ロケィラとの国境に面した街道は当然のように警戒が厳しく、騎馬隊の接近が知れるや、コーチアドの大門は貝のごとくその口を閉ざしてしまった。防塁の上、防衛の兵たちが慌ただしい動きを見せているところへ、セレィがよく通る声を響かせる。
「ロケィラ皇子セレィである! この度は緊急の用件があって参ったが、その内容の如何がどうあれ、貴国に対して暴挙に訴える気はまったくない! 具してきた騎兵もたかだか三百余り、どうか交渉の席を設けられたい!」
何度か報告する兵の行き来があって、どうやら責任者と思われる人物が防塁の上に姿を見せた。両手に書簡を広げて、高らかに読み上げる。
「コーチアド商会長からの言伝を申し上げる! 『よくぞいらっしゃった、麗しき皇子よ。当方は相応の敬意を持って一国の君主を歓待申し上げる』」
そこで一つ間を挟み、いくぶん低めた声で男は続ける。
「『──が、しかし、いかめしき騎兵たちを引き連れてとあっては、民が怯えること甚だしい。当方の領内に赴いて私と言葉を交わそうというならば、わずかな護衛を除き、兵はみなそこに置いてきてもらいたい。それさえ受け入れていただければ、こちらは皇子のいかなる言葉にも誠意を持って耳を傾けよう』──以上である!」
「承知した! 交渉には護衛との二名で参る!」
セレィが快諾すると、大門の右下に設えられた小さな通用口が開かれた。セレィは兵のひとりに騎馬隊を任せ、その指揮権をいっとき譲ると、クルァシンただ一人を伴って扉のなかに入ってゆく。
「──これでいいのだな?」
「ああ。席上では自然にやってくれればいい」
「商会長とは面識があるのか? ちなみに私はないぞ」
「俺も面識というほどのものはない。一方的に知っているだけだ。が、抜け目ないことは間違いないな」
確かに、とセレィは頷いた。二人の同意は先の書簡によるもの。『麗しき皇子』という皮肉、それに『一国の君主』という言い回しには、先方がロケィラの現状を重々承知していることが窺える。でなくては、一見して矛盾を来たしているこれらの表現を使うわけがない。
「でなくては困る。利に聡い者を相手取らなければ」
防塁をぐねぐねと穿つかび臭い通路を抜けると、ふたりはすぐさまコーチアド商店街の賑わいに身を投じた。東方五国の商人たちが交易の中心地としているだけあって、人種の混淆と猥雑さは目を見張るものがある。大気中にはダマカスカ商人たちの扱う種々の香が幾重にも立ち込め、一方ではギリェ・イゼンの民がその長い爪先で扱う刺繡が目を楽しませる。また、同胞たる有角種、宿敵たる有翼種の姿も──他国に滞在したまま開戦を迎え、帰ろうにも難しくなったクチだろうか──少ないながらあった。
「ほう、これは壮観だな。ここまで人種の入り混じった様子を見るのは初めてだ」
「なんだセレィ、お前、今までここに来たことがなかったのか」
「兄たちが揃って死んだりしなければ、籠の鳥として無為に年を食っていただけの身ゆえにな。そういう意味では、こうして広がった見聞も、素直には喜べん」
「それはそういうものだろう」
「なに?」
「旅立ちは常に犠牲を伴った。そうして得たものが、割に合うかはさておき」
半ば一人言のように応えたクルァシンは、歩きながら、何処とも知れない中天を見据えたまま。白昼夢でも見ているようで、けれど、それにしては闊歩する足取りに力がありすぎた。
……刹那、額の一角が疼いて、セレィは鎖を幻視した。全方位から伸び来たりて、彼の四肢をきつく絡め取る鉄の縛め。否応なく挙動を決定づけるそれら不可視の力に、けれどもクルァシンは望んで心を融け合わせていた。
凝と傍らを行く神を見据えたまま、セレィは口のなかだけで呟く。
「──神々は自由な存在かと思っていたが」
「ん?」
「いや、何でもない。が、この一角が珍しく、他人の柔いところをちくりと刺したらしくてな」
