ラプンツェルの翼

1:少女育成計画《オペレーション》 ①

 ──パニック。

 自然界のフィールドでは敵をかくらんするためのぼうえい本能だが、このコンクリートのじん的なジャングルではただ混乱を呼び込むだけのものだった。

 まず視界に入ったのは赤。その赤が血の色だと気づいたとき、すでに周囲はパニックにおちいっており、次々に悲鳴が聞こえてきた。

 突然の出来事にきようこうをきたして逃走する群衆。恐怖が恐怖を呼び、ただ逃げまどう人間の姿は、暴走するレミングの群れのようだった。

 人波のはざから道路に倒れている人間が見えた。灰色のアスファルトに垂れ流された血はタールのようににごっている。

 あいざわりよういちはそんな混乱の中、ただ立ちつくしていた。

 状況がまったくわからない。何が起こったのか、どれだけ死傷者がいるのか、どう行動すればいいのか。

 ただ思った。この光景を以前見たような気がする、と。

 それは強烈な頭の痛みを伴う感だった。

 非日常の光景に体は拒否反応し始めていた。精神をしようとシャッターを下ろすように情報をしやだんする。視界がチカチカと乱れ、周囲の悲鳴も途切れ始め、血のにおいも夏の暑さも感じられなくなった。

 そんな遼一に向かって歩いてくる人影があった。

 黒っぽい衣装に身を包んだその女性は血まみれだった。ほおや口元には血がこびりつき、スカートやシャツはざっくりと裂けている。だらだらと血が垂れ落ちる右手にはいびつにひしゃげたトランクが握られていた。

 彼女はした足を引きずるようにして遼一の目の前に立ち、そして言った。


「このトランクを持って逃げてください」



 ──翌日。

 熱気が残っている夏の夕方。相沢遼一はショッピングセンター前の並木道に立っていた。

 駅ビルの側面に設置された大きなビジョンをじっと見つめていたが、画面はただバラエティ番組を垂れ流すばかりだった。テレビ番組も街の雰囲気も、遼一のよどんでにごった心の中とは違ってへいおんだった。いたって平穏……。

 人混みの中にいると、いつも息苦しさを感じる。自分だけ周囲の人々と違うような、それでもその背景の一部分にすぎないような。

 制服姿の生徒たちがアイスクリームをめながら歩いている。笑顔で浮き足立った生徒たちの姿。夏休み前のゆるんだ雰囲気。強烈な日差しにアスファルトから陽炎かげろうが立ち上っていた。

 排気ガスと熱気の中、だらだらと垂れ落ちる汗をぬぐってりよういちは歩きだした。

 この光景は本物なのだろうかと、ふと思った。テレビのニュースも生徒の会話も真実なのか。繰り返される平凡で退屈な日常。それらは世界を飾る似非えせのパッケージにすぎず、その下に真実が存在しているのでは?

 ショッピングセンターのウインドウを見るとガラスに映った自分と目が合った。自分自身は何も変わっていない。いつもどおりの高校二年生のあいざわ遼一が立っている。

 駅にりんせつしたショッピングセンターの中に入ると冷気が身を包んだ。映画館などもある複合施設で中央が吹き抜けになっている。コインを放り込むと恋愛じようじゆする噴水があり、そのふちに座った女子高校生たちがスターバックスのアイスラテを飲んでいた。

