わたしで童貞捨てたくせに
第八話 夢 ①
咲良が小説を書くきっかけになった言葉は、今でも記憶に強く焼き付いていた。
『すげー! このはなしって、ホントにさくらが考えたの⁉ ちょーおもしれー!』
それから目をキラキラさせて喜んだ、幼い
小学三年生の秋、自宅から自転車を一五分ほど走らせたところにある児童館。そこの文化祭的なイベントで、グループを組んで作ることになった紙芝居。
――せっかくだから、自分たちでオリジナルの話を作ろうよ!
事の起こりは、誰からともなくその場のノリで飛び出した提案。
当時の咲良は、自分のことがあまり好きじゃなかった。
性格も暗く、口下手。
勉強だって不得手で、運動だってもってのほか。
本ばかり読んでいて、自分の殻に籠りがち。
親のいない外ではいつもこうたの手に引かれ、その背に隠れてばかり。
ただのお荷物、足手まとい。息苦しくて仕方なかった。
だけど、そのこうたが面白いと言ってくれたのだ。
初めて自分が認められ、進むべき道が示されて気がして。
だから気付けば皆に向かって叫んでいた。
『あした、またべつのおはなしをいくつかもってくるから、どれが一番いいかえらんで!』
思えば自ら積極的に何かしようと言い出したのも、この時が初めてだった。
こんなありふれた些細な出来事が、小説を書くようになった発端だった。
それからというもの、咲良は密かに物語を書くことにのめり込んでいく。
天使の生まれ変わり。
代々水と草花を祝福する魔法使い。
周囲に秘密にしながら学園生活を送るアイドル。
小説を通じて疑似的に色んなキャラを追体験できることが、とても楽しい。
様々な物語の想像にふけるうちに、多くのことが気になってくる。
オシャレって楽しいかな? 生徒会ってどんなとこ? 学園祭ってどういう風に運営する?
だから咲良はそういったことを知るため、気になることに挑戦していくようになっていく。
多くのことを実践し、朧気だった空想の世界がどんどん鮮やかに色付き、文章にもそれらが反映されて、どんどん自分の実力がついていくのを実感する。
そして咲良自身もどんどん変わっていった。
気付けば今や咲良は絵に描いたような優等生。そんな自分を形成したのが、まさか小説を書くための取材だなんて一体誰が思おうか。宏太でさえ、気付いているかどうか怪しいところ。
どれもこれも、自分一人ではできなかっただろう。そもそも咲良は今でこそコミュケーション能力が鍛えられたものの、その本質は気弱で臆病なのだ。それこそ宏太相手でも自分の書いている小説を読まれるのが恥ずかしくて、ずっと隠していたほど。
初めての美容院、地域マラソン、清掃ボランティアに生徒会選挙、各種学内イベントや恋人としてのあれやこれ。様々なものに挑戦できたのは、いつだってすぐ傍にいる宏太が一緒に付き合ってくれたから。
だが、それでも今の自分は仮初だという意識が強い。ただの張りぼて、偽物。
――
きっとプロになった時、初めて咲良は
だから、咲良はずっと小説を書き続けてきた。
そうして訪れたゴールデンウィーク初日、編集に会いに行く日の早朝。
「よし!」
咲良は姿見に映るいつもより大人びた自分の姿を見て、気合を入れるように声を出す。
正直なところ、編集と顔を合わせることに不安がないといえば嘘になる。ちゃんと喋れるかどうか心配だ。先日のコスメの時だって、内心ドキドキだった。
だけどこの格好は、東京に行くために宏太と選んだもの。これならちゃんと、理想とする自分を振舞えるような気がして。
上京する準備を終えた咲良は、最後にもう一度だけ忘れ物がないかを確認し、自分の部屋を出てすかさず合鍵を使って隣の宮町家へ。
自宅と変わらないような気安さでリリーとの挨拶もそこそこに、トトトと二階へ上がって宏太の部屋のドアをガチャリと開けた。
「宏太、起きてる~?」
「起きてる」
いつも通りノックもなしに中へと入ると、既に着替え終わっていつでも出かけられる状態の宏太が、ベッドに腰掛けスマホを弄っていた。
咲良は宏太をまじまじと眺める。今日の宏太は、かつて付き合っていた頃の初デート並にオシャレをしており、やけに洗練された格好だ。幼馴染の贔屓目を差し引いても、思わず感心した声を零してしまう。
「はぁ、宏太ってば今日は気合入ってるね~」
「あのな。咲良、今日の自分の姿を考えてみろ」
「おっと、そうでした」
てへっと舌先を見せる咲良。今日のことは家族に、宏太と出かけてくるとだけ伝えている。
だから宏太は見た目も自分と合わせてくれたのだろう。
ほんと、昔からこういう細かい気配りができるやつなのだ。そして陰ながら自分をちゃんと応援してくれているような気がして、じんわりと胸が熱くなる。
