ラプンツェルの翼

1:少女育成計画《オペレーション》 ⑤

 少女はブリッジをして遼一の体を浮かすと、いつしゆんのうちに両足で遼一の首を挟みこむ。妙に柔らかい少女の太ももの感触に硬直した瞬間、右腕を取られた。かんぺきな三角締めだ。

 腕の痛みと、押しつけられた少女の太ももにちつそくしそうになっていると、不意にロックが外された。

 ゲホゲホとき込みながらベッドから逃げた遼一の腰に少女が組みつく。


「ま、まさか、ちょっと待て……」


 遼一は悲鳴と共にを描いてベッドに落ちる。少女が投げっぱなしジャーマンを決めたのだ。遼一の体はベッドをバウンドし、壁にはじかれ、ベッド脇のスタンドをかいして床に転がった。


「格闘技番組も視聴した。深夜番組」


 少女はいつの間にか机に上っている。机の上から体を投げだしてのプランチャでフィニッシュするつもりだ。


「わかった、プロレスごっこも終わりだ」

「……終わりか」


 少女は机からストンと降りた。


「格闘技見たからってそれはねえだろうが」


 りよういちは息絶え絶えにベッドに座り込む。


「明らかに異常。私と君の筋肉を比較すると、格闘戦で私が勝てるはずがない。しかし事実はこう。私の存在には何か秘密があるはず」


 少女は乱れたワイシャツを直している。きやしやな体のどこからあれほどの力が出るのか。


「だったらなおさらだろ。ここにいても、たぶん何も解決しない。それか秘密を知りたいとかなら、ひとりでやるべきだろうが。おれに協力を求めるなよな」

「勘違いしてる。私は協力を求めてない。おどしてる。たぶん……全力を出せば君の首ぐらいへし折れる」


 少女が遼一を見つめた。かくしている目ではなかった。ただ静かに向ける視線にぞくりとした。冷たいその視線には見覚えがあった。海の生き物番組で見たさめのような感情のない目。


「……どうするつもりだ」

「今後のためにも、人の殺し方を学習しておく必要がある、かも」


 少女は先ほどまでプリンを食べていたステンレス製スプーンを、紙のようにくるくると丸めて床に放り投げた。鉄塊となったスプーンが遼一の足下に転がる。


「書籍やテレビ番組で、人間が一番恐れているのは死だと教えられた。そして、こんなシーンでは、殺さないでくれと人間は泣き叫ぶ」


 少女が歩み寄ってくる。遼一の心臓がどくどくと高鳴った。


「私は思う。はるか昔の人間の恐怖は極めてシンプル。やみけものや食糧不足。しかし文明の発達と共に、それらの問題は解決された。それゆえに、人類は根本的な死という恐怖を直視することになった。死の向こう側にある永遠の無まで恐れる」


 少女の冷たい視線に汗が噴き出て全身があわった。呼吸が乱れ、すっと意識が遠くなり、いきなりな色のイメージがせんこうのように頭に散った。

 蜘蛛くもの巣? 羽を広げたすずめ? 夜空の花火? それともアゲハチョウ? 違う、インクの染みのように広がるそれは血だ…………

 まただ、と、思った。何かのおくのフラッシュバック。このシーンはなんなのだ……。


「……どうした?」


 少女がこちらをうかがうように見ている。


「……違うね。その意見は違う」


 りよういちはぐったりとベッドに座り込んだ。


「死はスイッチのような単純なものだよ。死の向こう側なんて存在しない。テレビを消すようにシンプルなシステムだ」

何故なぜ、そう思うの?」

「人間なんて簡単に死ぬからな。生きてる意味がないくらいに」


 遼一はあっけなく事故で死んだ両親を思いだした。そんなおくもぼやけて消えかけていたが、スイッチを切るようにあっけなく存在を消したに違いない。死んでからの苦しみなんて存在しないはずだ。ただスイッチが切れただけのことなのだ。


