすりちゃんも? 相手の人どんな人なの?」
「ほらほら、こっちすわりなよー」
思いの外あっさり受け入れてくれたことにホッとしつつ、初めてクラスメイトの輪の中に入っていく。
自分が胸をときめかせたエピソードを照れながら話し、他の子の話にキャーキャー言いながら耳を傾ける。
初めて、同年代と語らうことが楽しいと思えた。
その夜。
ベッドに転がりながら、学校での会話を思い返す。
(……楽しかったなあ)
少し前までくだらないとすら思っていたのに、恋バナがあんなに楽しいなんて思わなかった。
(…………)
ころんと寝返りをうち、枕に顔を埋める。
(私……やっぱり、先生のこと……好き、なんだ……)
あらためて自覚した恋心に、頰がかあっと熱くなった。
ちょうどそのとき玄関のチャイムが鳴った。時計を見る。いつも先生が訪ねてくる時間だ。
途端に胸が高鳴る。走って先生を出迎えに行く。
「こんばんは」
「こ、こんばんは〜」
いつものように挨拶して、これまたいつものように勉強を見てもらう。
けれども今日は、いつもより胸が苦しい。
(先生のこと、男の人として好きって、気付いちゃったからかな……?)
他の子と話してみて、自分が抱いている気持ちが恋なんだとはっきり自覚してしまった。
顔が熱い。何故だか近くにいるのが恥ずかしい。それでも、気持ちがはっきりした以上は何か行動しなきゃ──それが合理的だと自分に言い聞かせる。
ぎゅっと拳を握り、思い切って口を開いた。
「先生って……その、彼女とか……いる?」
おそるおそる聞いてみる。
くすりの意外な質問に、先生は驚いたように目をぱちくりさせた。
だがすぐに「薬師寺もそういうお年頃か」なんて呟いて話に付き合ってくれる。
「……そうだな。今はいないよ」
「……!」
こっそりガッツポーズ。第一関門突破! ……けれど〝今は〟という言葉が引っかかった。
「じゃあ、昔は……?」
「ああ。学生の頃にはいたぞ」
「…………」
──いや仕方ない。仕方ないと思う。先生は素敵でかっこ良くて優しいんだし、他の女の人がほっとくわけがない。
何とか自分に言い聞かせるけど、ちょっぴり泣きそう。自分が知らないうちに、先生が他の女の人と仲良くしてたって思うと頭がぐわーっとしてくる。
「……先生は、いずれ誰かと結婚したいって、思う?」
「ん? ……うーん、そうだな。今は考えられないが、いずれな」
「じゃ、じゃあ!」
気づけば口が勝手に動いていた。
「お、大きくなったら……私をお嫁さんにしてください!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。
けれど先生は困ったように笑い「大きくなったらな」と軽く流されてしまった。
子供心にも本気にされてないとわかってしまって、流石にショックだった。
先生が帰った後、くすりはベッドの上にごろりと寝転んだ。
(私、本気だったのに……)
むすーっと頰を膨らませる。
とはいえ仕方ないとも思う。よくわからないけど、自分みたいな小さい女の子とそういう関係になる人は『ロリコン』って呼ばれてあまりよくないらしい。
鏡に自分の姿を映す。背も低いし胸もぺったんこ。テレビで見るような大人のお姉さんにはほど遠い。
(でも……高校生ぐらいになれば大丈夫かな……?)
前にテレビで女子高生と教師の恋愛ドラマをやっていた。だから高校生ぐらいになれば先生もきっと大人の女の人って認めてくれるはず。
そのときにちゃんと振り向いてもらえるように今から頑張ろう。そう考え、計画を立てていく。
(大人っぽくなるにはどうすればいいかな?)
しばらく考えたあと、ぴこんと閃く。
──大人のお姉さん=おっぱいが大きい!
そんな結論に辿り着き、その日から嫌いだった牛乳を毎日飲むようになった。
体形を崩さないように運動も始めたし、お肌や髪のケアをするのも習慣になった。言葉遣いも丁寧にした方が大人っぽいかなと敬語で話すようにした。
全ては先生に振り向いてもらうために。
(先生のお嫁さんになるために頑張るぞ……!)
──と、そこで眼が覚めた。
気づけばベッドの上。女子寮の自分の部屋。高校生のくすりは寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こす。
(なんだか、懐かしい夢だったな……)
眠気覚ましのシャワーを浴びて、タオルで髪を拭きながら鏡の前に立った。
子どもの頃から見違えるほど大人っぽくなった自分が、そこに映っている。
すらりとした体形。磨き抜かれた肌と髪。おっぱいだって形も大きさも完璧。
あの日からずっと、先生に振り向いてもらうために磨いてきた自慢の逸品だ。
「……よし」
両頰を軽く叩き、気合いを入れる。
「今日も頑張るぞ」
そうしてくすりは今日も、先生を迎えに行くのであった。



