ラプンツェルの翼

1:少女育成計画《オペレーション》 ⑦

「感情は説明できるもんじゃないよ。美穂なんかは感情豊かだよな」

「彼女……美穂は学校に住んでる?」

「学生だから日中は学校に通学するんだよ。おれだって本当は行かなきゃいけない」


 しかしそれどころじゃなかった。学校に行こうにも、奈々は遼一から二メートル以上はなれることはないのだ。監視は続いている、ということだ。


「学校か……」


 奈々はブーケを手に持ちながら外を見ている。


「花もらってうれしかったのか?」


 遼一は奈々の見せた笑顔を思いだした。


「……私なりに気を遣ったの」


 奈々は窓に映った自分を見て笑顔を作った。


    *


 いつもの教室は妙ななつかしさのようなものを感じさせた。

 遼一は窓際の自分の座席にじっと座っていた。土日を挟んで一週間ぶりの登校だった。

 休んでいた遼一に声をかけてくる生徒たちが多かったが、それらを適当にあしらってただ静かに授業をこなした。それらの光景は、何故なぜか遠い存在のように思えた。

 繰り返される日常の風景。それはあまりにももろはかない素材でできていることに、中にいるときは気づかない。


「……それで競技の割り振りなんだけど、とりあえず希望を取りまーす」


 顔を上げると、教卓に美穂が立っていた。

 四時間目のホームルームの時間だった。来週に行われる球技大会について話し合っている。生徒たちには大きなイベントだったが、今のりよういちにとってはさいなものだ。


「クラス総合で優勝したいから、それぞれ得意な競技に回ったほうがいいと思うんだよね」


 を中心に話し合いは進み、挙手やすいせんなどで次々と競技が埋まっていく。


「なああいざわ、バスケにいくぞ」


 遼一の肩に手を置いたのはクラスメイトのかわさきだった。


「なんで?」

「五組にバスケ部の部長がいるだろ。あいつとけをしたんだよ。ほら南壁問題だ。バスケで勝ったほうが南壁を取ることになった」


 川崎は遼一が所属するロッククライミング同好会の会長だった。南壁とは、同好会の活動としてフリークライミングを行う南校舎の壁のことだ。その壁に隣接してバスケットリングが設置されているので、いろいろとさつが起こっている。


