ラプンツェルの翼

1:少女育成計画《オペレーション》 ⑥

「もうこれしか残ってないんだよ。とにかく食えば空腹はまぎれる。それにプリンばっかり食ってたやつが、栄養価とか言うなよな」

「カロリーメイトは? あのモフモフしておいしいブロックタイプのバランス栄養食品」

「それももうない」

「……そこは持っとかなきゃ」


 特売で買い込んでいた二十箱ほどのカロリーメイトは、すべてが食べてしまった。


昨日きのう、あの女が買ってきた食材の栄養バランスはよかった。彼女を呼ぶ?」

「家の電話はおまえがこわしたんだろうが。もう連絡手段すらない」


 この部屋はもう孤島のようなものだった。このまま監禁され続けてする可能性すらあった。そうなれば死後、りよういちが少女を監禁したことになってしまう。

 遼一は、作り終えたインスタント焼きそばのひとつを奈々に渡してから出窓に座った。この生活がいつまで続くのだろうか、と焼きそばを食べながら思った。奈々がこの部屋に来てから三日が経つが、これでは学校にも行けない。奈々を見ると、はしで焼きそばのめんを持ち上げたりにおいをかいだりと、調べるような仕草をしてから口に入れた。


「……なにこれ。ペヤングソースやきそば? ペヤングなかなかうまいね」


 奈々が一心に焼きそばをかっ込んでいると玄関のチャイムが鳴った。どきりとした遼一が恐る恐る確認してみると、ドアの前に立っていたのはやはりだった。


「どうした?」


 遼一は少しだけドアを開けた。


「どうしたはこっちの言葉だよ。用件はいろいろ。宿題のプリントとか……」

「わかった。プリントだけこっちによこせ」

「ちょっと開けなさいよ」


 美穂がドアのすきにさっと足を挟んだ。私服姿の美穂はスーパーの袋を提げている。部活を終えて、いったん家に帰ってからここに来たようだ。


おれの病気はもう治ったから心配ない」

「君の心配じゃなくて、奈々ちゃんの確認に来たの」

「残念だけど奈々はもう帰っちゃってさあ……」

「いたよ。だってベランダに奈々ちゃんが立ってるの見えたもん。ワイシャツ一枚のあんな格好でベランダに出てパンツも見えてた」


 美穂が少しだけ怒ったような表情になった。美穂のマンションから、この部屋のベランダを見ることができるのだった。しんに思っているだろう美穂を断じて入れてはならない。


風邪かぜがうつるから入ったらだ」

「今、治ったって言ったでしょ」


 美穂は「おじゃまします」と、ドアを強引にこじ開けて部屋の中に入っていった。

 床に座り込んでインスタント焼きそばを食べていたは、ちらりとに視線を向けただけだった。


「成長期の子供にインスタント食品なんか食べさせちゃじゃない。部屋は散らかり放題だし、奈々ちゃんは昨日きのうと同じ服装だし、髪はぼさぼさだし……」


 美穂は部屋に散らばる冷凍食品のゴミなどを見てうんざりしている。


「いろいろ理由があるんだよ。それに、なんていうかこれはおれの複雑な家庭事情なんだ。ほら、奈々はちょっと向こうの家でごたごたしてさ、しばらく俺が預かることになったみたいな感じで、ほんの短期間だから適当でいいんだよ」

「どうごたごたしたのかは聞かないけど、だからこそ、ちゃんと生活しないといけない」


 美穂が怒ったように言った。


「でもさ、なんていうか、奈々は美穂になついてないみたいな感じがあるじゃんか。だから、その食材だけ置いていってくれたらそれでいいから」


 りよういちは美穂をなだめるように耳元で言った。


「だって、それは君がちゃんと紹介してくれないっていうか……」


 美穂が感情のない奈々の視線に気づいてまばたきをした。


おぼえてないかな。そうだよね。前に会ったの幼稚園ぐらいだったもんね。ほら、こんな格好しちゃ駄目だよ。胸が見えてるじゃない」


 美穂がワイシャツのボタンをとめながら笑いかけた。そして、持ってきていたブーケを奈々に差しだした。ピンク色の小さなバラの花束。


「奈々ちゃん、どうぞ」

「…………」


 奈々は渡されたブーケをそのままわきに放り投げ、食べ終えたカップめんから容器を投げ捨てると、テレビチャンネルをしばらくザッピングしてからアウトドア雑誌を読みだした。


