天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-

第三章 奪われたもの ⑧

(十秒! 十秒だけなら使えるってことだ!)


 既に背後には幽霊少女の気配が迫ってきている。


(迷うな!)


 玖全は腕を封印しているアプリを、今一度オフにする。

 玖全の義手がメキメキと木の仮想映像に包み込まれ、悪魔のような紅い腕へと変貌する。

 自らの肩口に真っ赤な椿の花が咲くのを尻目に、玖全は心を落ち着かせる。すると、腕は暴れず、ひと時の制御権を玖全に譲った。

 その拡張映像の右腕を振り上げ、叩き割らんばかりに全力で屋上に叩きつける。


「いっけぇ!」


 なぜか物理作用を持つ拡張映像の腕により、玖全の体は跳ね飛ばされるように浮き上がる。凄まじい勢いで都市の空へと投げ出された。

 都会の渓谷を過ぎ去るその体は、夜を裂く流星のよう。

 目を細めなければならないほどの凄まじい風を受ける玖全の遥か下には、車たちが何百台も水のように流れている。

 滞空時間はたっぷり五秒。

 だがしかし、距離が足りない。自らを撃ち出した速度のままに、玖全の前に勢いよくビルの窓ガラスが迫り……、


「んなろっ!」


 激突の直前、玖全は異形の右腕を用い、そのビルの屋上端を掴む。続けて、大跳躍の勢いも腕の力で相殺しつつ、自らの体を屋上へと引き上げた。

 ここまで、七秒。

 だが、屋上に降り立つと同時に、異形の腕は、玖全の制御を離れて暴れ始めた。


「くっ……!」


 急いでアプリを起動し、鎖で腕を押さえ込む。

 完全に暴走する前だったおかげか、今度は正常に鎖が巻き付き、玖全の腕は元の義手の形へ戻っていった。

 玖全は、自らの義手の中にいる力が、封印されてもなお、先ほどより増しているように感じていた。


(暴れ出すまでの時間が短くなってやがる……。十秒使って封印してまた使って……みたいな使い方は無理か……)


 どれだけインターバルを置けばいいかは不明だが、なんとなく、腕の感覚から、今封印を解くと即暴走しそうであることは分かる。

 ここからはこの腕の力なしでやるしかない。

 玖全は自らの脚で再度駆け出し、隣のビルへ跳び移った。

 駆ける玖全の息は荒い。鍛えているとはいえ、生身の体で全力疾走できる時間など、たかが知れている。流れる汗も、足の疲労も、玖全の体に重く纏わりついて来る。

 ビルを超え、さらに義手を使って跳躍し、隣の高いビルに乗った時だった。


「追イィついたぁっ!」


 屋上の床を割り砕きながら、玖全の目の前に異形の少女が立ちはだかった。

 ケンタウロスのようなシルエットをした少女は、血走った眼で玖全を睨みつけている。


「ちょこまか逃ゲ回りヤがってぇ! さっさと私の才能ヲ返せェ!」

「話、通じなさすぎだろ」


 追い詰められ、腕の枯椿鬼も使えない玖全には、もう対抗手段はない。

 だが、玖全は不敵な笑みを少女に向けていた。


「……そんなに頭に血ぃ登らせてるから、周りも見えねぇんだよ」


 彼がそう言った瞬間、虫の羽音のような音が、二人の耳に微かに届いた。

 近づいて来るその音に、少女は過剰なほど敏感に反応し、周囲を見渡した。無理もない。HATを被っているような頭部の形状といい、拡張肢を使っているかのような姿といい、この霊の元になった人間は確実に暴械族ギア・バグズだ。そして、暴械族ギア・バグズなら、誰しもその音に敏感になる。

 瞬間、彼らの周囲にその音の主……、亀のような形状をしたドローンが飛んできた。


『そこの暴械族ギア・バグズ! 迷惑行為はやめなさい! 公共の場での拡張肢の乱用は法律で禁じられている!』


 ドローンから聞こえて来たのは、そんな鋭い男の声だ。


『蜂』。暴械族ギア・バグズからそう呼ばれるそれは、警察が暴械族ギア・バグズ鎮圧用に用いるドローンだ。ラッパのような形状をした先端から、特殊な指向性電波を発し、HAT使用者を行動不能にすることができる。これを玖全たちが軽くあしらったのは、ちょうど昨日の話だ。

