ラプンツェルの翼

1:少女育成計画《オペレーション》 ④

「い、妹なんだ。ほら、昔事故があって、親が死んで母方の伯父おじに引き取られた妹がおれにはいただろ」

「……ちゃんのこと?」


 美穂がはっと目をいた。


「そうそう、奈々だよ。美穂が会うのは小学生のとき以来だったよな」

「そっかあ、そうなんだ」

「そうだよ、そうなんだよ」


 りよういちと美穂は顔を見合わせて笑った。


「そっか、奈々ちゃん久しぶりだねえ…………って、なわけないじゃない。だって、だって奈々ちゃんは……」


 美穂が表情をこわばらせたままボロボロと涙を流し始めた。


「これは犯罪だよ。こんな小さな女の子を……」

「泣くな、泣いたってこの状況は変わらない」

「でも、私まだ迷ってる。悪いことをした友達をかばう正義を取るか、社会的な倫理を優先するか……私はどうすればいいの」


 遼一は泣く美穂の手を取った。


「わかった、泣くな、泣かないでくれ」


 本当のことを言おうと思った。あまりに突飛な出来事だったが、美穂には……


「実は……」


 そのとき遼一の手がぎゅっと握られた。はっと振り向くと、少女が手を握ってこちらを見つめていた。


「……お兄ちゃん」


 少女が無表情でこちらを見ている。


「奈々ちゃんなの? 本当に奈々ちゃんなの?」


 美穂が硬い表情を向け少女に聞いた。


「私は奈々だよ」


 少女は、はっきりと言った。


    *


 下落する内閣支持率、都庁のしゆうぜん一千億円、食品そう問題、リーズナブルで新鮮なネタの回転寿司特集、アイドルタレントの恋愛……テレビは無秩序に情報を垂れ流し、へいおんな社会状況を表現していた。

 変化はなし。出窓からの景色もベランダのすずめも壁に掛かった丸い時計の動きにも変化はなかった。平凡な日常に変わりはない。ただ一点を除いては……

 外が暗くなり、少女の姿が窓に映る。少女は壁を背にして座って、ぼそぼそと何かつぶやいている。


「十一種類のビタミンをはじめ、六種類のミネラル、タンパク質、脂質、糖質を手軽にきゆうできるバランス栄養食品、カロリーメイト・ブロック。一本一〇〇キロカロリーで……」


 少女はカロリーメイトの黄色い箱を手に持ち、その説明書きを読んでいた。言葉の学習をするかのように、やたらに音読を繰り返している。


「なあ、おまえはだれなんだ?」

「……あいざわ


 少女は平然と答え、今度はりよういちの高校の教科書を読みだした。


「あのときはそう言ってくれて確かに助かった。でも奈々のわけがない。妹とはもう十年以上は会ってないんだ。交流はない」


 妹が母方の伯父おじに引き取られたことは真実だ。遼一が小学一年生のときだった。一歳年下の妹の顔はまったくおぼえていない。奈々も遼一のことは憶えていないだろう。


「……なおのこと都合がいいのでは?」


 少女の口調もそうだが、教科書にじっと視線を向けるその表情には子供らしさがまったく感じられない。


「あの状況は収束した。雨降って地固まる」

「そのろんはしてない。それにしやべることができたんなら最初から口をきけよ」


 少女はすっと立ちあがると、教科書をベッドに放り投げて本棚から別の本を取りだした。


「言葉、最初は使用不可。その後、テレビを見て学ぶ。NHKが一番学習効率がよかった」


 だからこんな硬い口調になってしまったのだろうか。


「とりあえずトランクに入ったけいを説明してくれよ」


 が帰ってから、まだ納得のいく説明は受けていない。会話すら成立していなかった。少女はずっと本を読んでいたのだ。


「……経緯? 私のおくは、トランクから出て君を見てから」

「どういうことだ? おくそうしつなのか」


 やはり犯罪がらみなのか。そのときのショックで記憶を失っていると。


「記憶喪失? その感覚わからない。でも、トランクから出たときの私は……真っ白。視界も音もにおいも理解不能。でも、徐々に情報を処理可能となる。きっと……トランクから出たときに私はこの世界に生まれた。NHKの育児番組を見てそうるいすいした」