「なあ、それって不利な勝負じゃないのか? なんでわざわざバスケで勝負を」

おれたちのクラスにバスケ部員が三人いるから充分勝負になる」

「まかせるよ」


 遼一は適当に返事した。


「なあ相沢、それなんだ?」


 川崎がふと机の横に置いてあるトランクに目をやった。


「なんでもない。変なものなんて入ってない」

「なんかボコボコにゆがんでんなあ」

「だから気にするなって」


 遼一は、川崎の視界をさえぎるように立って言った。


「なんだよ気になるなあ。エロいものでも入ってるとか?」

「いいからやめろって。大してエロくはないんだ」


 遼一は川崎のしりばしてトランクから遠ざける。


「わかったって。そんな嫌がることしねえよ」


 川崎は肩をすくめて机からはなれていく、と思いきや、突然身をひるがえしてトランクに突進した。


「てめえ!」


 完全に油断していた遼一は、我に返ってトランクにタックルする。両者のはげしいうばい合いの中、トランクは吹っ飛ばされ、壁にバウンドしてから教卓の前まですべっていく。


「ちょっと、君たち何やってるの? ん、そのトランクはなに?」


 美穂が足下にクルクルと滑ってきたトランクに手を伸ばす。


「させるか!」


 遼一は寸前でトランクにスライディングタックルをして蹴り飛ばした。


『むぐっ』


 トランクは妙な悲鳴と共に教室の開いたドアから廊下にりだされた。


「ちょっと、今の声は……」


 ぜんとするを無視して、りよういちは廊下へとダッシュした。ちょうど授業終了のチャイムが鳴りひびいた。


「危ないところだった」


 遼一は廊下に転がっているトランクを抱えると、そのまま階段を駆け上がった。

 屋上に出て遼一は大きくため息を吐いた。その後、周囲に人がいないことを確認してからトランクを慎重に開ける。

 トランクの中から出てきたのは、ワイシャツ姿のむすっとしただった。


「もっと、丁寧に扱うべきだったわよね」


 奈々が遼一の胸ぐらをつかんだ。全身汗だくの姿だった。保冷剤を一緒に入れておいたが、あまり役に立たなかったようだ。


おれはやるだけやった。仕方なかった」

「トランクから出ていって、おまえの学校生活をメチャメチャにすることだってできるのよ」


 奈々が目をつり上げている。テレビドラマなどを見て、相手をかくする表情まで覚えだしたのだ。ここ最近の奈々は言葉遣いも表情もある程度自然になってきた。


「うわあ、やっぱり……」


 声にどきりと振り向いてからあんした。屋上に出てきたのは美穂だった。

 しばらくぼうぜんとしていた美穂だったが、すぐに怒号を上げた。


「さすがにそれはまずいよ。妹をトランクなんかに入れて信じられない。箱に入れたいほど可愛かわいいのはわかるけど物じゃないんだよ!」

「……いや、こいつが学校に来たいって言ったから」

「だからってトランクはないでしょ!」

「このトランク、こいつを運ぶようにセッティングされてるから」

「そんな仕様のトランクがあるんなら私もほしいくらいよ」


 言い争いをするふたりに割って入ったのは奈々だった。


「私が連れて行ってって無理言ったの」


 奈々が美穂に抱きつきながら言った。


「奈々ちゃん、でも、でも……」

「怒らないで」

「怒ってないよ。私は奈々ちゃんみたいな可愛い子には怒らないよ」


 奈々の態度にこんわくした美穂は、作り笑いを浮かべながら首を振った。


「まあ何はともあれ、あと五時間目の授業だけだな」


 平然と言うりよういちがぎろりとにらんだ。


「もうトランクに入るのやだあ」

「そうだよね。わかった、一緒にさぼってあげるから安心して」


 奈々に抱きつかれたは言った。

 その後、遼一と美穂は五時間目の授業をさぼって、駅前のショッピングセンターに向かった。美穂が奈々の服を買おうと言いだしたのだ。

 美穂のジャージを着た奈々は、美穂と手をつなぎながらニコニコと歩いている。ああして見ると、奈々も普通の女の子だ。


「スカートがほしいね。あと、シャツもお兄ちゃんのじゃなくて、小さいやつが可愛かわいいよね」


 奈々と手を繫いでいた美穂がふと手元に目をやった。


「このブレスレットみたいなのはなに? 結構重そうだね」


 あの腕輪に目がいったようだった。遼一も奈々もずっと気になっていたのだが、それがなんであるかいまだにわからなかった。


「……ねえ、あれなあに?」


 話題をらすためか、奈々はアイスクリームのワゴン車を指さした。


「アイスクリームだけど食べる?」


 いきなりなつきだした奈々に浮かれている美穂が、ささっとアイスクリームを買いに走る。


「なあ、あまりたかるなよ」


 遼一は奈々に耳打ちした。


「こうして可愛い女の子を演じて美穂をだますのは、遼一にとってもメリットがあるわ」

「まあ、そうなんだけどな」

「テレビで女子児童のあるべき姿を学習した。表情作ってはしゃいだりとシンプルだった。私の今後のためにもかんぺきにそれを演じてみせるわ」


 女の子らしく振る舞うのはいいのだが、奈々が自分の容姿と立場を利用しだしたことは、それはそれでいい気分ではなかった。


「買ってきたよ。バニラでよかった?」


 何も知らない美穂が脳天気に走ってきて、奈々にアイスの載ったコーンを手渡した。


「ありがとう。美穂はやさしいのね」


 小首をかしげてにこりと笑うそんな奈々の表情は、すべてを知っている遼一の目から見ても可愛らしかった。まさに天使の微笑ほほえみだ。


「どう奈々ちゃん、おいしい?」

「あ……意外なほどにうまいぞ、これ。プリン以来の大ヒットだな」


 初めてアイスを食べた奈々が目を丸くしている。


「ん?」


 素が出てしまったを見てが首をかしげている。


「おいしいよ、アイスおいしいよ!」


 りよういちに肩を小突かれた奈々は、取りつくろうかのようにはしゃぎだした。


「アイス、アイス、アイス、イエーイ」


 アイスを持ったまま奈々が並木道を走りだす。

 やりすぎだろうと遼一があきれていると、いきなり奈々がズテッと転んだ。


「な、奈々ちゃーん」


 焦った美穂が奈々に駆け寄る。


「おまえ、鹿だなあ」


 走り寄ってみると、がくぜんと倒れ込んでいる奈々の目の前で、みじめにアイスクリームがアスファルトに落ちていた。


「そんなに落ち込まなくても……新しいの買ってくるから」


 美穂がダッシュでアイスを買いに向かう。


「どういうことだ?」


 奈々が表情をゆがめてつぶやいた。


「おまえ、そんなにショックだったのか……ん?」


 奈々の両腕と両足が妙なことになっていた。


「腕輪か?」


 左右の手首の腕輪が磁石のようにくっついているのだ。足も同じだった。

 状況を理解できずにぼうぜんとする遼一は、ふと背後に視線を感じて振り向いた。昼下がりの街の雑踏。道を行き交う人々の中、こちらを向いて立ち止まっているひとりの女性がいた。

 遼一の視線に気づいた女性は、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 整った顔とスレンダーな体のライン。そんな彼女には見覚えがあった。

 ──トランクを持って逃げてください。

 そう言いトランクを渡してきたあの女性だった。

 女性が遼一の前で立ち止まった。

 硬直する遼一のわきでは、倒れる奈々の髪が何かを警告するかのようにぞわっと逆立っている。遼一が顔を上げると、彼女の冷たさを含んだひとみが見えた。


「……開けてしまったんですね」


 彼女は、奈々を見て困ったように言った。