 玖全は、そのドローンが確かに目の前の仮想妖魔オルトを捉えていることを確認し、心の中でガッツポーズを決めていた。

 一つ目の賭けに勝った。

 HATの視覚拡張でしか認識できない仮想妖魔オルトに、ドローンが反応してくれるかは賭けだったのだ。

 蜂は基本AI操作であり、カメラとセンサーで暴械族ギア・バグズを認識している。それだけだったら、仮想妖魔オルトなど見えないだろう。だが、そこに加えて、マルチタスク拡張などを使える人間が、蜂全体の動きや作戦を、蜂を介して見る映像から遠隔で判断している。その人間からなら見えるだろうと玖全は判断していたのだ。


「お前エェ! 蜂に私を襲わせるためニここに来たのかァ!」

「そういうこった」


 蜂の出動情報もまた、調べればわかることだ。廃工場でこの作戦を思いついた際に調べていたのだが、今日この時間に行われていたのは運が良かった。


「こノォっ……」


 少女の幽霊は玖全に長い右腕を振り上げるが、それを振り下ろすことは叶わなかった。

 周囲の四機の蜂達が、不可視の攻撃で彼女を射止めたからだ。

 玖全の賭けの二つ目。

 この蜂の攻撃が仮想妖魔オルトに効くかどうか。

 これも、予想通り有効だった。

 蜂の攻撃は物理的なものだが、この霊が暴械族ギア・バグズというなら、必ず効くと思っていた。

 思いが反映されて生み出されるのが霊だというなら、暴械族ギア・バグズであるこの少女が、蜂に対する恐怖や嫌悪感が弱いはずがない。その思いは、必ず自らを縛ると思ったのだ。

 少女は、蜂による攻撃で膝をつきながら、凄まじい形相で玖全を睨みつける。


「お前えェ……! こんなの同士討ちダろうがァ……! お前だっテ蜂にィ……」

「は? 何言ってんだお前?」


 玖全は余裕を持った表情で両手を広げる。


「俺のどこに、拡張肢が生えてんだよ?」

「……!」


 そう。玖全は拡張肢をつけていない。取り締まり対象は、拡張肢を公共の場で乱用する人間のみ。AIも、取り締まる人間から見ても、玖全は『ただ屋上にいる普通の人』である。

 これが逢満 玖全の立てた策。

 拡張映像ARクジラを使った高速移動と、蜂を利用した彼女の拘束。

 作戦は見事に成功し、少女は完全に動けなくなっている。

 これで、煮るも焼くも……情報を聞き出すも玖全次第。むしろ、ようやくこれで枯椿鬼に繋がる情報を得るためのスタートライン……のはずなのだが……、


「お前――」

「返せェ! 才能をォオ! 返せエェエエ!」

(話になんねぇ……)


 聞く耳持たずとはまさにこのこと。動けなくなってもなお、妄執の熱が冷める様子はない。


(クソ……。とにかくこいつを大人しくさせねぇといけねぇ……。何かこいつの興味を惹くような……まともなリアクションを引き出せるような、そんな衝撃的なことでも言えれば……)


 だが、彼女に関する情報などない。

 玖全は思考の末……、


「お、お前の拡張肢使い、すげぇ下手だったぜ」

「テメエエェェ! 殺すウゥ!」

(こりゃダメだわ)


 いいわけないだろ、と言ってくれる人間はこの場にはいない。

 そこでふと、玖全は思いつく。未練を持ち、霊体として現れた幽霊。

 そんな彼女の未練を考えれば、この言葉なら……、


「なっ……」


 必死にもがいていた異形の動きが、ピタリと止まった。

 纏う雰囲気に、明らかに思慮の色まで滲んでいる。


(食いついた……! それなら……!)


 そこに玖全は畳みかける。


「俺がお前の才能持ってるどころか、なんも使えねぇ能無しなのは、追いかけっこして分かっただろ。俺だって才能盗られた側だ。その手掛かりを今探してる。俺の才能を取り返すついでに、お前の才能も盗り返してやるって言ってんだ」

「そんなことオォ……デきるわけ……!」

「できる」



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