 センター内を進み目当てのショップを見つけると、遼一はその前でぼんやりと立ち止まった。買い物をしなければならなかったが、なかなかそんな気分になれない。


『平凡な日常にちょっとした刺激を……』先ほど強引に手渡されたティッシュのレジャーランドのコピーをちらっと見てから近くのゴミ箱に放り投げた。

 たくさんのカラーがこんだくするショップの中を見ながら思う。カラフルなそれらの商品は、男性をかくしているようにしか見えない。まるでよろいだ、と遼一は小さく笑った。

 そんな遼一の背後で、チリンとベルが鳴った。


「相沢君」


 振り返るとセーラー服姿の女の子が立っていた。ショッピングセンター内で自転車を押していた彼女はクラスメイトのあかさかだった。


「何してるのかな?」


 美穂は肩までの髪を手で払ってこちらを見ている。


おれは何をしてるんだろう」

「何してるんだろうね。学校休んだかと思えば、ランジェリーショップをのぞきこんでて」

「学校は終わりか? 今日きようは何か変わったことあった?」

「午前は現国と微分と体育は女子がバスケで男子がハンドボール……」

「校内放送を聞きながら昼ご飯食って、五時間目の英語の教師は教科書読んでるだけだから昼寝して、家に帰って夕ご飯食って寝て、また朝がきて学校だろ」


 ループするかのような日常だった。ずっと変化がないと思っていた日常。

 そう、昨日きのうまでは……。


「私は帰る前に部活があるけどね。これからバスケ部の夏合宿の会議みたいなのがあるから、買いだしに来たんだ」


 は自転車のカゴに入った袋から缶コーヒーを一本取りだすとりよういちに渡した。


「夏合宿か。部活連中は大変だな」


 冷えたコーヒーを飲むと、少しだけ気持ちが落ち着いた。


「そういえば、あいざわ君もロッククライミング同好会とか入ってたよね。合宿とかは?」

「どうだろうな。活動なんてないに等しいし」

「男子バスケ部が怒ってたよ。南グラウンドでいつもヘボな同好会が壁登りしててじやだってさ。基礎練習はあそこでやりたいんだって」

おれたちが活動を始めたあとに、バスケリングが設置されたんだから、その意見は違うと思うけどな。ってことで、じゃあな美穂」


 遼一は空き缶をゴミ箱に放り込んで立ち去ろうとした。


「ちょっと待って。何か買い物に来たんじゃないの?」

「いや、別に……」

「五分間ぐらいランジェリーショップをのぞいてたよね。それも子供用下着のコーナーを見てた」

「ずっと俺を見てたのか?」

「うん。ずっとパンツを見ながら難しい顔をしてたね。でも、最後ににやっと笑ったから怖くなって声をかけることにしたの」

「友達の……友達の姉ちゃんの誕生日で、その子供の下着でもプレゼントしてやろうと思ったんだ」

「ちょっとびっくりしちゃった。変なことに使うのかとかいろいろ考えちゃった。そんなわけないよね」

「変なことに使うんなら、新品を買ったりしないだろ。いや、変なことに使ったことはないけど」


 遼一と顔を見合わせて笑った美穂だが、ふと首をかしげた。


「下着のプレゼントあげるほど仲のいい友達のお姉ちゃんなんて、相沢君にいるの?」

「……ちょっとしたギャグだよ。でも、やっぱりやめよっかな。買うの恥ずかしいし」


 遼一は垂れ落ちる汗をぬぐいながら言い訳をした。


「選ぶの手伝ってあげようか? どんな子供なのかな」

「小学校高学年から中学生ぐらいかな。二重の大きな目と小さい唇で顔つきは可愛かわいかった。小柄で細めの体にすらっとした手足でくりいろの長い髪。肌が真っ白ですべすべしてた……」


 遼一はそこで、美穂の視線に気づいて言葉を止めた。


「……って友達が言ってた」

「ふーん」


 美穂はしんげに首を傾げながらも、自転車をショップわきに横付けして中に入っていく。


「なあ、そういえば女って何を食べるんだ?」


 下着を選んでいるの後ろに立ってりよういちは聞いた。


「はあ? どういう意味」

「やっぱり主食は甘いものか?」


 クラスの女子はやたら小さい弁当を食べるくせに、そのあとはコンビニで買ったデザートのたぐいをパクついている。どっちが主食かといったら明らかに後者のように思えるのだ。


「いや、普通の食べ物だと思うけど。君と同じなんじゃない?」

「美穂は何が好きだっけ。あ、下着は五セットぐらい。安いやつでいいから。胸は小さいから上はスポーツブラみたいなので」

「……私は甘いものだったらプリン系が好きだけどね。なんでいきなりそんなこと聞くの?」

「女の子って何に興味がある? ファッションと恋愛とおしゃべり?」