天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-
第三章 奪われたもの ⑦
それとほぼ同時に、ギギギ、と不快な金属音が玖全の耳に届く。
見れば、紫衣の尾に拘束されていた幽霊の少女が、少しずつ動けるようになっている。紫衣の拘束が緩んでいるのだ。
(まずい……! 俺と天音じゃこいつを抑えられねぇ!)
そう思った瞬間だった。
「ダぁあァあアっ!」
という雄叫びとともに、異形の少女が紫衣の拘束を破壊した。
拡張肢の金属片が舞う中で、異形の少女の瞳が天音へと向けられる。怒りの形相そのままに、異形の少女は天音へと飛び掛かる。
無防備で、なんの対抗手段も持たない幼馴染に。
その瞬間、玖全の心に裂けんばかりの痛みが稲妻のように走る。
その痛みが、玖全の体を考える前に動かしていた。
ガキィッ、と甲高い音が工場内に木霊した。
間一髪。玖全は、天音の前に割って入り、振り下ろされた異形の少女の腕を防いでいた。
「テメェの狙いは俺だろうが……!」
ギシリ、と耳に届いた軋む音は、攻撃を受け止めた義手と自らの心の両方から聞こえた。
他人なんてどうでもいい。大事なのは自分。
その考え方は変わっていない。
それゆえに人に頼らない。それが信念。
だが、体が勝手に動いてしまった。
「オォお前えエェ!」
完全我を忘れてしまっている幽霊が、右腕を横薙ぎに払う。先ほど破壊したはずだが、拘束されている間に再生したのか、地に引きずるほどの長い腕は元通りになっている。
それをギリギリのところで躱しながら、玖全は思考を走らせる。
(機動力に差がありすぎて、逃げきるのは無理だ! やるしかねぇ……! 俺一人で!)
玖全の中に一つの作戦が組み上がる。
「天音、朝桐の面倒見てろ!」
「うえぇ⁉ 玖全はどうするの?」
「一人でなんとかする!」
そう言いながら、後ろに倒れるように玖全は異形の攻撃を避ける。そのままバク転をするように義手を地面に付くと、彼は義手の最大出力で自分を押し上げる。
すると、玖全の体が撃ち出されたかのように勢いよく宙に飛び上がり、二メートル近く跳び上がった。
枯椿鬼を顕現させていなくとも、この義手は充分人体より強力な部位だ。これを使い、この少女に対応するしかない、と玖全は腹を括る。
宙を舞った玖全は、そのまま廃工場の非常階段に着地する。
「逃ゲるなぁ!」
案の定、少女は玖全を追ってくる。
そんな彼女を尻目に、玖全は階段を二段飛ばしで駆け上がっていく。とある二つのことをHATで検索しながら。
階段は、階ごとに折り返す螺旋のような構造のものだった。
ケンタウロスのようなシルエットの少女は、後ろ足で軽々と飛び上がり、玖全が駆ける一段下の階まで一気に飛び上がって来た。そして、その勢いを落とすことなく、階段を駆け上がってくる。その速度は、玖全よりも圧倒的に速い。
彼女に追いつかれる前に玖全は自ら階段から身を投げる。そして、義手で階段の手すりを掴むと、義手の力で一気に自分の体を引き上げ、自らの体を二つ上の階、すなわち屋上にまで打ち上げる。
屋上に着地したとき、玖全はようやくとある二つのことを検索し終えていた。
玖全は心の中で小さくガッツポーズをした。
(いける! あとは、場所だけ!)
彼は迷わず隣の廃工場の方へと駆け出した。
そんな彼の背後に、けたたましい破砕音が迫る。幽霊少女が屋上まで追いついてきたのだ。
玖全が隣の工場へ跳ぶと同時に、異形の少女もまた彼へと駆ける。
当然、速度では敵うはずもない。玖全と少女の距離は、瞬く間に詰められていく。
それでも、背中に凄まじいプレッシャーを感じつつも、玖全は必死に駆け続ける。
鍛えた彼の脚は、常人よりはずっと速く走れる。しかし、それでも、彼はこう思わずにはいられない。
(遅すぎる……!)