曖昧に濁して、セレィは己が一角を軽く撫でた。……有角の民として有する宿命。彼女の魂は、その一角の長き分、ほんの少しだけ他人の魂に近しい。
セレィの比喩をその言葉通りに解釈して、クルァシンは苦笑いする。
「ああ、たしかにお前の一角は、立派な分だけ危ういな。あまりきょろきょろせんことだ。商会長に会うまでに、何人か串刺しにしてしまうぞ」
「貫きはせぬ。何人たりとも、私の行く手を阻まぬ限りは」
そうして、案内人の背中を追って歩き、およそ半刻。二人が前にしたのは、周囲の邸宅とは一線を画して美麗な拵えの屋敷であった。東方の建材として一般的な焼き煉瓦ではなく、光沢ある乳白色の建石を主として積み上げ、中心の主棟は両脇に小ぶりな側棟を侍らす。さらにその周囲をぐるりと囲む尖塔の先端には、玉葱状の彫刻を戴いている。
「これは見事。タージ・マハルを思わせる建築だな」
「タァジマ……今、何と?」
「俺の故郷にある古の廟だ。といっても、実際に見たことはないが」
雑談を交わしつつ、二人は応接室へと案内された。まず湯気を立てる茶が二人に運ばれてきて、それを冷ましながら半分ほども干した頃合いに、禿げ上がった頭の分だけ顎の髭を蓄えたような長爪種の老人が現れる。
「コーチアド商会長レプト・ヨウェでございます。お初にお目にかかりますな、セレィ皇子。まずは前皇ギォロラ殿へ、そして名誉の戦死を遂げられたあなたの兄上たちに、ご冥福を祈らせていただきます」
「ロケィラ皇子セレィ・メル・ロケィラだ。兄上たちも喜ぶだろう。歓迎を感謝する、レプト商会長」
商会長は両腕を交差させる形で長く鋭い爪を脇に隠し、セレィは右手の人差し指を顔の前に持ってきて目を閉ざす。それぞれに異なった流儀で挨拶を済ませると、レプト商会長はセレィの対面に腰を下ろした。そこで初めて目に入ったように、セレィの隣に悠々と腰掛けるクルァシンへと視線を向ける。
「軍師クルァシン殿だ。この度の交渉は、私に代わって彼が行う」
セレィの紹介を受け、クルァシンは軽く頭を下げた。セレィにしたものと同様の挨拶をレプト商会長も繰り返し、先陣切って口を開く。
「ではクルァシン殿、話の内容はどのようなものでしょうか。当方としましても、貴国の置かれている危機的な状況について、少なからず理解しているつもりです。しかしながら、コーチアドは中立を標榜する国家でありますゆえ、どれか一つの国家に利するような計らいはできかねる。それを前提とした上で……」
「渋い顔をしているな、レプト商会長。儲け話がひとつ消えるのだから当然か」
商会長の口上に割り込んで、クルァシンは挑発的とも言える口調でそう述べた。さすがに意表を突かれたレプトは、眉根を寄せて出方を窺う。
「律儀なものだな。その『中立』という看板のために、戦争が始まるや否や国境を閉鎖し、ロケィラ・オルワナの両国に対しては開戦後一切の補給・支援を行っていない。オルワナが圧倒的な優位に立った今でさえ、その姿勢は相変わらずだ。もう少し色気を出しても良さそうなものを、巌のごとき徹底ぶりは、東方五国の中心で今後も生き永らえるための知恵か」
「……その通りでございます。我が国は、いずれの国家にも与さず、ただ良質な市場を提供するのみ。なればこそ、強国の連なるなかで、なお今の地位を勝ち取って参りました」
「一貫した姿勢、まことに結構なことだ。が、ではなぜ、今のお前はそのように浮かない顔をしているのか?」
「浮かない顔など……」
「当ててみせよう。海路が通るから、だな」
畳み掛けるようなクルァシンの言い分に、レプトはしかし激することなく押し黙った。それを肯定と解して、クルァシンはなおも言葉を連ねる。
「だろうな。ロケィラとオルワナの緊張状態はずいぶん前から続いていたが、それでも開戦までは通常通りに貿易が行われていた。しかも、オルワナの海軍を怖れたロケィラはキレド海に海路を通していなかったため、二国間の仲介はコーチアドが独占できたわけだ。