ラプンツェルの翼

2:課程《プログラム》 ①

 ガラステーブルの上にアイスコーヒーを置くと、女性が軽く頭を下げた。ライトブラウンのロングヘアーに整った顔つき、チェックのスカートからすらっとした足がのぞいている。彼女は両手をひざの上にそろえてベッドに座っている。

 とりあえずりよういちの部屋に戻ってきていた。出窓を背にしたがじっと彼女に視線を向けている。は部活があるので学校に戻っておりここにはいない。


「どこから話せばいいでしょうかね……」


 女性は困ったように頭をいてから、アイスコーヒーを一口だけ飲んだ。表情には子供っぽさが残っていたが、年齢は二十歳前後といったところではないだろうか。澄んだ大きなひとみには、わずかに鋭さが含まれていた。


「君の名前は? おれは……」

「私はリサと言います。あなたはあいざわ遼一さんですね」


 リサと名乗った彼女はにこりと笑った。


「プロフィールは調査済みです。相沢遼一、十六歳。十月二十七日生まれ、血液型B型。高校二年生でロッククライミング同好会に所属。趣味は映画鑑賞とき火。好きなプロ野球チームは読売ジャイアンツ。この部屋でひとり暮らしをしており、ガタピシと名前をつけたすずめを飼っています」


 リサはトートバッグからファイルを取りだしてパラパラとめくっている。細かな情報に遼一はぜんとした。


「両親は遼一さんが小学一年生のときに交通事故で死亡。遼一さんは父方の叔父おじに引き取られ名古屋に引っ越す。叔父の死去により、故郷のこの街に戻ってきたのが約一年前」


 リサがちらっと遼一を見た。


「よく調べているけど、俺のことはいい。問題は君と、あの子のことだ」


 遼一は壁に寄り掛かっている奈々を指さした。


「彼女には名前はないのですよ」


 奈々は口を挟むことなく、じっとリサを観察するように立っている。


「順を追って話しましょう。まず、トランクをあなたに渡したときのことからですかね」


 遼一の脳裏にあの場面がフラッシュするかのようによみがえった。血と悲鳴の中、ただ立ちつくす自分自身。頭がズキンと痛んだ。


「あれはなんだったんだ?」


 額の汗をぬぐいながら遼一は聞いた。


「あれはですね、たとえるなら天使とあくの戦いなのです」


 リサはさらっと言った。


「へーえ」


 りよういちは冷蔵庫から缶コーヒーを取りだしながら相づちを打った。


「ご安心ください、私は人間を守る天使サイドですから。私たち天使は、人間界の秩序を守るために、格安の料金で働いているわけなのです。まあ一番苦労しているのは、現場の私たちしたなのですがね」


 リサは指をくるくると回しながら説明している。


「とりあえず、憎きあくの説明からいたしましょう。彼らはこの人間社会に寄生する存在なのです。ひっそりとまぎれ込んで暮らしています。悪いやつらですよ……あれ、聞いてますか?」


 リサがちらっと遼一に視線を向けた。


「天使と悪魔、ね」


 遼一はコーヒーを飲みながらつぶやいた。


「ネーミングはちょっとアレですけど。まあ企業のような団体ですから。天使カンパニーみたいなノリでしょうか。臨海地区のユーロランドのメインスポンサーですよ」

「でかい企業じゃないか……」


 ユーロランドは湾岸のレジャーランドで、スタッフが美女ぞろいだと評判だった。それは天使たちが働いていたからだというのか。


「ちなみに、正式には悪魔はバグといいます。バグはプログラムのけつかん、寄生虫などという意味があります」


 社会の寄生虫バグ、ということだ。


「私たち天使は救済者セーバーと呼ばれています。人間クライアントにサービス提供するというserverにも引っかけています。コンピューター用語から取っているのは、私たちの構造がどちらかというと、コンピューターに似ているからです」

