神と奴隷の誕生構文

瀬戸際の策略 ⑧

「それが発展界の技術だ。この世界の文明程度では、まだあやしのわざとしかにんしきできないだろうがな」

「な、ななな……!」

「落ち着け。それから、手の中のものを、もう一度よく見てみろ」


 おどろきのあまり目を固く閉ざしていたセレィが、おそる恐るまぶたを開けてみると、どうやら放電は収まっている。たまらずあんの息をついたが、手の中でぼろぼろにくずれたそれを認めたしゆんかん、彼女はもう一度目をみはった。


「それが『意味性の崩壊ゲシユタルト・ブレイク』だ。発展界とエナ・ガゼでは、そもそも科学技術の前提となるべき物理法則からして異なっている。当然のように、発展界の器物はここではその本来の機能を保てない。それはモノが人間の場合でも同じだ」

「……よく分からんが……ほかの世界の者がこの世界エナ・ガゼに来たならば、すぐにでも死んでしまうと、そういうことか? たった今ち果てた、この隠剣のように」

おおむねその通りだ。より正確に説明するならば、は、前者によってことごとくりつぶされる。この場合の大きな世界とはエナ・ガゼで、小さな世界とはその隠剣だな。諸法則がきらうのは何よりもそのじゆんという真理だ」

「では、なぜ先のくせものどもは無事でいたのだ? それに、そなたも」

「その理由はそれぞれにちがう。まずヴェル・グルンの連中は、発展界の技術を用い、『意味性の崩壊ゲシユタルト・ブレイク』をだいたい物によってまえばらいしている。この原理の説明はさすがに省くが、要するに、関所の役人に法外なわいつかませることで見のがしてもらっているようなものだと思えばいい。

 そして俺の場合は、としか言いようがない。俺の故郷には神を生み出すだけの認識範囲パラダイムの下地があり、俺には神となるための素養があった。いずれの世界にも例外なく存在する『神』というがいねんがその受け皿となった。俺は個にして単独で意味性ゲシユタルトを保ちうるひとつの小世界。それを『神』と、あるいは『越界者』と──より詩的に『形而上に住まう者メタフイジツクス』と、発展界の人間は呼んでいるんだ」


 説明を終えたクルァシンの目の前で、セレィはうなりながら頭をかかえた。


「……ほとんど分からん」

「今すぐに理解する必要はない。何事にも順序というものがある」


 苦笑混じりに言ったクルァシンを、セレィは負けん気の強いできっとにらみつける。


「もしかして今、私を鹿にしたか?」

「していないよ。この世界では、これから何百年ものさいげつのなかで、何百人もの天才たちが、自然哲学の大樹をはぐくんでいくんだろう。それはほかの世界とはまったく異なった展開を見せるかもしれない、愛すべき未知の可能性そのものだ。ひょっとしたらもう、エナ・ガゼのソクラテスはどこかに生まれているのかしれないがな」


 言いながら、クルァシンは心中でちよう的なかいぎやくを覚えた。──なんという身勝手な期待だろうか。発展界では、そうした何百人もの天才が連なった果ての結論あきらめこそが、今まさにこの世界エナ・ガゼおそおうとしている、このしんりやくだったというのに。


「まぁ、何にせよ、今のは大変不本意ながら俺が連れてきた敵だ。今後も色々とぶつそうなことをたくらんでくるだろうが、適当にあしらって引き取っていただく。やつらの最終的なねらいは俺をすことだが、それが容易でない場合、俺のじやをすることが主な仕事になるからな」

たのもしいことだ。『一寸ちよつとおくれた』などということが、今後はなければだが」

「あれはなんかを無理にすすめるからだ! 知らんだろうがな、ここ一月というもの、俺は目につかないところからずっとお前を守っていたんだぞ!」


 ああ、風呂といえばそういえば!──と、クルァシンはまゆを寄せた顔でセレィを見えた。色い不満がそこにただよっているのを見て取り、セレィはわざとらしく首をかしげる。


「なんだ。ここの殿どのに、何ぞ不満があったとでも?」

「湯殿に不満はないとも! 問題はあのじよだ! なぜ風呂に入るのに、いちいち女をはべらせねばならない!?」

「メリェは私の姉妹きようだいだ。おうぞくでこそないが、血筋のいやしからざるむすめだぞ。器量もいいし、乙女おとめが持つべきしゆうと気品とを備えている。はだなど、さながらきたてのゆで卵だ。そなたも男児ならば、犬のようにむしゃぶりつかんのはどういうことか」

「犬!? 今お前、おそれ多くも神の動作を形容するのに『犬のように』とかいう表現を使ったのか!? いや、この際そんなことはどうでもいい──俺が言いたいのは! このおおくらしんに対しては、ごともつも月毎のいけにえいつさい不要だということだ!」

