「ここまでです。あまり気分のいい映像ではありませんからね」
リサはデッキからDVDを取りだしてから言った。
「あの人間はどんな状態になったの?」
通常番組に切り替わったテレビに視線を向けたまま、奈々が聞いた。
「簡単に表現すると、細胞に異常が起こってしまったのですね。で、人体構成を維持できずに崩壊してしまった、という感じですかね」
「バグに食われた人間はああなるのかよ……」
遼一はただ吐き気をこらえていた。あの映像が本物なのか証明はできやしないが、それでも妙にリアリティがあった。気づくと滝のように汗を搔いている。
「そのバグは、人間だけしか食えないの?」
奈々は冷静な表情だ。
「基本的に人間と同じ物を食べるんですよ。同時に人間のエネルギーも奪うのです。要するにですね、体を維持するためには食べ物を口から取り入れます。それは人間と変わらないのです。ただし、バグは特殊な能力があります。人を狩るための攻撃的能力です。その能力を維持するために、人間の生命エネルギーを奪うということなのです」
「待て、ちょっと待った」
遼一はあることに気づいた。人間を食うバグの存在をとりあえず認めるとする。しかし、そうなると説明のつかないことがある。
「あのときの出来事は救済者とバグの戦いとか言ってたよな。基本的にバグはひっそりと人間を食うんだろ。なんであんなに激しく人を殺してた?」
逃げまどう人々の中に、どれだけの死傷者が出たのか。
「街中で戦えば、周囲の人々に被害が出てしまうのは当然です」
リサは平然と言った。
「ん、どういうことだ? バグは誰と戦っていた?」
「私とですよ。天使と悪魔の戦いです。社会からバグを排除する戦いはいつどこで始まるかわかりません。そして、その激しい戦いは、周囲にも多少の被害を及ぼします」
バグを排除するために、リサは戦っていたということか。周囲への影響も考えずに。
「……じゃあ、あれはおまえのせいでもあったのか? もっと人のいないところで戦ったりすればいいじゃんか。反省はないのか?」
「でも、スポーツじゃありませんから。バグを倒すには少々の被害は仕方ないことなのです。それに、私たち救済者の戦いなどまだおしとやかです。イラク戦争でのアメリカなんて、街中にミサイル撃ち込みまくってたじゃないですか」
そんなリサの物言いにさらに食ってかかろうとすると、奈々がそれを制した。
「待って。それより聞きたいのは、そのときの戦いの意味はなんだったのか、だわ。強引に街中で戦った理由は?」
「社会に寄生し特殊な能力を使うバグに対して人間たちは無力です。ですから、バグには私たち救済者が対抗するしかありません。そのためには救済者を増やすことが重要です」
「奈々は天使……救済者なのか?」
「違います。栄誉ある天使になるにはさまざまな条件があるのです。要するに、彼女は天使になる前の存在で、単純に駒と呼ばれます。通称『天使の牙』ともいいます」
遼一は奈々を見た。トランクに詰められた天使の牙。
「そうです。彼女の奪い合いで、あれだけ激しく戦っていたのです。バグサイドからすれば、当然救済者の勢力を増やしたくはないですからね」
リサが奈々を指さした。
「奈々は人間じゃないってことなのか?」
「精神だけ人間じゃない、と表現しましょうか。天使の牙、つまり駒は子供の女の子に憑依というか寄生をします。いつどこで誰の中に出現するかはまったくわからないのです。その後、眠りにつき蛹状態になります。そして、目覚めたときに最初に見た人間を宿主とするのです。宿主と駒は繫がっており、生命エネルギーは宿主から受け取ります」
「奈々は俺からエネルギーを奪っているってことか?」
「そうです。体を維持するために物質的な食料も食べますが、生命エネルギーは宿主から供給されるのです」
「じゃあ俺はいったいなんなんだ?」
「あなたは天使を育成する人間に選ばれたのです。彼女を天使として羽ばたかせる役目を担うのです。その大役にはさまざまな危険がつきまといますが、大変栄誉ある仕事であると言えましょう」
リサの物言いに遼一は啞然とした。栄誉ある仕事だとか勝手すぎる、と、そこまで考えてからどきりとした。
「……ちょっと待て。危険って? 俺に危険がつきまとう?」
「それほど重要な大役なのです」
「そうじゃなくて、どう危険なんだよ」
「駒の育成をするのですから、たくさんの障害はありますよ」
遼一は、ふと先ほど見たバグのDVDを思いだした。もしかしたら、リサがトランクをバグに奪われそうになったように、遼一の元にも……
「彼女が天使になるための通過儀礼なのです。そんなプログラムに参加をすることは、社会の秩序を守ることに繫がります。よかったですね」
リサはパチパチパチパチと手を叩いた。
「だから待てって、この大馬鹿やろう」
何から聞いていいかわからない。突っこみどころがあまりに多すぎる。
「そのプログラムに、何故遼一が選ばれたの?」
聞いたのは奈々だった。
奈々の問いに、リサは人差し指を眉間に添える仕草をした。
「本来はですね、家庭環境や社会的立場などを考慮して選別されるのです。基本的に男性です。そして宿主となってプログラムを行います。しかし今回はちょっとイレギュラーでした」
リサは、部屋に置いてある歪んだトランクに視線を向けて続ける。
「いろいろとトラブルが重なったのです。トランクが奪われそうになってバグと戦ったこと。そして、その戦いで駒、つまりあなたに異常が出てしまったようです。本来ならもっと目覚めは遅かったのですが……やはり、ちょっとシステムにエラーが出てしまったのかもしれません。もしかしたら誤作動などもあるかもしれませんね」
奈々はリサの視線を静かに受け止めている。
「偶然俺になったのか」
「あの戦いで逃げまどう人々の中、何故かあなただけはぼんやりと突っ立ってましたよね。それで、形勢が不利だった私は、ついあなたにトランクを預けて逃げてもらったのです」
「あの事件がニュースにならなかったのはなんでなんだ?」
「天使と悪魔の戦いはすでに社会的な懸案です。国家レベルでのメディアの操作、また、私たち天使も目撃者の記憶操作などをしてサポートをします」
国家レベルで救済者とバグは認知されているのだ。あの事件が公になっていない事実が、それを裏付けている。
「トランクを開ける前に警察にでも届けていただければ、こうならなかったのですがね」
リサが言った。
「いつまでだ。いつまで俺はそのプログラムを続ければいいんだ」
「天使の牙が天使へと更新されるまでです」
「その条件は?」
「……私からはお教えできません。それを探すのもプログラムの試練です」
「プログラムの中ではどう行動すればいいんだ?」
「自由です。あえて言うならば、道具を使って自己を守ることです」
リサは一連の遼一の質問に答えたあと、ちらりと奈々を見た。
奈々は沈黙している。
「……俺が断ったら?」
遼一の問いにリサは首を振った。
「断れません。すでに天使の牙は作動状態です。宿主は強制的にプログラムに参加することになっているのです」
「宿主のすべてが素直にプログラムに協力すると思うのか?」
「それでもいいのです。プログラムの失敗も範疇ですよ」
遼一の視線を平然と受け止め、リサは微笑んだ。
プログラムの失敗。それは遼一の死ではないだろうか。バグに殺されて終わるのだ。遼一はあのDVDのバグに食われた男の末路を思いだした。