「じゃあ何故、君は生きている?」


 少女が聞いた。


「ただぼんやり道を歩いてるだけのことだ。そいつにどこに向かって歩いている? って聞いても答えなんか出てこない」


 どこを歩いているかもわからない。道の先がどこなのかもわからない。何もわかっていないのだ。自分すらも……

 少女はじっと遼一を見ていたが、床に投げ捨てた本を拾ってベッドに座った。


「どうした、殺すんじゃなかったのか?」

「計画変更する。いつでも殺せるなら生かしておく。この生活に、まだ君は必要」

「警察に届けるかもしれないぞ」

「監視する。常に私は君のそばにいる。そして、私に害をなす行動をしたときに殺す」

「勝手だな」


 遼一は重い息を吐いて出窓に座った。

 暗くなった外を見ながら呼吸を落ち着ける。いまだ心臓の鼓動が乱れている。恐れを感じたのは少女の視線だった。遼一をおどすわけでもかくするでもない無感情な視線。ただこちらを見ていただけなのだが、そんな無機質さに体がふるえた。

 彼女は人間ではないのかもしれないと、そんな鹿なことを思った。


「……遼一」


 少女が呼んだ。視線を向けると、少女は辞書をパラパラとめくっていた。


「さっきの私の行動、悪かった。私は自分が何か知りたいだけ」

おれだって自分がなんなのかわからないで生きてるぜ。こんな場所にいても解答は出ない」

「私は今の時点でほかに行くところがない。だから協力して。単純な利害関係。問題解決した時点でここを出ていく」

「脅してだったから、きようしたのか?」

「世界規模で考えた。無駄な争いは両者にとって損失。歴史の本で読んだ。イラン・イラク戦争、朝鮮戦争、米ソ冷戦などお互いへいしただけ。だから、この生活において友好的にすることは合理的」


 正直どうでもいい気がした。世界的規模で考えた。投資によりもてあそばれる石油価格。ロシアの強行によるアメリカとの軍事的緊張。北極の氷が溶けてシロクマが困っていること。それらに比べれば、女の子を拾ったことなどさいなものだ。


「それまで、私はあいざわとして振る舞う。この部屋の生活は、君に少しだけ妥協する。しかし、君が裏切ったら殺す。だから……」


 少女は無感情な視線を向けている。


「……いつでも殺せるように、ずっと君のそばにいる」


 少女──相沢奈々はそう言った。


    *


 奈々との生活はいびつながらもへいおんに続いていた。

 奈々は相変わらず本を読みニュースを見て、パソコンでネット上の情報なども調べるようになっていた。しかし、徐々に知識以外のことにも興味が向いていた。

 現在の奈々はベランダでケージの中のすずめを観察している。背伸びをしている奈々が指をケージに入れているのが見えた。ベランダでもワイシャツ一枚の格好だ。

 りよういちはベッドの上に横になりながらボーッとテレビに視線を向けていた。今日きようも学校には行っていない。外に出ることすら奈々に拒まれているのだ。このままでは、ずっと部屋の中で暮らすことになって最終的にはひからびてしまう。


「……遼一」


 ベランダから奈々が声をかけてきた。


「どうした?」

「おなかがへった」


 遼一は渋々立ちあがって冷蔵庫を見たが、食材はほどんどなくなっており、調味料のたぐいがあるばかりだった。そのまま食べられそうな物はマヨネーズだけだ。


「もう食べ物がないんだ。外に買いに行かないと」

「外……もう少し知識を仕入れてからでないと怖い。慎重に行動したい」


 奈々はベランダの向こうに気になるものがあるのか、ぴょこんと片足を曲げ鉄柵から身を乗りだしている。シャツのすそから青い下着がちらちらと見えた。

 台所の棚からインスタントめんを発掘したので、とりあえずお湯を沸かすことにした。こんな状況だが、何故なぜか食欲だけはあった。知らないうちにエネルギーを使ってるような感じだ。

 お湯をカップ麵に注いでいると、ベランダから奈々が戻ってきた。


「……インスタント食品。栄養価が低くて体に悪いとテレビで言ってた」