「おや、これはこつけい。どうやら導神どのは不能と見える」

「今のはもはや表現がどうとかいう問題ではないな! はっきりじよくしたな!」

「よろしい、供物と生贄に関しては考えておこう。しかし、私としては神をむかえるのに、入浴は皇宮の大湯殿、世話係にメリェ、これ以上のかんたいはないと考えている。したがって、この二つだけはどうしてもれてもらいたい」

「……風呂はいい。だが、あのむすめは……」

「なぜこばむ? あれはまぎれもないしよじよたねきには最良の土だ」


 セレィの口から軽く放たれた一言に、クルァシンはついにひざを折ってくずれ落ちた。


              *


 夜明けの大気はかすかに潮のふくんでいた。おうビンナスクは海岸からほど遠い位置にあるが、季節の風が、そこに住まう人々におのが土地の沿岸国たる事実を思い出させるかのように、勢いよくきすさぶ。


「形の上では追い風だな。天運まで持ってこれたのはぎようこうだ」


 風を受けたがみゆるやかにたなびかせ、クルァシンはつぶやいた。その背後には、いくひやくもの兵がばんじようこまのごとくそうかんに立ち並び、一晩ぽっちのきゆうみんではろうえ切らぬ身でも、それぞれにえんを上げている。体力にすぐれる者を選べというクルァシンの言は正しく守られたようであった。


「なるほど。しかし、神風にしてはいまつつましいようにも。導神どの、えんりよは無用だぞ」

「いま分かった。お前が俺を導神呼ばわりするのは、ひとえに皮肉を言う時だな」


 じろりと非難の視線を返され、わざとらしくかたをすくめたセレィの身体からだも、危なげなく馬上にある。天をくようにそびえる真白い一角つのは、三百ばかりのへい隊などよりも、むしろ万軍のせんじんを切るにこそ相応ふさわしい。


「なんと、我らの期待がそのようにじやすいされるとは。心外であるぞ」

「そうか。邪推であればむしろ幸いなのだが」

「ともあれ、いよいよしゆつたつだ。そなたのためにりすぐった駿しゆんを用意した。いささかあらうまではあるが、神体ならば問題なく乗りこなせよう。またがるがよい」


 騎馬の列を割って引いてこられた一頭のせいかんな馬に、周囲の兵たちがこぞってかんたんの息をらした。東方のたみが騎乗に用いる総毛馬の中でも、特にしようとされる白毛種である。ぜいにくげ落ちた全身を絹糸のような体毛が密におおい、両のひとみしつそうの意志を秘めてらんらんかがやいている。二本のたくましい前足は、出発をがれるようにひづめで地表をえぐっていた。

 しかし、ほかのどの馬と比しても見おとりのしない良馬を、クルァシンは首を横にって辞退した。げんな顔をするセレィらに、クルァシンは軽く身体をほぐしながら言葉を投げる。


らん。神のあしが馬の脚におとる道理があるか。さぁ、進軍のを吹け」


 言われて、セレィの真後ろにあった騎兵が、はいからあらん限りの息を振りしぼってとうてきを吹いた。出立の合図はまたたきの間にひびわたり、前方にあった馬から順々と走り出す。

 いきなりきようたんのどよめきが起こり、それは列の前方から後方へとじよじよに伝わっていった。おどろくべきことに、騎馬隊の列は、出発から一刻ほどってなお、おのが脚でけるクルァシンの後を追う形をとっていたのである。


「導神どの。馬によりまさる走りとは見事だが、つかれはしないのか」

「まぁ、まるきりつかれない、と言えばうそになるが。こういう見世物は兵たちにも分かりやすいだろう」

「見世物とは?」


 余人にこえぬよう、セレィの馬にぴったりと沿い走って、クルァシンはささやいた。


「なけなしでも良いから、しんらいの材料を作りたいのだ。ぽっと出てきて神などと名乗る男へ──我ながらさんくさいことこの上ないが──みなが等しく信を置くかといえば、そんな都合のいい話はない。セレィ、お前がそうであるようにな」

「なるほど、そのような打算があったのか。私はてっきり……」

「てっきり、なんだ」

「馬に乗れぬから、無理をしているものかと思った」


 たんにクルァシンが速力を上げて、セレィからさらに三馬身ほどきよを空けた。遠くなる背中へと向けて、セレィが笑い混じりの声を飛ばす。


「やや、導神どの、それは速すぎるぞ。こちらは神ならぬ人と馬の身だ。いま少し気づかわれよ」

五月蠅うるさい! お前の皮肉を供にしては、こちらの疲れが倍になる!」


 そうして、ぴったりと三馬身の距離を空けながら、神と人馬とはつちけむりを上げて走り続けた。彼らの一団がコーチアドへととうちやくしたのは、翌日の夕刻を回ったころであった。