神と奴隷の誕生構文

商都コーチアド ②

 だのに、こうして戦争が始まっては、その立場もさん。これだけでも大きな損失だというのに、このままオルワナが勝ってしまえば、なおひどいことになるのは自明だ」


 海路が通るから、というのはつまりそういうこと。ロケィラを支配下に置いたオルワナは、もはやコーチアドを中継して貿易を行う必要がなくなる。さらに、ロケィラとオルワナが海路を通じてつながるということは、もとよりオルワナのりんごくであるギリェ・イゼンまでもがロケィラと通ずることになる。必然、コーチアドの儲けは大きく目減りするはずだった。


「短期的な視野で見ても損害は自明だ。しかし、これをさらに大きな視点で見ると、なお酷いことになる」

「……どういうこと、ですかな」

とぼけるなよ、分かっているのだろう。オルワナがロケィラをみ込めば、東方五国の軍事バランスが大きくくずれる。残る二国にいやまさる戦力を得たオルワナは、いずれダマカスカ、ギリェ・イゼンをもたおしにかかるだろう。二国がオルワナにたいこうするためには、同盟を結ぶしかないが、そうなれば間をはさむルグド山脈がじやをする。兵力を集中するたびに山道をえねばならない労をいとって、コーチアドをかいろうとして使えるよう二国が求めてくるのは想像にかたくない。さて、レプト商会長。その時になっても、中立という理由で協力を断れるかな?」


 レプトは答えなかった。激変する軍事事情の中でほんろうされるおのが国の様を、だれよりもはっきりと思いえがいていたのはこの老人である。もはや疑問の余地なく、コーチアドは商都としてのみつげつを終えようとしていた。今後とも生き残っていこうとするならば、また別の方法論が求められることになる。


「が、ここでろうほうだ」


 うってかわった悪戯いたずらっぽい口調で、クルァシンはぶんを口にした。おおよその内容がすいそくできていたレプトは、いきをついて首を横にる。


「貴国を勝たせるよう取り計らえば、後の通商にも便べんを図ってくださる、ということであれば──残念ながらお断りさせていただきましょう」

「ほう?」

「実を申せば、同様の条件でオルワナからもさそいを受けておりました。陸からはコーチアド軍が、海からはオルワナ海軍が、それぞれロケィラをはさてば、このいくさの勝利はかたいと……しかし、それさえも我々は断りました。貴方あなたが求めるのはここを経由しての進軍でしょう。であれば、失敗した際のリスクの点でよりまさる貴国にくみする道理がございません」

「まぁ、その通りだな。今のロケィラははたにもけムードだ。しずみかかった船に便乗しようとする者はいない」


 セレィの視線が針となってクルァシンをしたが、彼はそ知らぬふうに顔をらした。そうして一ぱくを置いた後、クルァシンは両手を首の下に組んでゆうぜんと逆接する。


「が、しかし。沈みかかった船に自ら乗ることは無理でも、しようを一つぶせることにやぶさかではあるまい?」

「……どういう意味ですかな?」

「投資と投機のお話だ。成功率の低い案件は、それ相応のだいしようとリスクマネージメントを用意してこそ。たとい船が沈んで胡椒が一粒海中にぼつしたとしても、そちらに大したがいはないだろう。しかし万一、成功した場合の見返りがばくだいだとすれば? これは商売としてじゆうぶん理にかなっている」

「具体的な案件を聞かせてもらえなければ、なんとも答えかねますな」


 答えしぶるレプトへ、にやりとみを浴びせて、クルァシンはささやく。


「実を言うと、当方ロケイラはこれから敵地オルワナこうふくに参るところでな」


 となりでセレィがかっと両を見開いた。ますますろんな目つきになった商会長に、クルァシンはたぬきの囁きを続ける。


「こちらは進軍したいのではない。降伏のための特使をけんしたいのだ。いやいや、セレィがじきじきナバザとりでおもむき、ちゆうりゆう軍の目前で白旗を上げれば済むことと、きっとお前はそう言うのだろうが、少しは事情を考えてみてくれ。そこなセレィは事実上最後のおうけいしよう者なのだ。となれば、向こうもわざわざオルワナ女王のぜんわせるよりか、すみやかにその首を落としたほうが後々のめんどうが少ないと、そう考えても無理はあるまい?」