だがどうしてか同時に気恥ずかしさも込み上げてきて、咲良は照れ隠しから咄嗟に悪戯っぽい笑みを浮かべ、揶揄うように質問した。
「ちなみに服だけじゃなく、下着も気合入れたんだ。どういうのにしたのかわかる?」
「……知るか」
「正解は宏太が私で童貞捨てた時のやつ、いわゆる勝負下着! まぁあの時ってすぐに剥ぎ取られたから、覚えてないかもだけど。あ、見てみる?」
「おい、スカートを捲し上げるな!」
「あはっ!」
咲良がいつもの調子で茶化せば、宏太は仄かに頬を赤くしながら窘めてくる。
少しはしたない自覚はあるものの、いつもは澄まして自分を引っ張ってくれる宏太が慌てふためく姿を見るのが、楽しくも可愛く思えて止められない。そしてちょっぴり自分を意識していることが、自信に繋がったりも。
そして編集と相対する勇気も湧いてきた咲良は、にししと笑って宏太に告げた。
「んじゃ行こっか」
「おぅ」
◇◆◇
最寄り駅から電車で二駅、いくつかの路線が交差するこの地域最大の基幹駅。
「それじゃ、編集と会ってくるねっ」
咲良は鼻息荒く手を振り、新幹線の駅へと向かう路線のホームへ意気揚々と去っていく。
宏太も手を振り返し、幼馴染の背中が見えなくなったところで、複雑な表情を作った。
咲良のパートナーとなる編集は、一体どういう人物なのだろうか。
男か女、どれくらいの年齢の人なのか聞いていない。聞けなかった。
そのくせ編集のことを考えると、胸がひりつくような暗い感情に襲われる。
それを嫉妬と認めたくない宏太は、この感情を追い払うかのように自らの頭をガリガリと掻いた後、スマホを取り出しメッセージアプリを呼び出した。
《今日はよろしくお願いします》
そんな羽衣からメッセージの後には、《今日は明るい感じのワンピースが目印です》《緊張から眠りが少し浅かったです》《今朝は緊張にいいという、バナナとヨーグルトを食べました》といった言葉が続いている。
先日、羽衣と一緒にオーディション会場を下見に行くと約束した時に、彼女と連絡先を交換した。それ以来、羽衣はこうしてちょくちょくメッセージを送ってきてくれる。普段は口下手な分、羽衣はメッセージ越しでは随分と饒舌のようだった。
宏太が微笑ましそうに頬を緩めている間にも、《迷子にならないよう、少し早いですが家を出ます》というメッセージが届く。それに《俺も今から向かうよ》返信し、羽衣と待ち合わせする駅がある路線のホームへと足を向けた。
電車に揺られながら地図アプリを開き、本日の目的地を念入りにチェックする。
いつも訪れる繁華街の駅から別の路線に乗り換え一駅、そこが羽衣と待ち合わせ場所だ。繁華街の駅から歩いて行けないことはないだろうが、なにぶん訪れたことのない駅なので、万が一を危惧して電車で移動する。
目的の駅に着き電車を降りると、ホームからは背の高いビルがいくつも乱立しているのが見て取れた。オフィス街といった雰囲気を醸し出している。大型連休初日にも関わらず、駅構内には利用客が多い。平日だともっと混雑しているのだろうか?
それなりに大きな駅だった。人も溢れている。ちゃんと羽衣と合流できるか一抹の不安があったものの、幸いにして杞憂だった。宏太が改札を出て周囲を見回そうとしたところで、とてとてと駆け寄ってくる人影に気付く。
「よっ、朝熊」
「っ」
宏太が名前を呼ぶと羽衣は少し嬉しそうに頬を綻ばせ、返事の代わりに片手を軽く上げる。
「待ったか?」
「んん」
ふるふると首を横に振って答える羽衣に宏太は頬を緩ませ、改めて彼女を見やる。
今日の羽衣は肩や太ももを惜しげもなく晒し、明るく夏を先取りしたようなデザインのワンピース姿。彼女の可愛らしさを存分に引き出しており、周囲からもちらほらと視線を投げかけられているのがわかる。
「にしても、私服姿の朝熊も新鮮だな。その、すごく可愛いよ」
「っ⁉」
いつも咲良に対するのと同じノリで、羽衣への感想を口にする宏太。
すると羽衣は一瞬にして顔を真っ赤に染め、気恥ずかしそうに睫毛を伏せもじもじしだす。
そんな初々しい羽衣の反応に、宏太の胸がドキリと騒めいた。
ここにきて宏太は、羽衣と二人だということを意識してしまい、にわかに緊張してしまう。
そもそも咲良以外の異性と出かけること自体、初めてなのだ。
宏太がまごついていると、羽衣が緊張した面持ちでこちらを見つめていることに気付く。
(そういや、高校デビューなんだっけか)
華やかな見た目の羽衣だが、ほんの少し前までは地味な格好をしていたことを思い返す。
ここは先輩として、リードするところだろう。
気を取り直した宏太は羽衣を安心させるように、にこりと笑った。
「早速、現地を確認しに行こうか」
「お願っ、ますっ」



