天才失格 -堕ちた魔王、探偵となる-

第三章 奪われたもの ⑨

 力強く玖全は一歩踏み込んだ。


「俺は人生で一度もやると決めてできなかったことはねぇ。一度もだ」


 それは才能に裏打ちされてたからだ、と頭の中の悪魔が囁くが、それを握りつぶす。

 これは才能の話じゃない。覚悟の話だ。

 やると決めたらやる。たとえ才能がなくとも。


「だから信じろ。お前の才能は俺が取り返す。絶対だ。取り返したらお前の墓でもなんでも供えに行ってやるよ」


 これは、口から出まかせではない。そんな言葉ではきっと少女に響かない。

 言った以上は、本気の誓いだ。

 二人の間に張り詰めた空気が流れる。

 少女の妄執の炎すら飲みこまんばかりの眼光で、玖全は少女の瞳を見つめている。


「……三日だ」


 ゆっくりと少女が口を開く。


「三日待つ。三日以内に取り返してこなかったら、お前を殺しに行く……」

「はぁ⁉ 三日って……!」


 玖全がそう返したときだった。少女の姿が、少女の姿は黒い煙となって散り、空気に溶けるように消え始めた。


「ちょ……おい! 消えんな!」


 まだ枯椿鬼に関する情報が何も引き出せていない。

 だが、玖全のそんな制止も虚しく、異形は虚空へと消えてしまった。


「マジかよ……」


 しばらくの間、玖全は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 とはいえ、一旦の危機が去ったことは確かだ。

 玖全は大きな息を吐くと、その場に座り込んだ。

 訪れるのは虚無感。だが、同時に別種の達成感のようなものも感じていた。

 目的こそ達成できなかったが、得られたものはある。


(やれる……。才能なしでも……!)


 あるものを何とか利用しての綱渡りのような方法ではあったが、それでもなんとかできた。

 フツフツと、玖全の中に、確かな達成感が湧きあがってきた。


(やっぱり俺に他人なんて必要ねぇ。誰の手も借りなく立って、一人でやれるんだ)

「玖全!」


 と、横合いから聞き慣れた声がした。

 見れば、紫衣に背負われた天音が屋上に降り立っていた。

 紫衣の方は、もう酷使失神オーバーアウトからはだいぶ回復しているようだが、それでもまだ顔色が悪い。倒れた際に付いたであろう擦り傷と、かなり傷が入ってしまっている義手義足もあり、ずいぶんと痛々しく見える。

 麦藁帽子の少女、紫衣が玖全に駆け寄ってくる。


「逢満君、大丈夫っ? 怪我してるじゃない! 痛くない?」

「うるせぇな。お前ほどじゃねぇよ。人のこと心配してる場合か」

「何よ、その言い方……。それで、あの幽霊は?」


「消えたよ」

「え、それって、退治したってこと?」

「いや……俺が『お前の才能を取り戻してやる』って約束したら消えたから、違うと思うぜ」

「それじゃあ、未練を解消して成仏したってことじゃない」

「そういうわけでもなさそうな感じだったけどな。『三日以内に取り返さないと殺す』って言われたし」

「はぁ⁉ 何それ⁉」


 紫衣は眩暈を堪えるようにこめかみを抑える。


「それ、ただ見逃されただけじゃない。しかも三日って……」

「しょうがねぇだろ。向こうが勝手にそう決めたんだよ」


 ふと、自分の左腕に熱を感じ、そこに目を向ける。すると、生身の左腕が大きく擦り剝けており、滴るほどに血が流れている。

 玖全は血を拭いながら、軽く舌打ちをした。


「クソ。才能があったら、こんな苦労してねぇのに」


 その言葉を聞いた途端、天音は頬を膨らませて玖全を睨んだ。そのままズンズン彼女は玖全に迫る。


「違うでしょ」


 玖全の目の前にまで来た彼女は、真剣な眼差しを玖全の瞳に注ぐ。


「苦労したのは、本当に才能がなかったせい?」


 そう言って彼女が流す視線の先には、ボロボロで顔色の悪い紫衣がいる。


「見て。玖全。なんで、こんなに紫衣ちゃんはボロボロなんだと思う?」


 そこまで言われて玖全はハッとする。

 天音の言う通りだ。紫衣がいなければ、幽霊に襲われた時点で自分は終わりだった。

 玖全は自分を殴りつけたくなった。


(何が『一人でやれる』だよ。全然できてねぇじゃねぇか……)


 玖全の表情を見て、彼が何を思っているのか察したのだろう。天音はムッとしていた表情を少しだけ和らげる。


「玖全……これまでと同じやり方は、できないんじゃないかな」

「……」


 いままではこんなことなかった。なんでも一人でできるがゆえに、誰かを顧みなくとも万事上手くいき、その必要さえ感じなかった。

 けれど、今は違うのだ。

 今の自分は、天才ではない。凡人以下でさえある。一人ではやり遂げられない。

 今回の件は、それを痛いほどに玖全へ語っている。

 玖全は少しだけ目を閉じた後、二人から顔を背けた。


「………………迷惑かけた。次からは、連絡くらいは入れてやる」


 なんとも横柄な物言いだが、その言葉に天音は、ようやく仕方なさそうな笑みを見せるのであった。

 