「そういったこうしようも、ナバザとりでで済ませればよろしいことでしょう。後々のロケィラ統治にあたっても、使いようによっておうぞくは有益です」


 ぷるぷるとかたふるわせ、いまだ経験のないじよくえるセレィを差し置いて、クルァシンはしらじらしく演技がかった説得を続ける。


「いかめしい軍人にそのようなくつが通じるものか。だから事情を考えろと言ったのだ。我らが最後の希望であるセレィおうを、万が一でも、功にはやった兵どもの手にかけさせられると思うのか? 女王に最後のおうというのが、そんなにも罪深いことか?」

有角ユルフイネクたみでない貴方あなたにそうおつしやられても、今ひとつ説得力に欠けますな」


 つるりとしておうとつのない額をちらりと見やり、レプトはしんらつに皮肉った。


「これは一本取られたな。しかし、俺はあくまで代弁者だ。今述べたことが、ロケィラ全国民のいつわりなき本音であることは、理解していただけよう」

「もちろんですとも。ですがクルァシン殿どの、ただこうふくのために、貴方は何千の兵を送ろうというのですかな。セレィ様が心配なのはよく分かりますが、それでは降伏をよそおったしゆうもくんでいると思われても仕方がありません。まして、オルワナ主力たる海軍はいまごろ海上にあるなれば……」

だれが何千もの兵を送ると言った」

「え?」

。門前で待ちぼうけをらっている連中、あれだけでいいのだ」


 その提案には、場の全員が意を測りかねた。ばかりか、セレィはいよいよかんにんぶくろを切らして、クルァシンに食ってかかった。


「ふざけるな! たった三百の騎兵で何ができる!」

「ああ、もちろん武器もすべて置いていくぞ。降伏に武器は必要ないからな」


 ふんがいするセレィの頭をわしづかみにしてとどめながら、クルァシンはさらに条件を連ねた。理解のはんちゆうえた言動に、レプトは思考の海にまれて返事さえままならない。


「むろん、特使の代表は俺が務める。いんを持参して、セレィに代わりを請うつもりだ。必要とあらばこの首とて差し出そう。この場にセレィをともなったのは、ひとえに我々の誠意のほどを知ってもらうため。交渉を俺が代行しているのは、ほこり高い彼女にこのような内容を口にさせることが、どうしてもはばかられたからだ」


 しばしめいもくのなかで、レプトは考えに考えた──武器持たぬ三百のへいで何ができる? まさか本当に降伏するつもりなのか。いや、それにしては回りくどすぎる。どこかにかんせいがあるはずなのだ。ここで三百の兵を通すことで、ロケィラを有利に導く何かが……。


「レプト、いい加減にしろ。、通すための名目としてはじゆうぶんだろう?」


 レプトはたまらず激高しかけた。、この若造はそんにも言ってのけたのだ。わずかに三百の武器持たぬへい……少なくとも名目上はこうふくの特使……そんなものを通したところで、オルワナの勝利を早めこそすれ、いっかな不利益もあろうはずがないと……そういう名目が立ってしまうからこそ、レプトの老いたプライドは余計にげきされた。


「……分からない。何をたくらんでいらっしゃるのです、貴方あなたは?」

「商会長、それは余計なかんりだ。鹿。企みを知っていて通したのであれば、それはオルワナに対する不義となる」

「…………」

「まぁ、万が一の話──この特使のけんと、なんらかかわりはないが──これからの神風がき、ロケィラがオルワナに勝つようなことがあれば、事後のコーチアド商会にはこの返礼として、やがて始まるであろう海路を経由した通商のかんとくを任せよう。──これが、ぼろ船にせた一つぶしようが金に化けた場合の話だ」


 クルァシンの言い分には非の打ちどころがなかった。……とはいえ、レプトにはいまだ「断る」という単純にしてかんぺきせんたくが残されている。これがある限り、どれほどべんを連ねたところで暖簾のれんうでしではないのか──少なくとも、横で聞いているセレィはそう疑っていた。

 だが当のレプトからすればそうではなかった。彼からすればこのこうしようにつっぱねることが必ずしも良い結果を生むとは限らない。敗戦ムード一色のロケィラでも、まだコーチアドとかく以上に戦う程度の戦力は残しているのだから。