「だったら、生まれるってのは母親のおなかからだってわかっただろ。おまえが出てきたのは腹じゃなくてトランクだ」


 りよういちの言葉に、少女はぱたんと本を閉じた。


「……私も自分がわからない。テレビや本を読んでも解答は出ない」

ゆうかいされたのかもな。トランクに押し込められて」


 遼一にトランクを押しつけたあの女が犯人なのだろうか。


「私は……なんなのだろう」


 少女はテレビに映る女性タレントをじっと見ている。


「ていうか、その言葉遣いをどうにかしろよ。もっと子供らしい話し方があるだろうが」

「テレビのアナウンサーはこのような感じ。全国的に晴れ間が広がるでしょう、今日きようの日経平均はこのようになっています、それではよい一日を……」

「ニュースばっかり見てたからひねた口調になったのか」

「……何してるの?」


 少女が外出の用意をしている遼一に視線を向けた。


「やっぱり届けようと思ってさ。このままじゃだろ。信じてもらえないかもしれないけど、全部正直に話そうと思う。今言えば、誘拐犯扱いはされないだろ」

「私を届ける? 宅配便? 速達?」

「警察に届けるって意味だ。そのほうがおまえにとってもいいぞ。親が見つかるだろうし」


 正直これ以上の介入は無理だった。ひとりで抱えるには問題が大きすぎる。


「……こんわくする。私は自分の状況はあくできてない。自分の存在を解明するまでここにいる。そう判断したの……だぞ?」

「こっちが困るんだよ。これ以上無理だ」

「私はここにいると、意思表示してる……その意見、拒否」

「おまえが選べる立場じゃないだろうが」


 遼一は少女をにらみつけた。言葉も扱えなかったときは、守らねばならないという本能的な感覚があったが、理知的になった少女を目の前にして冷めてしまったというか、すっと重しが取れたような妙な感覚があった。


「選ぶ立場じゃないのは君のほう」


 少女は遼一の視線にひるむことなく視線を返した。


「警察にあることないことを言うとか? そんなおどしにはのらない。そういうのって、いつか後戻りできなくなってさ、あのときああやっておけば、みたいな後悔をするんだよな」

「……もっとシンプルに脅す」

「どういうことだ?」

「武力行使」


 少女は立ちあがると、ぽきっと指を鳴らした。そんな彼女を見てりよういちはにやっと笑った。


「へえ、武力行使ってどうやんの、かいじゆうごっこみたいのか? ……ガオーッて?」


 遼一は両手をかかげ怪獣のまねをして少女に近寄った。


「警告します。それ以上近づくとげいげきします」


 少女はテレビで見たらしいほう少女アニメの必殺ポーズを取った。


「ああっと怪獣が生意気な子供をおそってる。そして、そのままトランクに押し込むぞー」


 遼一は少女のりようわきに手を入れて頭上に抱え上げた。


「必殺キューティーアタック」


 同時にドスッと鈍い音がし、遼一はベッドに吹っ飛んだ。抱え上げていた少女が遼一の胸をり上げたのだ。少女は攻撃の手をゆるめずに、ベッドにうつぶせに倒れた遼一の背中をドスドスと踏みつける。


「わかった、わかった。怪獣ごっこはやめよう」


 遼一が言うと、少女は蹴るのを止めた。

 そのすきを突いて、遼一は少女の足を引っ張り、ずてんと転ばせベッドに押し倒した。


「ごめんなさいは?」


 遼一は少女にまたがって両手をがっちりと押さえて言った。


「怪獣ごっこはやめようと言ったのに」


 少女ははだけた胸元を気にすることもなく冷たい視線を向けている。


「次はプロレスごっこだよ」

「……プロレスか」