身を切る風も、過ぎゆく景色も、すべてが愚鈍で生ぬるい。
才能を奪われる前なら、こんな生身の脚で愚直に駆けることなどなかっただろう。それどころか、彼女を引き離すことさえ……いや、そもそも瞬く間に制圧すらできていたであろう。
だが、それは今できない。
才能が、ないゆえに。
それでも、今は必死に駆けるしかない。
玖全は跳び移った工場の屋根から、さらに高い避雷針へと登っていく。逃げ場がなくなるはずの頂上を目指して。
避雷針の頂上に着いた時には、異形の少女は、ほとんど玖全に追いついて来ていた。
怒り狂っていた少女の口元が吊り上がる。
「もう逃げ場はないゾォ! サァ、私の才能を、返せェ!」
避雷針の先までたどり着いた玖全へ、少女の幽霊が飛び掛かってくる。
確かに、彼女の言う通り、逃げ場はない。
地上には、だが。
二人の真上を、大きな影が過ぎ去る。
それは、ピンク色をした巨大なクジラ。街を周回する広告宣伝用の
玖全は避雷針の先端を義手で掴むと、今一度自らの体を空に打ち出す。
青年の体は、クジラへと一直線に近づいていく。そして、その体がクジラに激突する直前、玖全はその義手でクジラの腹部をしっかりと掴んだ。
「なッ……!」
怒り狂った少女も、玖全のその姿を見て目を丸くした。
あり得ないことだった。
玖全の義手は
数時間前、マスコットキャラの
仕組みも原理も不明。だが、このような超常の力を起こすのが
車よりもずっと速いピンクのクジラは、グングン廃工場から離れていく。
宣伝用クジラを用いた高速移動。これが玖全の作戦だった。
ここに来たとき、玖全はこのクジラが上空を通過するのを見た。つまり、このクジラの周回ルート上にこの場所があるということだ。クジラの周回軌道は検索すれば分かる。あとはそのタイミングと場所さえあわせればいい。
ピンクのクジラは廃工場を通り過ぎ、さらに街を突っ切っていく。
眼下で過ぎ去るのは、煌びやかな街景色。通りに見える人も車もずいぶんと小さく見える。その高さは、三〇メートルは下らないが、玖全の顔に恐怖はない。普段から、浮遊拡張で飛び回っている玖全にとって、この程度の高さは慣れたものだ。ただし、その浮遊拡張という保証がないという緊張感は、いくばくか感じているが。
「待テぇ!」
その背から、異形の少女が追ってくる。四脚の足を生かしてビル上を軽快に駆けてくるが、それでも流石に飛んでいるクジラのほうが速い。
とはいえ、玖全はこのまま逃げ切る気はなかった。
まだ、もう一つ、策がある。
ある程度クジラに運ばれたところで、玖全は腕を放して近場のビルに着地する。なるべく、高いビルを選んだが、それでも四メートル近くはある。転がるように着地した玖全の体には、凄まじい衝撃と痛みが駆け抜けた。
「痛ってぇ……!」
拡張肢があれば、こんな痛みも感じることもないのに。なんてことを思いながらも、痛みに耐えつつ彼は隣のビルへ駆け出した。
時間はない。
目的地はクジラの周回ルート上にない。ゆえに、ここからは自らの脚で行くしかないのだ。
立ち並ぶビル群の上を駆ける玖全。その視線先に、突如長く広いビルの切れ目が広がっている。それは、片側三車線の大通り。ビル同士を隔てるその姿は、渓谷を裂く川のよう。
目指すは通りを超えた対面のビル。
だが、流石に義手の出力では、この鉄の渓谷は超えられない。
玖全は自らの右腕に視線を投げる。その頬に汗を一筋流しながら。
先ほどは結局使いこなせずに、十秒ほど使っただけで暴走してしまった。
だがそれは裏を返せば、



