わたしで童貞捨てたくせに
第七話 気付いたこと ③
それでも習慣として、咲良の庶務を手伝いに同行した昼休み。
この日の仕事は文科系クラブに、部費申請書類を配るというもの。
「手分けしてサッサと済まそうぜ。俺は旧校舎の方の部室、回ってくるから」
「宏太くん、大丈夫ですか?」
「おつかいくらい、なんでもないって」
宏太はそう言って、朝から不調そうな宏太にな心配そうな声を掛ける咲良から、プリントを掴んで逃げるように生徒会室を後にする。
あまり咲良の傍に居たい気分じゃなかった。
現実逃避している自覚もある。このままじゃダメだという、おぼろげな焦燥感も。
だけど、何をしていいのかわからなくて。
そんな陰鬱とした気持ちを撒き散らすようなため息を吐き、旧校舎に向かって歩いていると、ふと布施を始めとした何人かの友人に囲まれた羽衣を見かけた。
どうしたわけか羽衣も表情を翳らせており、布施たちが話しかけても塩対応。やがて見るからに下手くそな笑みを浮かべ、「別に」と言って小走りで布施たちから離れていく。これではあからさまに、何かあったと言っているようなもの。布施たちだって困った様子だ。
もしかして件のオーディションで何かあったのだろうか?
なまじ事情を知り関わっているだけに、気になってくるというもの。
先日のように、何か力になれることがあるかもしれない。
また、お節介を焼いている間は、咲良のことで余計なことを考えずに済む。
宏太はそんな後ろ向きな打算と動機で、羽衣の後を追いかけた。
しかし小柄な羽衣は思いのほかすばしっこく、あっという間に姿を見失ってしまう。
宏太は一瞬焦るものの、しかし羽衣の向かった先には心当たりがあった。
折りしも自分も行こうとしていた、旧校舎。昼休みの喧騒から切り離された静かな廊下に、自分の足音だけを響かせながらとある空き教室へ。
教室の前で一度立ち止まり、宏太は軽くノックしながら話しかけた。
「朝熊、いるか? 宮町だ」
「っ⁉」
扉越し息を呑む気配を感じ羽衣がいることを確信した宏太は、驚かせないようなるべくゆっくり扉を開け、片手を軽く上げながら中へ。
「よっ」
「……っ」
空き教室の窓際にいた羽衣は、いつものように済ました表情のまま、こちらを見つめて目をぱちくりとさせている。相変わらず表情筋があまり仕事していないものの、彼女なりに驚いているようだ。
「そっち、行っていい?」
「……」
なるべく優しく話しかけると、羽衣は数拍の間を置いて遠慮がちに頷く。とはいえ、羽衣はいきなり現れた宏太に戸惑っているようだった。しきりに目を泳がせている。
お許しが出たこともあり、彼女を怖がらせないよう、手を伸ばしても触れられないような距離を空け、羽衣の隣へ。それでも羽衣は少し瞳に警戒の色を滲ませ、少しばかり腰が引けた様子。まるで人なれしていない野良猫を相手にしているみたいだなと思いながら、宏太はここに来た理由を口にした。
「さっき友達と一緒なのに、やけに思いつめたような顔をしているのを見てさ。これはオーディション絡みで何かあったのかと思って、それで」
「っ、えと、その……」
羽衣はわずかに肩を跳ねさせ、おずおずとこちらに丸くした目を向けてくる。
どうやら宏太の読み通り何かあるようだ。だが羽衣からは躊躇う様子が見て取れた。遠慮しているのだろうか。
宏太は言葉を選びつつ、羽衣にニコリと笑みを向けた。
「俺に手伝えることなら力になるよ。この間みたいなことで困ってるのか?」
「っ!」
羽衣はすぐさまふるふると首を左右に振って否定の意を示し、少し俯き気味になって頬を赤く染める。
その反応を見て、宏太はようやく先日の件は彼女と随分密着していたことに思い返し、自分がセクハラまがいの言葉を口にしていたこと気付く。宏太もまた、赤面しながら弁明する。
「あぁその、ごめん。別に変な下心があったわけじゃないんだ」
「ち、ちがっ」
「違う? えっと、演技で悩みがあったわけじゃないってこと?」
「ん……っ」
羽衣は首肯しつつ、またしても言葉を詰まらせる。どうやら、言い辛いことがあるようだ。
宏太は自分の言葉がまずかったことじゃないことにホッと胸を撫で下ろしつつ、根気強く羽衣の返事を待つ。
焦れるような空気で見つめ合うことしばし。
やがて羽衣はおずおずと話を切り出した。
「オーディション、近い。初めて、地図読み、苦手。下見……」
「……えぇっと、行ったことないオーディション会場に事前に下見に行きたいけど、一人で行くのは不安ってこと?」
「そ、そうっ!」
こくこくと何度も頷く羽衣。どうやら上手く彼女の意図を汲み取れたらしい。
宏太は顎に手を当て、「ふむ」と唸る。
付き添うこと自体は簡単だ。ここまで関わってきた手前、乗りかかった舟でもある。手伝いたいという気持ちも大きい。
しかし羽衣はとびっきり可愛い女の子なのだ。今だって、本音を言えば少し緊張している。
それに学校内ではいざ知らず、学外でしかも声優に関することとなれば、かなり彼女のプライベートに干渉することになるだろう。ただの先輩後輩の間柄では、さすがにお節介が過ぎるというもの。
こういう時は同じ女子である咲良に応援を要請した方が――いつもならそう考えるところだが、ふいに咲良が一人で東京へ編集に会いに行く姿を想像してしまい、くしゃりと顔が歪む。
すると丁度その時、期待と不安がない交ぜになった瞳でハラハラした羽衣と目が合った。
スッと頭の芯が冷えていく感覚。
それと同時に宏太は胸の中に生まれかけたドロリとした感情を呑み下し、努めて爽やかな笑みを浮かべて羽衣に答えた。
「ゴールデンウィーク初日でよければ、一緒に下見に行くの付き合うよ」