「おい、あまり不自然な態度を取るなよな。きようするって言っただろ。あいざわ奈々としてもっと自然に振る舞えよ」


 焦った遼一は、奈々の胸ぐらをつかんで耳打ちした。


「今は、どうすれば最善の反応?」

「うれしくなくても喜んでやればいいんだよ。適当にわーいとか言って……ほら、あいつすぐ泣くんだから」


 ちらっと振り返ると、美穂は目に涙をめて突っ立っている。


「……わあ、お花、うれしいなあ」


 奈々はブーケを手に取り美穂を向いた。


「無理しなくていいよ」


 美穂は無表情の奈々を見てごしごしと目をこすっている。奈々はしばらく首をかしげていたが、立ちあがっての手を握った。


「本当にうれしいよ」


 はぎこちなくもにこりと笑った。


「そ、そう? 持ってきてよかった。知り合いのお花屋さんで特別に作ってもらったんだ」


 奈々の笑顔に、美穂もぱあっと笑顔になった。



 りよういちは子供のころ、この街に住んでいた。両親と妹の四人暮らしで、現在、美穂が住んでいるのと同じマンションで暮らしていた。

 そのマンションには同年代の子供が数人おり、グループを作って遊んでいた。今とは違い、男勝りで活発だった美穂はリーダーのような存在で、いつもグループの中心にいた。ばっさりとショートに切った髪に、日に焼けた肌と気の強そうなひとみ。その日の遊ぶ内容を決めるのも美穂だったし、いつもの公園に行かないと、家まで押しかけてきて呼びだされた。その頃の美穂は、遼一と呼び捨てにしていた。

 しかし、あの事故があり両親がいなくなると、遼一は父方の叔父おじに引き取られ街をはなれることになった。妹は母方に引き取られ、それ以来一度も会っていない。

 叔父の死後、再びこの街に戻ってきたとき、遼一は高校一年生となっていた。そして、高校の入学式で声をかけてきた女子生徒が美穂だった。遼一は彼女がだれだかまったくわからなかったが、美穂は一目で気づいたようだ。

 改めて見れば、気の強そうな目とれいな表情の作り方にはおもかげが残っていた。

 ただし美穂の呼び方は、あいざわ君、と変化していたが。


『きゃっ──へんなとこ触っちゃ


 ユニットバスから美穂の声が聞こえた。異臭がすると言って、美穂が奈々を洗っているのだ。時折、ユニットバスの中から美穂の悲鳴が聞こえてくる。

 トランクを出て以来、初めてシャワーを浴び全身をくまなく洗われた奈々は、美穂に抱っこされ出窓に置かれた。奈々は大きなシャツを着せられ、髪にドライヤーをあてられ、されるがままに座っている。


「ふふ、お人形さんみたいだね」


 美穂が奈々の髪を結びながら額に軽くキスをした。無表情で座っている奈々は本当に人形のようだった。


「君もそろそろ学校に来なよ。球技大会とかイベントごとも近いし」


 キッチンでなにやら作りだした美穂が遼一に言った。


「わかってる、わかってる」

「でたよ、絶対にわかってない生返事」


 ため息を吐いたは、その後、のためにレバニラ炒めを用意してから帰っていった。


「……りよういち


 出窓に立てひざで座る奈々が呼びかけてきた。


「ん?」


 遼一はぼんやりとテレビで野球を見ていた。今日きようの試合もジャイアンツは調子がいい。クラスメイトは金に飽かして補強をする球団方針を悪く言うが、ジャイアンツは勝利が義務づけられた球団だから仕方がないのだ。


「なんで人間は泣いたり笑ったりする?」


 奈々がつぶやいた。


「悲しかったりうれしかったりするからだろ」

「テレビでもそう。泣いたり笑ったり。口で説明すればいいのに。悲しいです、うれしいです……。悲しいとかうれしいってなに?」