クルァシンが睨み据える先には、先の凶手が膝をついて凝っと彼を見つめ返していた。何を窺う暇をば敵に与えん、クルァシンは言葉を重ねる。
「──ついに来たか。発展界の尖兵、〝神狩り部隊〟ヴェル・グルン!」
踏み足が大地を打ち鳴らし、下げ髪が地面と平行にたなびいた。ただの一歩で三間あった間合いを零に戻し、クルァシンは砲弾にいや勝る速度をもって怨敵へと肉迫する。
「……オドッ!」
人知におよそ計り知れぬ破壊力を秘めた拳を後退してかわし、凶手はその声を張り上げた。それに応えて、扉の近くまで下がっていた凶手の背後から、ぬぅと細長い影が現れる!
「おおよ、イドのあ兄貴!」
両手に握った長大な鉄棍を突き出して、その男はイドと呼ばれた凶手に入れ替わりクルァシンと対峙した。これまで大胆に攻め続けてきたクルァシンが、新手の携えた得物を凝視して、いっとき足を鈍らせる。
「──いかにも怪しげな鉄棒だ。それだけ巨きければ、さぞ好きなだけ絡繰を詰め込めることだろうな。電磁兵装か、超振動兵装か。はたまた放射線被曝兵装か?」
「いい言えね! 兄貴にきっつく言われてるだ!」
「構わない。どのみち、関係がない──」
オドが鉄棍を突き出すと同時、刹那の見切りで半身になってそれを避けたクルァシンは、敵の戻し、薙ぎ払い、いずれにも倍する速度で懐へと踏み込んだ。──祖武神の系譜に名を連ねるこの神を相手取って、尋常の間合いの利など無に等しい!
「破ァッ!」
肉迫する動作には震脚と練気が伴い、放たれるはまさしく盤石の貼山靠。大質量の鉄槌となった肩口が、オドの鳩尾へしたたかにめり込んだ。落ち窪んだ肉と臓、その仮借なき必殺の感触に──クルァシンはしかし、即座に違和を察した。
「が……ぁ、兄貴ィっ!」
口中から胃液を吐き出しながら、それでもしっかりと意志の通った声で、オドが叫んだ。その両腕が鉄棍を自ら地に落とし、クルァシンの身体をひしと抱きすくめる。
応じるイドの動きはまさに疾風。すぐさま二人の側面に回り込み、クルァシンの頭部へめがけて拳を見舞う。その手中に握るは四寸ばかりの隠剣だが、対峙する両者は共に知っている。それが有する必殺の意味を。
肉の爆ぜる音が轟く。細長い両腕の中で、クルァシンの拳がオドの腹に炸裂していた。長年に渡って磨き抜かれた功夫だけが可能にする「寸勁」の妙技。二度目の衝撃がオドの腹部に仕込まれた絡繰をおしゃかにし、彼の意識を彼方へ飛ばす。
刹那の攻防は、それでもイドの勝利を揺るがしはしない。彼はすでに刺突のモーションに入っており、未だ拘束の解けきらないクルァシンにはその方向へ首を向けるのがやっと。頭蓋を穿ち抜き、脳髄を焼き尽くす電流と火花──イドの脳裏にリアルな未来図が描かれた瞬間、その右手を予期しない衝撃が襲った。
「──ぐッ!?」
尋常ならざる質量物が右手甲を強打したと察した時には、そこに握っていた隠剣は遠い地面に弾かれている。事態を把握する間もなく次なる拳がイドを襲い、刺客はやっとのことで後退しながら、細く鋭い眼でもって、クルァシンの全身を網羅した。
「……髪留め、か」
「ただの飾りで着けるものか。こんな重いものを」
三つ編みに結った二房の長髪、その両方の先端に揺れる金属の輝きを、イドは憎々しげに睨むしかなかった。……先に湯殿でメリェが体感したとおり、尋常ならざる重さを秘めたその髪留めは、格闘にあたっては三番目・四番目の拳として活躍する。首を横に向ける、たったそれだけの動作で長髪を鞭のようにしならせ、クルァシンはイドの拳を打ち落としたのである。