 


『それは、幽霊じゃないね』


 数十分後。近くの公園で、今回の一件をネムに報告していた時だった。

 玖全と紫衣の話を聞いたネムは、ハッキリとそう言った。

 え、という声が玖全たち三人の口から漏れる。

 三人の前にいるネムは、本人ではない。HATの通話機能で表示している拡張映像ARだ。相も変わらず眠ったままの青年の姿は、本当に実体がそこにあるように見える。


『完全な確証はないけど、話を聞く限りは、その子は幽霊じゃなくて、ほぼ一〇〇パーセント生霊だね』


 天音が首を傾げる。


「生霊? 生霊って? 生きている人の霊ってことですよね?」

『まあ、そうだけど……細かいことはいいじゃないか。もう終わったことだし』


 歯切れの悪い物言いに、紫衣が眉を顰める。


「いつも聞いてないことまで説明してくるじゃないですか。後学のために教えてください」


 真面目にそう詰め寄る紫衣に、『……まあ確かに』と言ってネムは続けた。


『生霊。どこの国でも伝承が絶えないメジャーな霊的存在だね。人間の体から抜け出た霊魂のことだ。源氏物語や今昔物語集など、有名な古典文学にも出てくる。霊が歩くことを『あくがる』と言うんだけど、これは今の『憧れる』という言葉の由来だね。魂が抜けて相手の元に行ってしまうくらい思いを寄せる、ということさ。歴史が長い分、呼び方もたくさんある。『飛び騙し』、『シニンボウ』、『いきすだま』……江戸時代には『影患い』なんて言われて、病気の一種とされていた』


 いや、そんな雑学は別にいらないのだが、と玖全は心の中でツッコむ。

 今時雑学など、相手が話し終える前にHATで検索し終えられる。ただの博識は、今の時代煙たがられがちだ。

 とはいえ、玖全の隣では、紫衣が真剣な目で頷いているが。

 紫衣が口を開く。


「それで、ネムさんは、どうしてあの娘が幽霊じゃなくて生霊ってわかったんですか?」

『それは……アレだね。その子は自分の未練に自覚がなかったようだからだね』

「未練に自覚……?」

『幽霊っていうのは、みんな自分が何に執着しているか自覚があるんだよ。自分の未練が何で、何をすれば成仏できるのかを分かっている。だから、それに準じた行動を取るんだ』


 ネムが手を上げると、彼の周囲に、先ほどの幽霊……ではなく生霊の少女の画像が何枚も表示される。先ほど玖全が自分の記憶映像から切り抜いて、ネムに共有したものだ。


『玖全くんの話だと、この娘は才能を取り戻したがっていたけど、ただ工場付近をうろついていただけ、しかも玖全くんを、才能を奪った犯人だと勘違いして襲ってきたんだろう?

 未練を解消するための行動を取れていない。自分の未練に自覚がない証拠だよ。だから、幽霊じゃなく生霊と判断したんだ』

「……?」


 玖全は怪訝な表情を浮かべた。

 いまいちピンとこない説明だと思ったからだ。

 玖全の隣で紫衣もあまり納得がいっていないような表情を見せている。

 あの霊は、『才能を取り戻す』という目的はハッキリしていたように思える。そう言う意味では、未練の自覚があったともいえる。

 未練に解消するための行動を取れていない、とネムは言ったが……、


(幽霊自体の頭の良さとか知ってる情報とかで、行動なんて変わりそうなもんだけどな)


 そう考えると、今のネムの基準だけで、あの霊が生霊とは言えないのでは、と思った。

 が、玖全は軽く頭を振った。


(別になんでもいいか。細かく言ってないだけで、専門家のネムからすれば一目で分かる基準とかがあるんだろ)


 ネムは続ける。


『でも危なかったよ。生霊はその人の魂そのものだ。もし、あの生霊を退治してたら、今もどこかにいるその娘の本体の方は、最悪永遠に目覚めなくなるところだったよ』


 えっ、と声を上げたのは、紫衣と天音だ。

 ネムは細い目で、玖全にじっとりとした視線を向ける。


『そういう、純粋に退治してはいけないケースもあるから、くれぐれも勝手な行動はしないように』


 それに対し玖全は不機嫌そうに鼻を鳴らすのみだった。

 紫衣が顎に手を当てる。


「でも、これってチャンスですよね。その娘が生霊……つまり、生きている体があるってことは、枯椿鬼に襲われて生きてる人がいるってことですよね?

 新しい情報を聞けるかも……」

『そうだね。そこは調べる価値がありそうだ。玖全君が最初に会ったときの姿が、本体の顔だろうから、そこから何とかして調べていこう』


 と、ネムがそう言ったところで、


「あのー」


 と、紫衣がおずおずと手を上げた。


「この子のこと、アタシ分かるかもしれないです」


 思わぬ言葉に、その場にいる全員が紫衣に顔を向けた。


「この子が変身したときに、カウボーイハットみたいな頭になってましたよね? この辺りを縄張りにしてる暴械族ギア・バグズのチームで、ウエスタンズってチームがあって、カウボーイハットは、そこのトレードマークなんです。それで、そのチーム、最近チームメイトが大怪我したって話を聞いた気がして……」

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