「私たちの構造っていうと?」

「私たちは、体は人間ですが精神内部は違います。表現するならプログラムデータでしょうか」

「それで、あのときの戦いは救済者セーバーとバグが戦ってたのか?」

「そのバグ、は、人間を攻撃するの?」


 それまでだまっていたが口を挟んだ。


「基本的には攻撃的アグレツシブではありません。あまり目立った行動もしません。ただ、バグは人間を食べないと生きていけないのです。生物学的な行動のはんちゆうですが」

「そんな存在がいたとしたら、もっと大げさなニュースになってるだろ。そして、社会全体で対策が取られるはずだろ」


 バグに食われた人間の話など聞いたことがない。


「あなた方が思う以上にバグはたくさんいるのですよ。そして、ひっそりと社会に寄生して人間を食べています。彼らは知能が高く社会に順応しているのです。見た目は人間と同じで区別がつかないのです。私たち救済者セーバーと同じように」

「だったらなおのこと、世間に広めて対策を取るべきだろ。今言ってることが本当だったらの話だけどな」


 りよういちの意見にが口を開く。


「本当だとしたら、対策の取りようがないわよ。言ってどうする? パニックを引き起こすだけだわ。人間同士がしんあんになって混乱するだけ」

「彼女の言うとおりです。ですから私たち救済者セーバーの存在があるのです。私たちは、国家に認められた存在なのです。バグ対策のためにみつに行動しフォローを受けています。バグについてなんですけど、もう少し説明をしましょうか? この部屋にDVDデッキありますかね」


 遼一は、リサがバッグから取りだしたDVDを受け取るとデッキに差し入れた。


「これはですね、バグを捕らえたときの映像なのですよ」


 再生ボタンを押すと真っ黒な画面が表示された。奈々もテレビの前に立ってじっと映像を見つめている。そのまましばらく待つと、とつじよ灰色の壁が映った。

 蛍光灯に照らされ冷たく光を反射するコンクリート。ざつな映像だった。視界がゆらゆらと揺れておりポイントが定まっていない。音声は入っておらず、細かなノイズが少しだけ聞こえた。

 不意にアングルが変わる。コンクリートの部屋の中で、カメラは何ものかをとらえた。


「……なんだ?」


 遼一は顔をしかめた。カメラが捉えたもの全体にモザイクがかかっていた。揺れ動くモザイクとしか見えない。目がチカチカとする。


「バグを映しています。いろいろ問題があるため、モザイク処理をしているのですよ」


 カメラアングルが少しずつ動いて部屋の様子が確認できた。人がいる。に座っている男性の姿だった。上下白のスエットのような格好をした五分刈りの中年男性。男は手足を椅子にしばりつけられている。


「彼は身元不明の犯罪者なのです」

「モザイクがバグ? 犯罪者はどうなるんだ?」

「社会的モラルに反していますが、バグ研究のために仕方ない側面もあるのです」

「……まさか、えさなのか?」


 遼一はリサの説明にどきりとした。

 しかし違和感があった。椅子に縛られた男性はおびえるどころか、ニヤニヤと薄笑いを浮かべてバグを見据えている。画面からはまったく危機感が伝わってこない。


「そろそろですよ」


 リサが言うと同時に、モザイクが男性に近づいていく。男性は薄笑いを浮かべたまま、モザイクに向かってなにやら言葉を発している。音声はなかったが、唇の動きから何かわいな言葉のようだった。

 モザイクが男性と重なった。男性にのしかかっているような感じだろうか。


「首筋にみついています。バグはそうやって人間から生命エネルギーのようなものをうばうのです。そして、生命エネルギーを奪われた人間は……」


 りよういちは息をのんだ。薄笑いを浮かべていた男性の表情が凍りつき、そして絶叫した。音声はなかったが、画面越しに悲鳴がれるような表情。恐怖の表現。

 悲鳴を上げる口からとつじよ血が吐きだされた。な血は、目や鼻や耳からもだらだらと流れ落ち──画面がフリーズした。