「落ち込むことはないさ。あのいかにもな鉄棒はまず囮だろうと思ってはいたが、肝心の絡繰がよもや防具とはな……。これまで戦ったヴェル・グルンの連中にはなかった発想だ。俺が坊主頭だったら滅られていたかもしれない」
「……貴様、何号だ」
「答える謂れはない。……と言っても、こう応じる時点で、いくらかは絞れてしまうか」
「エナ・ガゼが発展界の植民予定界と知ってなお、干渉するのだな」
「あんたらのやり方は知っているさ。あんたら自身よりも、よっぽど詳しく」
低まった声で応じるクルァシンの瞳は、大嵐を描いた一枚の絵画のように、静謐と激情とを同時に湛えていた。絵の中で大波に翻弄される船乗りは、ひとつの生命が有する限りの憤りをもって嵐を憎んでおり──そして同時に、嵐そのもの、あるいは嵐を引き起こす何者かに手を届かせたいと願っているのだった。
「さて、退いてもらおうか。あんたらも、この段階で敗けるとあっては不本意だろう」
クルァシンが不戦の意を込めて拳を下ろすと、イドはそれを機とばかり、淀みのない動作でオドへ駆け寄る。そのまま、重い身体を軽々と担ぎ上げて走り去っていった。
膝をついて状況を見守っていたセレィが、そこでようやく我に返って、クルァシンに詰め寄る。
「なぜ逃がした!? 今ならば捕えられただろう!」
「あれの自由を奪えば、さらに厄介な新手が来る。危険要素は次々と更新するより、一定のところで据え置いたままのほうが管理しやすい」
「む……第一、あれは何者なのだ! 少なくともオルワナの暗殺者ではなかった」
クルァシンはふむ、と顎に手を当てて考え込んだ。
「……かいつまんで説明しよう。エナ・ガゼという世界を一つの国に喩え、他にも大小様々な国々がいくつも存在するとする。それらは各々に異なる歴史と風土、技術と倫理、法則と認識を持ち──あるいは持たず──平常は互いに独立して干渉し合うことはない。
しかし、一定の条件と歴史を積み重ねた世界の民は、自らが住まうものとは別の世界に対して侵略活動を行うようになる。これが『発展界』と呼ばれる世界。そして先の刺客は、その発展界の中でも最も大きな勢力のひとつ、大界アルマダートから遣された工作員だ」
クルァシンの説明を、しばしセレィは無言のままに咀嚼していたが、どうにも消化できないふうに聞き返す。
「……それはつまり、神々の住まう世界が別にある、という話か?」
「その認識は正しくない。『発展界』に住まうのは人間だ。よしんばお前たちの目からは神のような力を持っているように見えても、彼らは人間なのだ。だからこそ、自らの繁栄と生存を勝ち取ろうと、他の界を侵す。その行動原理には何ら神秘的なところはない。相違があるとすれば、それは風土の違いによって育まれたものだ」
「……ますます分からない。では、そなたも神ではないのか?」
「崇拝の必要がない、という意味ではその通りだ。が、今述べたのとは別の理由から、俺はやはり神と呼ばれる立場にある。お前たちが語り継いできた神話の随所に入り混じっている存在は俺と同族だし、『発展界』で俗に言うところの神の定義は、『界の枠を越えてなお意味性を保ちうる者』だからだ」
言いながら、クルァシンは少し歩いたところの地面から何かを取り上げた。それは先の一戦でイドがクルァシンの頭蓋を貫こうとした、例の隠剣であった。
「持ってみろ。それで、握りにある引き金を引いてみるといい」
「……? こうか?」
セレィが言われたとおりにした瞬間、短い刃先を中心とした空間に、壮絶な放電現象が巻き起こった。電光は濡れ雑巾を引き裂くような音を立てて大気中に迸り、まったく不意を突かれたセレィは、髪の毛を逆立てて硬直してしまった。